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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

考えることを止め、そしてまた観る


伴「気一元の観点から胃の気の脉診、臍下丹田から肝木の身体観まで、その関連性について行っています。図示されているものとしては、杉山流の行灯の図と難経鉄鑑の六十六難の図と肝木の身体観は同じものの異なる表現である」

佐藤「私はこの3つが同じものを表現している、ということがまだ理解できていないようです。と言うか、肝木の身体観について理解できていないようです。


特に肝木の身体観と三焦との関わり、加えてこれを考えていたら、十二経絡と臓腑、三焦についても分からなくなってきて混乱してきました。」

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混乱をきたした時には、考えることを停止することをお薦めします。考えることを停止して、観ることに帰ります。そうすると、目の前の生命を観ていたということ、気一元の生命を観てこれを表現しようとしていたということがおもいだされてくることでしょう。時代によってさまざまな角度がつけられてきたわけですけれども、すべては生命を表現しようとしてきたものなのですね。

・脾胃中心の時代(先秦時代紀元前300年ころ:『素問太陰陽明論』)があり、
・仏教伝来にともなう臍下丹田―腎中心の観点を提示された時代(「後漢:紀元後100年ころ」)があり、
・人の生きる意志を重視した肝木を中心とした観点が提示された時代(清代1600年代、日本の江戸時代)があります。

臓腑を中心とする観方としては、脾胃→腎命門→肝木と推移しているようにみえますけれども、実は同じように患者さんを診、生命のありようを表現しているものであると考えています。

私たちも患者さんを診、その生命のありようを観て、「後進の得」としてすべての生命観を掌に入れて、観ることができます。そして、その多彩な観点を推し進めることもできるわけです。

言葉に囚われて、その言葉の解釈に走るようだったら、考えることそのものをやめます。考えが止んで生命を観る心の位置を確かに掴むことができたとき、古人の表現の濃淡、その表現の中心はどこにあるのかといったことを読み直ていくわけです。

一元流鍼灸術はそのようにして組み立てられていったものなのですね。
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