■『鍼灸真髄』の取穴法について
『一、沢田先生の取穴は極めて自由で、経穴の分寸にはあまり拘泥しなかった。反応のあらわれを仔細に観察して、あらわれた処に治穴を求めたのである。これは特に断つておき度い点である。』(凡例8p)
〔伴注:『鍼灸真髄』に書かれている何病にはどの経穴の効果が高いとか、邪の流れの話などは、この『仔細な観察』の結果手に入れたものを、澤田健がおしゃべりし、その言葉を代田文誌が書き留めたものです。鍼灸師が行うべきことは実は、その結論である吐き出された言葉を集立て整理したりして、それににすがることではありません。その結論を出すに至った過程、すなわち「反応のあらわれを仔細に観察する」ことです。これはつまり、自分がきちんとそれを診れるのかどうか点検すること。そのことを繰り返し踏み固めることです。この行為は最も基盤となることであり、言葉を読む―古典を読む―『鍼灸真髄』を読むことよりもはるかに大切なことです。自分の指を先にし、言葉を後にして、しっかりと観察を積み重ねること。その行為の果てに迷いながら出てきた言葉ほど大切なものはありません。揺らぎつつそこにほのかに立つ言葉を見つめつつ、再々度、臨床を通じ、自己の体験を通じて見つめていくこと。その体験の積み重ねは、どのような「真理」の言葉よりもはるかに貴重なものです。一元流鍼灸術はそこに依拠して語りはじめているものです。澤田健が常に言っていたという「書物は死物なり、死物の古典を以て生ける人体を読むべし」(凡例11p)という言葉はまさに『鍼灸真髄』にも当てはまることなのですね。〕
『一、沢田先生の取穴は極めて自由で、経穴の分寸にはあまり拘泥しなかった。反応のあらわれを仔細に観察して、あらわれた処に治穴を求めたのである。これは特に断つておき度い点である。』(凡例8p)
〔伴注:『鍼灸真髄』に書かれている何病にはどの経穴の効果が高いとか、邪の流れの話などは、この『仔細な観察』の結果手に入れたものを、澤田健がおしゃべりし、その言葉を代田文誌が書き留めたものです。鍼灸師が行うべきことは実は、その結論である吐き出された言葉を集立て整理したりして、それににすがることではありません。その結論を出すに至った過程、すなわち「反応のあらわれを仔細に観察する」ことです。これはつまり、自分がきちんとそれを診れるのかどうか点検すること。そのことを繰り返し踏み固めることです。この行為は最も基盤となることであり、言葉を読む―古典を読む―『鍼灸真髄』を読むことよりもはるかに大切なことです。自分の指を先にし、言葉を後にして、しっかりと観察を積み重ねること。その行為の果てに迷いながら出てきた言葉ほど大切なものはありません。揺らぎつつそこにほのかに立つ言葉を見つめつつ、再々度、臨床を通じ、自己の体験を通じて見つめていくこと。その体験の積み重ねは、どのような「真理」の言葉よりもはるかに貴重なものです。一元流鍼灸術はそこに依拠して語りはじめているものです。澤田健が常に言っていたという「書物は死物なり、死物の古典を以て生ける人体を読むべし」(凡例11p)という言葉はまさに『鍼灸真髄』にも当てはまることなのですね。〕
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