東洋医学と中医学
東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚していることが理解できます。
そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。
現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在しています。
もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したことでしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということです。
それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれは、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。
それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。
東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなります。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学としての過渡期にあると私は考えています。
このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものするために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち返って見なおそうとしているわけです。
東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚していることが理解できます。
そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。
現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在しています。
もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したことでしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということです。
それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれは、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。
それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。
東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなります。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学としての過渡期にあると私は考えています。
このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものするために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち返って見なおそうとしているわけです。
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