■補瀉一体論 8 生命力の観点から再度補瀉を考える
生命力の観点から補瀉を考えるということは、どういうことなのでしょうか。
たとえば食事を摂るということは、身体にとってもっとも基本的で大切なことです。それが足りなければ生命力は弱り、過剰になっても生命力は弱ります。ちょうど良く食事を摂ることが大変難しいということは特に、気虚―生命力の弱さを経験されている方々の深く自覚するところでしょう。
基本的な生活の中でも基本的な、食事を摂ることにおいてさえ、その摂り方によって、生命力を養う方向に働く場合と、削ぐ方向に働く場合とがあります。入浴においても、入浴後に元気になる方もいれば、疲れが出てしまう方もいます。便通がつくということにおいても、便通後すっきりする方もいれば、便通があることによって疲れてしまいしばらくトイレから出てこれないとか、便通のあと少し寝て体力を回復する必要があるという方がいます。生命力にとってはいわゆる生理的な課題でさえ、それをクリアーすることが、生命力を養う方向に働くのか生命力を削ぐ方向に働くか、わかれるものなのですね。このことは、日々の臨床の上でも気をつけるべき、とてもたいせつなこととなります。
生命力の観点から補瀉を考えるということは、どういうことなのでしょうか。
たとえば食事を摂るということは、身体にとってもっとも基本的で大切なことです。それが足りなければ生命力は弱り、過剰になっても生命力は弱ります。ちょうど良く食事を摂ることが大変難しいということは特に、気虚―生命力の弱さを経験されている方々の深く自覚するところでしょう。
基本的な生活の中でも基本的な、食事を摂ることにおいてさえ、その摂り方によって、生命力を養う方向に働く場合と、削ぐ方向に働く場合とがあります。入浴においても、入浴後に元気になる方もいれば、疲れが出てしまう方もいます。便通がつくということにおいても、便通後すっきりする方もいれば、便通があることによって疲れてしまいしばらくトイレから出てこれないとか、便通のあと少し寝て体力を回復する必要があるという方がいます。生命力にとってはいわゆる生理的な課題でさえ、それをクリアーすることが、生命力を養う方向に働くのか生命力を削ぐ方向に働くか、わかれるものなのですね。このことは、日々の臨床の上でも気をつけるべき、とてもたいせつなこととなります。
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