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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■気虚と気滞は一体


生命には気虚と気滞としかないし、気虚があれば気滞となりやすく、気滞があれば気虚になりやすいということは常々、一元流鍼灸術では述べられていることです。気虚と気滞とは、言葉としては別の言葉なのですが、実は生命力の状態を二つの方向から表現している言葉に過ぎません。

気虚気滞という言葉を別の言葉で表現するならば、気の濃淡、生命力の陰翳、などという言葉となるでしょう。すなわち、絶対的な気虚や絶対的な気滞というものは生命にとっては存在せず、気の濃淡のある生命力の陰翳のみが実際にはそこにあるだけなのです。森を散歩しているときに、陽射しがあるとそれを陽と呼び、葉によって陽射しが遮られるとそれを陰と呼ぶようなものです。同じ森の時によって変化する表情を、陰陽という言葉で呼び、気虚気滞という言葉で呼んでいるだけのことです。

気虚気滞という言葉を、気の2種類の状態と考えてしまうところから、虚実論の迷妄が始まっています。虚実転変する状況にあることを理解することができないのに対処方法を固定してしまうところから、補瀉論の迷妄が始まっています。まさに作られた言葉に踊らされて、実体を見失うということが、陰陽五行論と同じように、ここでもまた起きているわけです。


さて、全身の気虚気滞の状態を眺め診るために弁証論治はおこなわれます。そしてそれを調えるために、一点の経穴を通じて鍼灸師は処置を行います。身心という大きな気一元の世界の気の濃淡を眺めながら、現れている経穴の意味を考えて選穴し、処置を行い、気の偏在を調えようとするわけです。「気の偏在を調えることが治療の本義」であるという思想が、ここには実は隠されています。

人の生命力は、自分でバランスを取る―取り戻す強い力があります。鍼灸師が実は失敗してバランスを崩すような処置を患者さんに行ったとしても、それに対する反発力が起こって、かえって、患者さんの強い生命力が自らの力でバランスを取り戻すという場合も非常に多いわけです。

その自力回復の力を越えて患者さんを傷つけることができるなら、その患者さんの生命力を傷ることができると言えます。それは、武道における殺人拳や、武器による損傷や、さまざまな事故などの場合に限られますから、鍼灸治療における微細な手技によって患者さんの生命力を損なうことができるわけでは、基本的にありません。
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