一をもってこれを貫く
一元流鍼灸術という名前の通り、一元流鍼灸術では一について学んでいます。気一元の生命、その表現としてのさまざまな診断部位の再発見。そしてその位置の個性にしたがったそれぞれの診断部位の特徴に基づいた診方。そしてより小さく傾きが多く個性的な経穴診までを統一された考えかたでみていこうとしています。
そのため、学び、診、感じとり、アプローチするということについて、これまで語り続けているわけです。一の観点というのは、基礎から応用まで自在に対処していくことのできる魔法の杖のようなものです。ただしこの杖を使うには条件があります。それは自分で感じ自分で考えるということです。この部分を誰かに頼っているようではいつまでたっても応用自在の位置を得ることはできません。
産まれるということは父母の精が合体して一つとなることから始まります。これが生命の始まりです。死ぬということはその気一元の生命が陰陽に離乖するということです。この陰陽離乖の姿を、魂魄が分かれるとも表現します。肉体と精神との分離ともいいますし、肉体と魂とが分かれることともいいますし、肉体から魂が抜けるという表現をすることもあります。陰陽に分離する以前が生命があるときで、生きているときです。この生きているときに病気になります。ですから死と生とはそのあり様がまったく異なるものです。統合されているものが生であり分離されているものが死であるともいえます。
一としてまとまっているときは生き、分離するときは死ぬ。この概念は経穴の状態を見る経穴診や全身の状態を診る脉診も含めて、すべての診断法に応用することができます。
一元流鍼灸術という名前の通り、一元流鍼灸術では一について学んでいます。気一元の生命、その表現としてのさまざまな診断部位の再発見。そしてその位置の個性にしたがったそれぞれの診断部位の特徴に基づいた診方。そしてより小さく傾きが多く個性的な経穴診までを統一された考えかたでみていこうとしています。
そのため、学び、診、感じとり、アプローチするということについて、これまで語り続けているわけです。一の観点というのは、基礎から応用まで自在に対処していくことのできる魔法の杖のようなものです。ただしこの杖を使うには条件があります。それは自分で感じ自分で考えるということです。この部分を誰かに頼っているようではいつまでたっても応用自在の位置を得ることはできません。
産まれるということは父母の精が合体して一つとなることから始まります。これが生命の始まりです。死ぬということはその気一元の生命が陰陽に離乖するということです。この陰陽離乖の姿を、魂魄が分かれるとも表現します。肉体と精神との分離ともいいますし、肉体と魂とが分かれることともいいますし、肉体から魂が抜けるという表現をすることもあります。陰陽に分離する以前が生命があるときで、生きているときです。この生きているときに病気になります。ですから死と生とはそのあり様がまったく異なるものです。統合されているものが生であり分離されているものが死であるともいえます。
一としてまとまっているときは生き、分離するときは死ぬ。この概念は経穴の状態を見る経穴診や全身の状態を診る脉診も含めて、すべての診断法に応用することができます。
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