釈迦の悟りと難経
忘年会で私は、お釈迦様の悟りの話をしました。お釈迦様の修業の時代、道を求め続けて自身の心身を鍛え上げ、ついにはその身を飢えた虎の親子に捧げたりもしたのに、お釈迦様はほんとうの悟りに至ることはできませんでした。それはどうしてなのでしょうか。ほんとうの悟りというのはどこかにあるものなのでしょうか。お釈迦様は(その当時はゴータマシッダルタというただの泥に汚れた修行者でしかありませんでしたが)修行の果てにとうとう川の畔で倒れて死を待つような状態となってしまいました。そのとき、近所の一人の少女が、その姿を見つけ、温かい山羊の乳を与えてくれました。そこで彼の中に何が起こったのでしょう。それは、生命の歓喜が全身に走ったということです。その後、菩提樹の下で暝想し、その生命の歓喜の根源を味わい続けました。
求めていた苦行の時代には得ることができず、一杯のミルクで豁然と開いた悟りとは何だったのでしょうか。それは、自身の内側に生命があり、いつもその生命を喜んでいるということです。ひとりひとりの中に生命があり、生命があるということこそが感動の源なわけです。そしてその生命の中心は、臍下丹田にあります。それは人身の中心なのですが、そこに浸ると、宇宙を覆う光の織物の中の縦糸と横糸の交差する結び目が、私自身であるということが理解できます。この膨大な生命の宇宙の光り輝く織物の中の一つの結び目である自分自身を感じることができるわけです。
そこに意識を置くということ、それが今、ここにあるということです。これを実際的に感じ取るために、禅の修行があったのであろうと思います。この内側に潜心するために、考えることを止め、探すことを止め、ただ今ある自分に帰るわけです。
この臍下丹田を中心とした人間観が、難経が劈(ひら)いた東洋医学の宝です。このことを、私はこれからもしっかり把持し、理解を深めていきたいと思います。
忘年会で私は、お釈迦様の悟りの話をしました。お釈迦様の修業の時代、道を求め続けて自身の心身を鍛え上げ、ついにはその身を飢えた虎の親子に捧げたりもしたのに、お釈迦様はほんとうの悟りに至ることはできませんでした。それはどうしてなのでしょうか。ほんとうの悟りというのはどこかにあるものなのでしょうか。お釈迦様は(その当時はゴータマシッダルタというただの泥に汚れた修行者でしかありませんでしたが)修行の果てにとうとう川の畔で倒れて死を待つような状態となってしまいました。そのとき、近所の一人の少女が、その姿を見つけ、温かい山羊の乳を与えてくれました。そこで彼の中に何が起こったのでしょう。それは、生命の歓喜が全身に走ったということです。その後、菩提樹の下で暝想し、その生命の歓喜の根源を味わい続けました。
求めていた苦行の時代には得ることができず、一杯のミルクで豁然と開いた悟りとは何だったのでしょうか。それは、自身の内側に生命があり、いつもその生命を喜んでいるということです。ひとりひとりの中に生命があり、生命があるということこそが感動の源なわけです。そしてその生命の中心は、臍下丹田にあります。それは人身の中心なのですが、そこに浸ると、宇宙を覆う光の織物の中の縦糸と横糸の交差する結び目が、私自身であるということが理解できます。この膨大な生命の宇宙の光り輝く織物の中の一つの結び目である自分自身を感じることができるわけです。
そこに意識を置くということ、それが今、ここにあるということです。これを実際的に感じ取るために、禅の修行があったのであろうと思います。この内側に潜心するために、考えることを止め、探すことを止め、ただ今ある自分に帰るわけです。
この臍下丹田を中心とした人間観が、難経が劈(ひら)いた東洋医学の宝です。このことを、私はこれからもしっかり把持し、理解を深めていきたいと思います。
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