無明のただ中に立つ
無明―何もわからない見えない闇のただ中に、生きる意志と見続ける眼差しだけをもって立つ、これが毎回その臨床の場で行われている患者さんとの出会いです。そしてこのことは、古典を読み解く時にも、何かを真剣に理解しようとする時にも実は、背後で働いている姿勢であり、決意です。その存在を「見たい」「理解したい」「考えたい」と思う、その初発の気持ちが決意を伴い現れているわけです。
好奇心―これでは他人事のようで冷え冷えとします。愛―その通りかもしれません、親の子に対するような思い、これを愛というのであればよりしっくりとします。慈悲―黄帝内経にはそう書かれています。黄帝が衆生の苦しみを見て慈悲の心を起こしたために医学が生まれたと。信仰―造物主である神への愛が、作り出されたものへの興味の源泉となり、ついには西洋科学思想の基盤となりました。
同じ初発の動機を、真剣な眼差しを、私たちは持っているでしょうか。
「問う」ということの真剣さが「答え」を産み出します。「問い」の中には「答え」が潜んでいます。
真剣に問う、という姿勢を私たちは持っているでしょうか。世界を当たり前のこととして、何気なく生きているのではありませんか?
何も問うことのない者には何の答えも与えられることはありません。そこにあるものはただ、怠惰な現実を遂行させる曖昧模糊とした惰性的に流れる時間だけです。
真剣に問うことなしに答えを探し求め、言葉の檻の中に安住してはいませんか?
東洋医学の長い伝統のほとんどは、そのような営為の積み重ねでした。
無明のまっただ中に立つことへの恐怖が、慈悲によって紡ぎ出された言葉にすがらせ、その言葉を衣服のようにぶ厚くまとって自信のなさを補強してきたのです。その言葉は時に、自身よりも無知な他者を裁くことにまで使われることとなりました。
答えを探す者には答えは与えられず、真剣に問う者に答えが与えられます。答えだけを探す者にとっては、答え探しは一つのゲームであり言葉遊びとなり得ます。それに対して存在をかけて真剣に問う時、そこには生命が響き合うような答えが用意されています。
人生の客としてふるまい、自分の檻の中に住んで、与えられたメニューを選ぶように言葉を身にまとうことは、自分の檻を補強しているにすぎません。自分自身を闇の中に閉じ込めているその檻を補強しているにすぎないのです。
心のどこかでは檻から出ようと泣き叫んでいるのに、すでに忘れたはるか昔には自由になることを望んで泣き叫んでいたはずなのに、実際に行ってきたことは自身を閉じ込めるための檻の補強であり、新たな言葉もその檻に新たに塗られるペンキにすぎないなんて、何というパラドックスでしょうか!
その檻から出る方法は実はあるのです。自分自身の存在をかけて真剣に問うこと、自身に問いかけ続けること。そこで湧き起こる答えに素直に耳を傾けることです。それこそが「道」に入る端緒となります。
もともと東洋の思想を読むということはそういうことでした。自身の行為を通じてその尊敬する古典と対決しながら、自分自身の心の位置を確かめ確かめ磨き続けていくことによって、自身を成長させていく。これが古典を読むということでした。
ところがいつの時代からか、古典がただ記憶するための言葉となり、試験に出る古文となって、自らの魂をかけて古人と対決する姿勢を失わせてしまいました。それがいわゆる学問となって大学を支配する段となるとすでに、古典はただ文字の羅列となり学者は文字を正しく読み解くものとしての価値しか持たなくなりました。
その同じことが今、東洋医学でも起きているのではありませんか?中医学という名の古人の言葉をまとめたものが学問として輸入されて、それを症状に対して適用することによって処方が決まり配穴が決まるという、何という観念的な!何という安易な!そんな行為が行われているのではありませんか?これがいわゆる学問としての東洋医学となっているのではありませんか?
それに対して一元流鍼灸術で行われていることは、ほんとうの古典とするべきものは目の前の患者さんの身体であると見極め、その古典を読む真剣さにおいて古人と我々との差はないのだと心を定め、古典である患者さんの身体と対決することです。ここにおいて文字で書かれている古典もその生命をまったく新しいものとして賦活することができるでしょう。そしてこの位置にいることによって初めて、我々がこの現代において古典を書き始めることができるようになるのです。
東洋医学の伝統を踏まえたうえで、そのような自己を鍛錬していくことこそが、東洋医学の基礎を作り上げた古人への恩返しとなります。この恩返しを通じて蘇った東洋医学は、これからも人類の健康に奉仕し続けることができることでしょう。
無明―何もわからない見えない闇のただ中に、生きる意志と見続ける眼差しだけをもって立つ、これが毎回その臨床の場で行われている患者さんとの出会いです。そしてこのことは、古典を読み解く時にも、何かを真剣に理解しようとする時にも実は、背後で働いている姿勢であり、決意です。その存在を「見たい」「理解したい」「考えたい」と思う、その初発の気持ちが決意を伴い現れているわけです。
好奇心―これでは他人事のようで冷え冷えとします。愛―その通りかもしれません、親の子に対するような思い、これを愛というのであればよりしっくりとします。慈悲―黄帝内経にはそう書かれています。黄帝が衆生の苦しみを見て慈悲の心を起こしたために医学が生まれたと。信仰―造物主である神への愛が、作り出されたものへの興味の源泉となり、ついには西洋科学思想の基盤となりました。
同じ初発の動機を、真剣な眼差しを、私たちは持っているでしょうか。
「問う」ということの真剣さが「答え」を産み出します。「問い」の中には「答え」が潜んでいます。
真剣に問う、という姿勢を私たちは持っているでしょうか。世界を当たり前のこととして、何気なく生きているのではありませんか?
何も問うことのない者には何の答えも与えられることはありません。そこにあるものはただ、怠惰な現実を遂行させる曖昧模糊とした惰性的に流れる時間だけです。
真剣に問うことなしに答えを探し求め、言葉の檻の中に安住してはいませんか?
東洋医学の長い伝統のほとんどは、そのような営為の積み重ねでした。
無明のまっただ中に立つことへの恐怖が、慈悲によって紡ぎ出された言葉にすがらせ、その言葉を衣服のようにぶ厚くまとって自信のなさを補強してきたのです。その言葉は時に、自身よりも無知な他者を裁くことにまで使われることとなりました。
答えを探す者には答えは与えられず、真剣に問う者に答えが与えられます。答えだけを探す者にとっては、答え探しは一つのゲームであり言葉遊びとなり得ます。それに対して存在をかけて真剣に問う時、そこには生命が響き合うような答えが用意されています。
人生の客としてふるまい、自分の檻の中に住んで、与えられたメニューを選ぶように言葉を身にまとうことは、自分の檻を補強しているにすぎません。自分自身を闇の中に閉じ込めているその檻を補強しているにすぎないのです。
心のどこかでは檻から出ようと泣き叫んでいるのに、すでに忘れたはるか昔には自由になることを望んで泣き叫んでいたはずなのに、実際に行ってきたことは自身を閉じ込めるための檻の補強であり、新たな言葉もその檻に新たに塗られるペンキにすぎないなんて、何というパラドックスでしょうか!
その檻から出る方法は実はあるのです。自分自身の存在をかけて真剣に問うこと、自身に問いかけ続けること。そこで湧き起こる答えに素直に耳を傾けることです。それこそが「道」に入る端緒となります。
もともと東洋の思想を読むということはそういうことでした。自身の行為を通じてその尊敬する古典と対決しながら、自分自身の心の位置を確かめ確かめ磨き続けていくことによって、自身を成長させていく。これが古典を読むということでした。
ところがいつの時代からか、古典がただ記憶するための言葉となり、試験に出る古文となって、自らの魂をかけて古人と対決する姿勢を失わせてしまいました。それがいわゆる学問となって大学を支配する段となるとすでに、古典はただ文字の羅列となり学者は文字を正しく読み解くものとしての価値しか持たなくなりました。
その同じことが今、東洋医学でも起きているのではありませんか?中医学という名の古人の言葉をまとめたものが学問として輸入されて、それを症状に対して適用することによって処方が決まり配穴が決まるという、何という観念的な!何という安易な!そんな行為が行われているのではありませんか?これがいわゆる学問としての東洋医学となっているのではありませんか?
それに対して一元流鍼灸術で行われていることは、ほんとうの古典とするべきものは目の前の患者さんの身体であると見極め、その古典を読む真剣さにおいて古人と我々との差はないのだと心を定め、古典である患者さんの身体と対決することです。ここにおいて文字で書かれている古典もその生命をまったく新しいものとして賦活することができるでしょう。そしてこの位置にいることによって初めて、我々がこの現代において古典を書き始めることができるようになるのです。
東洋医学の伝統を踏まえたうえで、そのような自己を鍛錬していくことこそが、東洋医学の基礎を作り上げた古人への恩返しとなります。この恩返しを通じて蘇った東洋医学は、これからも人類の健康に奉仕し続けることができることでしょう。
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