■日本の東洋医学と、大陸の東洋医学との違い
支那大陸における東洋医学と日本における東洋医学とは、原典はほぼ同じであるにもかかわらず大きく異なります。
その理由は、大陸においては受験儒教に墮した朱子学が学問すなわち人間理解の中心概念となったのに対して、日本では自己陶冶とリアリズムを探求した禅による自己省察が人間理解の中心となったことにあります。
この違いは、江戸時代に流行した日本の書籍が医学の全体観を把握できるような小冊子であったのに対して、清代に支那大陸において流行したものが、百科全書的な大部のものとなっているという違いとなり大きな差となって表れています。
全体観を把持する中から「ほんとうにこれはそうなのだろうか」と検討していく日本の東洋医学に対して、古人の記載を網羅しそれを辞書のように引いて症状に治療をあてはめてい治療を施していく大陸の東洋医学の差が、ここに生じてきます。
このおおいなる差異は現在でも続いています。
弁証論治を数多くの弁証の型に当てはめることから考えはじめようとする「証候鑑別診断学」に邁進する中医学と、全体観を重んじ病因病理を個別具体的に考えていこうとする一元流鍼灸術の違いが、もっとも端的な差となります。
■中医学は東洋医学にはなり得ない
現在私の勉強内容は、一元流鍼灸術のゼミでの一元流鍼灸術の研究の他に、サブコースでの腹診の研究、個人としての刺絡の研究に入っています。(2010年当時)
このブログの副題にも書いてありますが、中医学は決して東洋医学を代表するものにはなり得ません。なぜかというと、東洋医学的な人間観を中国共産党は持ち得ないためです。
私は二十年以上中医学の勉強をしてきましたが、その初期のころ60年代の文献には必ず初めに毛沢東万歳という文章が掲載されていました。文化大革命のころで、ここで殺害された学者もたくさんいました。立派な内容の書籍で、この時期に刊行が途絶えたものがあります。
文化大革命は毛沢東が行った中国文明に対する殺戮行為でした。これは現在進行しているチベット文明・ウィグル文明・モンゴル文明に対する抹殺行為と通底するものです。
ここで歴史は断絶し、共産党が許容する中医学がはびこることとなりました。
共産党の人間観は、唯物史観であり個人主義思想です。これは儒教や道教や仏教を核とした東洋の一体思想とは異質のものです。
もし東洋医学を理解しようとするのであれば、諸子百家を学び、儒教を学び道教を学ばなければなりません。歴史的には仏教もその影響を東洋思想に与えていますので、これも学ぶ必要があります。
また、日本においては、仏教徒が中心となって医学を導入してきましたので、その人間観が日本の東洋医学には深く反映されていると見ないわけにはいきません。
日本に入ってくると、仏教も儒教もすこぶる日本的なものとなります。仏教は禅に昇華され、儒教が武士道に昇華されます。その根底には神道があるということもまた、当然理解される必要があります。
自らの汚れを祓い清めることによって「存在そのものへ」と肉薄していきそれを理解しようとする神道。このような神道があったために、仏教の本質、儒教の本質が浄化されて日本に取り入れられることができました。日本の各々の道の懐の深さは、このようにしてできあがってきたのです。
支那大陸における東洋医学と日本における東洋医学とは、原典はほぼ同じであるにもかかわらず大きく異なります。
その理由は、大陸においては受験儒教に墮した朱子学が学問すなわち人間理解の中心概念となったのに対して、日本では自己陶冶とリアリズムを探求した禅による自己省察が人間理解の中心となったことにあります。
この違いは、江戸時代に流行した日本の書籍が医学の全体観を把握できるような小冊子であったのに対して、清代に支那大陸において流行したものが、百科全書的な大部のものとなっているという違いとなり大きな差となって表れています。
全体観を把持する中から「ほんとうにこれはそうなのだろうか」と検討していく日本の東洋医学に対して、古人の記載を網羅しそれを辞書のように引いて症状に治療をあてはめてい治療を施していく大陸の東洋医学の差が、ここに生じてきます。
このおおいなる差異は現在でも続いています。
弁証論治を数多くの弁証の型に当てはめることから考えはじめようとする「証候鑑別診断学」に邁進する中医学と、全体観を重んじ病因病理を個別具体的に考えていこうとする一元流鍼灸術の違いが、もっとも端的な差となります。
■中医学は東洋医学にはなり得ない
現在私の勉強内容は、一元流鍼灸術のゼミでの一元流鍼灸術の研究の他に、サブコースでの腹診の研究、個人としての刺絡の研究に入っています。(2010年当時)
このブログの副題にも書いてありますが、中医学は決して東洋医学を代表するものにはなり得ません。なぜかというと、東洋医学的な人間観を中国共産党は持ち得ないためです。
私は二十年以上中医学の勉強をしてきましたが、その初期のころ60年代の文献には必ず初めに毛沢東万歳という文章が掲載されていました。文化大革命のころで、ここで殺害された学者もたくさんいました。立派な内容の書籍で、この時期に刊行が途絶えたものがあります。
文化大革命は毛沢東が行った中国文明に対する殺戮行為でした。これは現在進行しているチベット文明・ウィグル文明・モンゴル文明に対する抹殺行為と通底するものです。
ここで歴史は断絶し、共産党が許容する中医学がはびこることとなりました。
共産党の人間観は、唯物史観であり個人主義思想です。これは儒教や道教や仏教を核とした東洋の一体思想とは異質のものです。
もし東洋医学を理解しようとするのであれば、諸子百家を学び、儒教を学び道教を学ばなければなりません。歴史的には仏教もその影響を東洋思想に与えていますので、これも学ぶ必要があります。
また、日本においては、仏教徒が中心となって医学を導入してきましたので、その人間観が日本の東洋医学には深く反映されていると見ないわけにはいきません。
日本に入ってくると、仏教も儒教もすこぶる日本的なものとなります。仏教は禅に昇華され、儒教が武士道に昇華されます。その根底には神道があるということもまた、当然理解される必要があります。
自らの汚れを祓い清めることによって「存在そのものへ」と肉薄していきそれを理解しようとする神道。このような神道があったために、仏教の本質、儒教の本質が浄化されて日本に取り入れられることができました。日本の各々の道の懐の深さは、このようにしてできあがってきたのです。
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