■ 問:器の概念について2
259ページの「器の盛衰」を読みましたが、自分の中で器の概念を
イメージすることができません。34ページの「一元の器」を読み直しても
やはり混沌としています。
器の状態を表す尺度として、
敏感か鈍感か、大きいか小さいか、密度が緊密か粗いか、があり、
成長期には、器は敏感で、小さく、密度が緊密。
老年期には、器は鈍感で、大きく、密度が粗い。
というのはなんとなく納得できるのですが、その他の場合が想像できません。
敏感で大きいけど密度が粗いとか、鈍感で小さいけど密度が緊密とか、
あり得るのでしょうか?
その場合、例えば風邪を引いたとき、どのような反応になるのでしょう?
また、敏感・鈍感は、本人の自覚とは関係ありますか?
器の概念を考えるためのヒント、または例え話等をいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
■ 答
器の概念というのは、一つの生命を陰陽という観点五行という観点から診ていくときの舞台となる生命そのものの状況のことです。現時点での生命状況が財布の中のお金の出し入れの状況であるとすれば、器というのはその背景にある資産、ということになります。ですから当然、固定化しているものではなく変化していくものです。変化していくものですけれども、財布の中の変化よりも大きな流れの中でゆったりと変化していくものです。
器が敏感で大きいけれども密度が粗いという場合は、ちょっとのことでも風邪をひきやすく、胃腸にきたり発熱したりとさまざまな症状を出して大騒ぎするけれども死ぬところまでは行かない段階です。けれども無理を続けていると、徐々に器が小さくなり鈍感になっていきます。そうしてあっという間に頓死する可能性が出てくるわけです。
器が鈍感で小さいけれども密度が緊密な人は、風邪をひきにくい人です。鈍感ですから症状は出にくいわけですけれども、器が緊密にできているのでそもそも風邪をひきにくい。いわば小さな器が前者とは異なり大きくなっていく可能性が高いものです。ということは器も大きくなっていきやすい状態です。
とは言っても両者とも、生活状況によってどのようにも変化しますので一概に語ることはできません。現在の器の状況を想定したうえで、どのように傾いていくのか、どのように傾いていくとよりしっかりした器の状況を身につけることができるかということを考えていくことが、治療方針を考えるということです。
器を述べる場合の敏感さ鈍感さというのは、身体が具えている状態について述べています。本人の感受性は、身体に向いている場合もありますけれども多くの場合は勉強や趣味に向いていますので、器の敏感さ鈍感さとリンクすることはあまりないのではないかと思います。
これで説明になっていますでしょうか。
この器の概念は古典にはないものです。弁証論治を考え病因病理を考えていく中から生まれてきた、一元流鍼灸術の独創によるものです。けれどもこの概念がないと、生命を診るという中身そのものが危い疑わしいものとなってしまいます。変化の中で観ていくということを前提としつつ考えを深めていってください。
■ 問
器の概念について説明いただき、ありがとうございます。
お財布と資産の例え、おもしろいなと思いました。
> 器が敏感で大きいけれども密度が粗いという場合は、ちょっとのこ
> とでも風邪をひきやすく、胃腸にきたり発熱したりとさまざまな症
> 状を出して大騒ぎするけれども死ぬところまでは行かない段階です。
> けれども無理を続けていると、徐々に器が小さくなり鈍感になって
> いきます。そうしてあっという間に頓死する可能性が出てくるわけ
> です。
>
>
> 器が鈍感で小さいけれども密度が緊密な人は、風邪をひきにくい人
> です。鈍感ですから症状は出にくいわけですけれども、器が緊密に
> できているのでそもそも風邪をひきにくい。いわば小さな器が前者
> とは異なり大きくなっていく可能性が高いものです。ということは
> 器も大きくなっていきやすい状態です。
この例えで、新たに感じたことは、
・緊密だと、今後、器が大きくなる可能性が高い
・粗いと、今後、器が小さくなる可能性が高い
というように、器の今後の変化の目安になるのかな、ということでした。
そしてまた、器が緊密であり続けるのは難しいのかな?という疑問も
出てきました。
理想の器としては、敏感で、大きくて、密度が緊密なのがいいのかなと
なんとなく思っていたのですが…
緊密だと、器が大きくなり、密度も粗くなる?
再び緊密になったとてしも、また器が大きくなり、粗くなる…?
でも器が大きくなるにも限界がありそうだし…
ん?そもそも大きくなっても、密度は緊密なままなのかも?
疑問が疑問をよびます…分かっていない証拠ですね(笑)
[器]という単語に囚われすぎているのかもしれません。
> 器を述べる場合の敏感さ鈍感さというのは、身体が具えている状態
> について述べています。本人の感受性は、身体に向いている場合も
> ありますけれども多くの場合は勉強や趣味に向いていますので、器
> の敏感さ鈍感さとリンクすることはあまりないのではないかと思い
> ます。
それでは、敏感・鈍感かは、施術者が問診や切診を通して、推測する
わけですね。(大きさや密度についても同様ですよね)
> この器の概念は古典にはないものです。弁証論治を考え病因病理を
> 考えていく中から生まれてきた、一元流鍼灸術の独創によるもので
> す。けれどもこの概念がないと、生命を診るという中身そのものが
> いかがわしいものとなってしまいます。変化の中で観ていくという
> ことを前提としつつ考えを深めていってください。
とっても大事な概念…がんばって取り組みます!
■ 答
> この例えで、新たに感じたことは、
> ・緊密だと、今後、器が大きくなる可能性が高い
> ・粗いと、今後、器が小さくなる可能性が高い
> というように、器の今後の変化の目安になるのかな、ということでした。
そういうことです。
> そしてまた、器が緊密であり続けるのは難しいのかな?という疑
> 問も出てきました。
そういうことです。自然に緊密である場合には、充実していく感じ
があります。気力が溜まっていく状態です。成長期です。成長期で
もないのに緊密さを保とうとしてすると、肝気を張ってごまかすこ
とになります。さらに病的になってくると、実力以上の自分を出そ
うとして肝気を張り腎気が損傷されて悪循環を起こすことになりま
す。また、腎気が損傷されて今まで通りの緊密さを自然には保てな
いにもかかわらず頑張って表面を繕うこともあります。このあたり
の状態を腎虚肝鬱などと表現しています。
> 理想の器としては、敏感で、大きくて、密度が緊密なのがいいのかなと
> なんとなく思っていたのですが…
そうなんです。がそこは生物ですので、より敏感でより大きくてよ
り緊密な状態へと成長していく、という表現となります。理想の状
態というのはないということですね。それぞれのその状態が今ある
ということです。そして、今のその状態を受け入れ、それを育てる
にはどのような方向を向いていけばいいのか、ということを考えて
いくことになります。ここを我々は手助けしていくわけです。
> > 器を述べる場合の敏感さ鈍感さというのは、身体が具えている状態
> > について述べています。本人の感受性は、身体に向いている場合も
> > ありますけれども多くの場合は勉強や趣味に向いていますので、器
> > の敏感さ鈍感さとリンクすることはあまりないのではないかと思い
> > ます。
>
> それでは、敏感・鈍感かは、施術者が問診や切診を通して、推測する
> わけですね。(大きさや密度についても同様ですよね)
そういうことになります。
■ お礼
疑問に答えていただき、ありがとうございました。
>> そしてまた、器が緊密であり続けるのは難しいのかな?という疑
>> 問も出てきました。
>
> そういうことです。自然に緊密である場合には、充実していく感じ
> があります。気力が溜まっていく状態です。成長期です。成長期で
> もないのに緊密さを保とうとしてすると、肝気を張ってごまかすこ
> とになります。さらに病的になってくると、実力以上の自分を出そ
> うとして肝気を張り腎気が損傷されて悪循環を起こすことになりま
> す。また、腎気が損傷されて今まで通りの緊密さを自然には保てな
> いにもかかわらず頑張って表面を繕うこともあります。このあたり
> の状態を腎虚肝鬱などと表現しています。
大変、勉強になります。別の意味で、耳が痛いです(笑)
>> 理想の器としては、敏感で、大きくて、密度が緊密なのがいいのかなと
>> なんとなく思っていたのですが…
>
> そうなんです。がそこは生物ですので、より敏感でより大きくてよ
> り緊密な状態へと成長していく、という表現となります。理想の状
> 態というのはないということですね。それぞれのその状態が今ある
> ということです。そして、今のその状態を受け入れ、それを育てる
> にはどのような方向を向いていけばいいのか、ということを考えて
> いくことになります。ここを手助けしていくわけです。
実際に、常に変化していく状況を把握し、舵を取るのは難しそうですね。
そのさじ加減は、臨床経験を積みながら、学んでいくわけですね。
どうもありがとうございました。
また新たな疑問が出た際には、質問させていただきます。
259ページの「器の盛衰」を読みましたが、自分の中で器の概念を
イメージすることができません。34ページの「一元の器」を読み直しても
やはり混沌としています。
器の状態を表す尺度として、
敏感か鈍感か、大きいか小さいか、密度が緊密か粗いか、があり、
成長期には、器は敏感で、小さく、密度が緊密。
老年期には、器は鈍感で、大きく、密度が粗い。
というのはなんとなく納得できるのですが、その他の場合が想像できません。
敏感で大きいけど密度が粗いとか、鈍感で小さいけど密度が緊密とか、
あり得るのでしょうか?
その場合、例えば風邪を引いたとき、どのような反応になるのでしょう?
また、敏感・鈍感は、本人の自覚とは関係ありますか?
器の概念を考えるためのヒント、または例え話等をいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
■ 答
器の概念というのは、一つの生命を陰陽という観点五行という観点から診ていくときの舞台となる生命そのものの状況のことです。現時点での生命状況が財布の中のお金の出し入れの状況であるとすれば、器というのはその背景にある資産、ということになります。ですから当然、固定化しているものではなく変化していくものです。変化していくものですけれども、財布の中の変化よりも大きな流れの中でゆったりと変化していくものです。
器が敏感で大きいけれども密度が粗いという場合は、ちょっとのことでも風邪をひきやすく、胃腸にきたり発熱したりとさまざまな症状を出して大騒ぎするけれども死ぬところまでは行かない段階です。けれども無理を続けていると、徐々に器が小さくなり鈍感になっていきます。そうしてあっという間に頓死する可能性が出てくるわけです。
器が鈍感で小さいけれども密度が緊密な人は、風邪をひきにくい人です。鈍感ですから症状は出にくいわけですけれども、器が緊密にできているのでそもそも風邪をひきにくい。いわば小さな器が前者とは異なり大きくなっていく可能性が高いものです。ということは器も大きくなっていきやすい状態です。
とは言っても両者とも、生活状況によってどのようにも変化しますので一概に語ることはできません。現在の器の状況を想定したうえで、どのように傾いていくのか、どのように傾いていくとよりしっかりした器の状況を身につけることができるかということを考えていくことが、治療方針を考えるということです。
器を述べる場合の敏感さ鈍感さというのは、身体が具えている状態について述べています。本人の感受性は、身体に向いている場合もありますけれども多くの場合は勉強や趣味に向いていますので、器の敏感さ鈍感さとリンクすることはあまりないのではないかと思います。
これで説明になっていますでしょうか。
この器の概念は古典にはないものです。弁証論治を考え病因病理を考えていく中から生まれてきた、一元流鍼灸術の独創によるものです。けれどもこの概念がないと、生命を診るという中身そのものが危い疑わしいものとなってしまいます。変化の中で観ていくということを前提としつつ考えを深めていってください。
■ 問
器の概念について説明いただき、ありがとうございます。
お財布と資産の例え、おもしろいなと思いました。
> 器が敏感で大きいけれども密度が粗いという場合は、ちょっとのこ
> とでも風邪をひきやすく、胃腸にきたり発熱したりとさまざまな症
> 状を出して大騒ぎするけれども死ぬところまでは行かない段階です。
> けれども無理を続けていると、徐々に器が小さくなり鈍感になって
> いきます。そうしてあっという間に頓死する可能性が出てくるわけ
> です。
>
>
> 器が鈍感で小さいけれども密度が緊密な人は、風邪をひきにくい人
> です。鈍感ですから症状は出にくいわけですけれども、器が緊密に
> できているのでそもそも風邪をひきにくい。いわば小さな器が前者
> とは異なり大きくなっていく可能性が高いものです。ということは
> 器も大きくなっていきやすい状態です。
この例えで、新たに感じたことは、
・緊密だと、今後、器が大きくなる可能性が高い
・粗いと、今後、器が小さくなる可能性が高い
というように、器の今後の変化の目安になるのかな、ということでした。
そしてまた、器が緊密であり続けるのは難しいのかな?という疑問も
出てきました。
理想の器としては、敏感で、大きくて、密度が緊密なのがいいのかなと
なんとなく思っていたのですが…
緊密だと、器が大きくなり、密度も粗くなる?
再び緊密になったとてしも、また器が大きくなり、粗くなる…?
でも器が大きくなるにも限界がありそうだし…
ん?そもそも大きくなっても、密度は緊密なままなのかも?
疑問が疑問をよびます…分かっていない証拠ですね(笑)
[器]という単語に囚われすぎているのかもしれません。
> 器を述べる場合の敏感さ鈍感さというのは、身体が具えている状態
> について述べています。本人の感受性は、身体に向いている場合も
> ありますけれども多くの場合は勉強や趣味に向いていますので、器
> の敏感さ鈍感さとリンクすることはあまりないのではないかと思い
> ます。
それでは、敏感・鈍感かは、施術者が問診や切診を通して、推測する
わけですね。(大きさや密度についても同様ですよね)
> この器の概念は古典にはないものです。弁証論治を考え病因病理を
> 考えていく中から生まれてきた、一元流鍼灸術の独創によるもので
> す。けれどもこの概念がないと、生命を診るという中身そのものが
> いかがわしいものとなってしまいます。変化の中で観ていくという
> ことを前提としつつ考えを深めていってください。
とっても大事な概念…がんばって取り組みます!
■ 答
> この例えで、新たに感じたことは、
> ・緊密だと、今後、器が大きくなる可能性が高い
> ・粗いと、今後、器が小さくなる可能性が高い
> というように、器の今後の変化の目安になるのかな、ということでした。
そういうことです。
> そしてまた、器が緊密であり続けるのは難しいのかな?という疑
> 問も出てきました。
そういうことです。自然に緊密である場合には、充実していく感じ
があります。気力が溜まっていく状態です。成長期です。成長期で
もないのに緊密さを保とうとしてすると、肝気を張ってごまかすこ
とになります。さらに病的になってくると、実力以上の自分を出そ
うとして肝気を張り腎気が損傷されて悪循環を起こすことになりま
す。また、腎気が損傷されて今まで通りの緊密さを自然には保てな
いにもかかわらず頑張って表面を繕うこともあります。このあたり
の状態を腎虚肝鬱などと表現しています。
> 理想の器としては、敏感で、大きくて、密度が緊密なのがいいのかなと
> なんとなく思っていたのですが…
そうなんです。がそこは生物ですので、より敏感でより大きくてよ
り緊密な状態へと成長していく、という表現となります。理想の状
態というのはないということですね。それぞれのその状態が今ある
ということです。そして、今のその状態を受け入れ、それを育てる
にはどのような方向を向いていけばいいのか、ということを考えて
いくことになります。ここを我々は手助けしていくわけです。
> > 器を述べる場合の敏感さ鈍感さというのは、身体が具えている状態
> > について述べています。本人の感受性は、身体に向いている場合も
> > ありますけれども多くの場合は勉強や趣味に向いていますので、器
> > の敏感さ鈍感さとリンクすることはあまりないのではないかと思い
> > ます。
>
> それでは、敏感・鈍感かは、施術者が問診や切診を通して、推測する
> わけですね。(大きさや密度についても同様ですよね)
そういうことになります。
■ お礼
疑問に答えていただき、ありがとうございました。
>> そしてまた、器が緊密であり続けるのは難しいのかな?という疑
>> 問も出てきました。
>
> そういうことです。自然に緊密である場合には、充実していく感じ
> があります。気力が溜まっていく状態です。成長期です。成長期で
> もないのに緊密さを保とうとしてすると、肝気を張ってごまかすこ
> とになります。さらに病的になってくると、実力以上の自分を出そ
> うとして肝気を張り腎気が損傷されて悪循環を起こすことになりま
> す。また、腎気が損傷されて今まで通りの緊密さを自然には保てな
> いにもかかわらず頑張って表面を繕うこともあります。このあたり
> の状態を腎虚肝鬱などと表現しています。
大変、勉強になります。別の意味で、耳が痛いです(笑)
>> 理想の器としては、敏感で、大きくて、密度が緊密なのがいいのかなと
>> なんとなく思っていたのですが…
>
> そうなんです。がそこは生物ですので、より敏感でより大きくてよ
> り緊密な状態へと成長していく、という表現となります。理想の状
> 態というのはないということですね。それぞれのその状態が今ある
> ということです。そして、今のその状態を受け入れ、それを育てる
> にはどのような方向を向いていけばいいのか、ということを考えて
> いくことになります。ここを手助けしていくわけです。
実際に、常に変化していく状況を把握し、舵を取るのは難しそうですね。
そのさじ加減は、臨床経験を積みながら、学んでいくわけですね。
どうもありがとうございました。
また新たな疑問が出た際には、質問させていただきます。
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