■充実した生命力とは
東洋医学における免疫は、生命力を充実させる、ということにおかれています。
生命力を充実させるということはどういうことかというと、代謝を良くしながら、生命力の根源である腎気を充実させるということになります。
生命力の根源である腎を充実させるとはどういうことかというと、他の四臟(心・肺・脾・肝)のバランスが取れる状態を保ち、本人の生命力に少しゆとりをもたせるということです。それによって初めて、腎が充実していくことができるためです。他の四臟(心・肺・脾・肝)といいますけれども、単に数字の四としてバランスが取れているかいないかということではありません。脾であれば良く消化し消化したものを排泄したり吸収したりし、肺であれば外衛(体表)の生命力を充実させて外敵から身を守りながら呼吸を淡々と行い、心であれば他臓の調和の上に立って生命力の輝きを発揮し、肝であれば諸蔵の弱さを補いながら、過度に動きすぎないといった、それぞれの役割を十分に果たしていなければなりません。それはまさに、肝木の身体観から眺めたダイナミックな生命のバランスがとれていなければならないということになります。
そのようなバランスが取れているとき、腎は全身のバランスの中心となり、生命力を貯蓄していく余裕ができてくるわけです。
代謝を良くすること、全身の生命力のバランスを取っていくこと、その結果として生命力の貯蓄としての腎を充実させていくということ。これが生命力を充実させていく基礎となります。このことを、古くから述べているため、東洋医学は未病を治す医学であると呼ばれています。そしてこれはすなわち、養生の目的でもあるわけです。
この章ではこのことについて、もう少し深く触れていくことにします。
さて、それでは、生命力が充実しているということを、二つの側面から検討していきます。
その一つは、生命の活力を上げるということであり、もう一つは、生命力の器が充実しているということです。これは、「もの」としての生命力が充実しておりかつ、「動き」としての生命力が活発に保たれていることが、生命力が充実していく上で必要であるということを意味しています。
この「動き」の側面を、敏感さと鈍感さというものさしでみていきます。いわば変化の速度を測るものさしです。そして「もの」の側面を、大きさと小ささというものさし(量)と、粗さときめ細かさ(質)というものさしでみていきます。形となっているものの質と量とを量るわけです。
これらの問題については、テキスト『一元流鍼灸術の門』の第二章「一元」に、「器」の盛衰として詳細な考察が書かれています。
書物では30ページから52ページまで。
WEBでは、
http://1gen.jp/1GEN/1GEN01.HTM 総説
http://1gen.jp/1GEN/1GEN02.HTM 一元の器
http://1gen.jp/1GEN/1GEN03.HTM 誕生
http://1gen.jp/1GEN/1GEN04.HTM 成長
http://1gen.jp/1GEN/1GEN05.HTM 成熟
http://1gen.jp/1GEN/1GEN06.HTM 生命の森
http://1gen.jp/1GEN/1GEN07.HTM 老化
http://1gen.jp/1GEN/1GEN08.HTM 死
に至るページとなります。
さて、代謝が活発に行われている状態というのは、このものとしての器が敏感に動いて、その大小、粗密の状態を変化させていく、速度が速いということを意味しています。子供の頃はより速く、年老いていくと遅くなっていくということは良く言われることです。けれどもここには個人差が非常に大きいということもまた、事実です。
安定した器がありながら変化(代謝)が速いことこそ、東洋医学の目指す健康な状態です。鍼灸師は生命力のバランスをとるということを考えて治療します。バランスをとるということは、生命力が安定しているということです。バランスを崩しているからその生命には問題が起こる。バランスが取れていれば多くの問題は自然に解決していく。そういう発想です。
理解しなければならないことは、速度が速いすなわち代謝が速いということは、バランスを崩しやすいということにつながります。また逆に、崩したバランスを手早く取り戻しやすい、安定した状態に戻しやすいとも言えます。変化の速度が速いわけです。このため、代謝がよいということを身体を新鮮な状態に保つキーワードとする場合もあります。
しかしその逆に、体調を崩しやすくさまざまな症状に悩まされている人は、この敏感な人に多いということになります。敏感な人は多病ですが、生命力が弱いわけではありません。鈍感な人は無病ですが、生命力が充実しているわけではありません。病の多寡、症状の有無で、個々人の生命力の充実度を推し量ることはできないのです。
外界や内界への対応が速く正確にでき、その器が十分に大きいにも関わらず、密度が充実している状態が、生命力のもっとも充実している状態です。これは、代謝が良くても、過敏にはならず、倒れない器の大きさを持ち、内部が充実している状態であると言い換えることができます。
冒頭にも述べましたが、この生命力が充実しているということが、免疫力が充実しているということであると、東洋医学では言えます。けれども外邪が強い場合には、いかに充実した生命力を持っているとしても、免疫の砦は傷られて、病むときは病み、死ぬときは死ぬということになります。
東洋医学における免疫は、生命力を充実させる、ということにおかれています。
生命力を充実させるということはどういうことかというと、代謝を良くしながら、生命力の根源である腎気を充実させるということになります。
生命力の根源である腎を充実させるとはどういうことかというと、他の四臟(心・肺・脾・肝)のバランスが取れる状態を保ち、本人の生命力に少しゆとりをもたせるということです。それによって初めて、腎が充実していくことができるためです。他の四臟(心・肺・脾・肝)といいますけれども、単に数字の四としてバランスが取れているかいないかということではありません。脾であれば良く消化し消化したものを排泄したり吸収したりし、肺であれば外衛(体表)の生命力を充実させて外敵から身を守りながら呼吸を淡々と行い、心であれば他臓の調和の上に立って生命力の輝きを発揮し、肝であれば諸蔵の弱さを補いながら、過度に動きすぎないといった、それぞれの役割を十分に果たしていなければなりません。それはまさに、肝木の身体観から眺めたダイナミックな生命のバランスがとれていなければならないということになります。
そのようなバランスが取れているとき、腎は全身のバランスの中心となり、生命力を貯蓄していく余裕ができてくるわけです。
代謝を良くすること、全身の生命力のバランスを取っていくこと、その結果として生命力の貯蓄としての腎を充実させていくということ。これが生命力を充実させていく基礎となります。このことを、古くから述べているため、東洋医学は未病を治す医学であると呼ばれています。そしてこれはすなわち、養生の目的でもあるわけです。
この章ではこのことについて、もう少し深く触れていくことにします。
さて、それでは、生命力が充実しているということを、二つの側面から検討していきます。
その一つは、生命の活力を上げるということであり、もう一つは、生命力の器が充実しているということです。これは、「もの」としての生命力が充実しておりかつ、「動き」としての生命力が活発に保たれていることが、生命力が充実していく上で必要であるということを意味しています。
この「動き」の側面を、敏感さと鈍感さというものさしでみていきます。いわば変化の速度を測るものさしです。そして「もの」の側面を、大きさと小ささというものさし(量)と、粗さときめ細かさ(質)というものさしでみていきます。形となっているものの質と量とを量るわけです。
これらの問題については、テキスト『一元流鍼灸術の門』の第二章「一元」に、「器」の盛衰として詳細な考察が書かれています。
書物では30ページから52ページまで。
WEBでは、
http://1gen.jp/1GEN/1GEN01.HTM 総説
http://1gen.jp/1GEN/1GEN02.HTM 一元の器
http://1gen.jp/1GEN/1GEN03.HTM 誕生
http://1gen.jp/1GEN/1GEN04.HTM 成長
http://1gen.jp/1GEN/1GEN05.HTM 成熟
http://1gen.jp/1GEN/1GEN06.HTM 生命の森
http://1gen.jp/1GEN/1GEN07.HTM 老化
http://1gen.jp/1GEN/1GEN08.HTM 死
に至るページとなります。
さて、代謝が活発に行われている状態というのは、このものとしての器が敏感に動いて、その大小、粗密の状態を変化させていく、速度が速いということを意味しています。子供の頃はより速く、年老いていくと遅くなっていくということは良く言われることです。けれどもここには個人差が非常に大きいということもまた、事実です。
安定した器がありながら変化(代謝)が速いことこそ、東洋医学の目指す健康な状態です。鍼灸師は生命力のバランスをとるということを考えて治療します。バランスをとるということは、生命力が安定しているということです。バランスを崩しているからその生命には問題が起こる。バランスが取れていれば多くの問題は自然に解決していく。そういう発想です。
理解しなければならないことは、速度が速いすなわち代謝が速いということは、バランスを崩しやすいということにつながります。また逆に、崩したバランスを手早く取り戻しやすい、安定した状態に戻しやすいとも言えます。変化の速度が速いわけです。このため、代謝がよいということを身体を新鮮な状態に保つキーワードとする場合もあります。
しかしその逆に、体調を崩しやすくさまざまな症状に悩まされている人は、この敏感な人に多いということになります。敏感な人は多病ですが、生命力が弱いわけではありません。鈍感な人は無病ですが、生命力が充実しているわけではありません。病の多寡、症状の有無で、個々人の生命力の充実度を推し量ることはできないのです。
外界や内界への対応が速く正確にでき、その器が十分に大きいにも関わらず、密度が充実している状態が、生命力のもっとも充実している状態です。これは、代謝が良くても、過敏にはならず、倒れない器の大きさを持ち、内部が充実している状態であると言い換えることができます。
冒頭にも述べましたが、この生命力が充実しているということが、免疫力が充実しているということであると、東洋医学では言えます。けれども外邪が強い場合には、いかに充実した生命力を持っているとしても、免疫の砦は傷られて、病むときは病み、死ぬときは死ぬということになります。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://1gen.blog101.fc2.com/tb.php/361-4038bc15