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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

..腹診からみる日本医学


腹診そのものについての記載は『難経』や『傷寒論』にもあるわけですけれども、腹診という一つの診断項目を定め深めていったのは、日本における東洋医学を特徴付けるできごとです。支那大陸においては高貴な人の腹を診るということがはばかられたため、この診察方法が発達しなかったということもありますが、ここにはそれ以上に大きな文化的な特徴が存在します。

この文化的な相違の中心となるものは、江戸時代に入るまで日本における文化の担い手が僧侶であり、ことに鎌倉時代の末期以降は禅僧がその中心となっていたということです。日本の伝統的な風俗である神道と結びついた形で皇室を中心として発展した仏教は、文字情報とその思想ともに日本の隅々まで行き渡ります。この日本における悟りの探求の過程において始めて、「腹の思想」が深められ臍下丹田を意識するということの大切さが実感されていきました。

仏道修行における座禅が、病の治療方法としての腹部の認識を指し示していることに気づき、安土桃山時代までにいったんの完成をみたものが夢分流の腹診法です。


...命門の位置の移動

支那大陸における医学思想は、道教の元となる黄老道をその中心とします。黄老道の思想を一言で言うと、天と人とを対応関係として把え、天をよく見ることで人の運命がわかるという考え方に基づいて発展した天文学と、天地を分析的に解釈するための道具としての陰陽五行論とが組み合わさったものです。その思想―人間観に基づいて体表観察などをして得た情報を分析し、人の身体を捉えなおしていったものが、『黄帝内経』という東洋医学の基本経典として結実しているわけです。

前漢から後漢にかけてまとめられたこの『黄帝内経』において「命門」は目に位置づけられています。これに対して後漢の中期以降に作られた『難経』において「命門」は右腎に位置づけられています。「命門」と名づけられているもっとも大切にすべき場所の位置が目から臍下丹田に移動しているということはどういうことなのでしょうか。これは、意識の中心を置く位置が、目から臍下に移動していることを示しています。ここにおいて『黄帝内経』と『難経』の間でその身体観が大きく変化しているわけです。ここには実は、医学の背景となる人間観の変化があったのであろうと私は考えています。

すなわち『黄帝内経』の医学思想の背景にあるのは黄老道であるのに対して、『難経』が書かれた時代にはすでに仏教が入り込んでいて、この仏教思想に基づいて『難経』は医学思想を書き換えたのではないかと考えられるわけです。奇しくも『難経』が書かれたと同じ時代に道教は発生しています。これも仏教を縁として支那大陸における民間の宗教思想を守るために教義を定め教団としてまとめられたものでしょう。

それはともかく、『黄帝内経』と『難経』との間には人間観の違いが明確に存在しているわけです。『難経』は単に『黄帝内経』における難しく解釈しにくいところを解き明かした書物ではないのです。


...難経流腹診と難経鉄鑑

『難経』で展開された臍下丹田を中心とした身体観が日本において大きく開花した理由は、僧侶が文化の担い手であったためでしょう。これにしたがい、臍下丹田を命門とするという身体観に基づく難経流腹診が広く実践されるようになりました。

その身体観の大きな成果と言えるものが、『難経鉄鑑』における六十六難の図です。ここにおいて、腎間の動気・命門の火・三焦・営衛が統一的に考えられ、内なる臓腑と外なる経絡との関係の軽重が明確に理解されることとなりました。

この統一された身体認識とそれに基づいた身体観こそ、日本医学の大きな特徴をなしているものであると私は考えています。
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