■Q&A一括りの人を見る
>私たちはこれから、『東洋医学で人を診る』ことを学ぼうとしています
>が、そもそも、この『東洋医学』というのは、どこからきて、どういっ
>た体系で語られているものなのでしょうか?
もともとは『東洋医学』というものがあるわけではありません。ただ身
体を診て治療する技術があっただけです。近代に入って西洋から医学が
導入されて、これまでの自分たちの医学とは人間観も方法論も大きく異
なるため、それを西洋医学と名づけ、これを東洋医学と名づけました。
東洋医学は、主に支那大陸で言語化されました。はじめは朝鮮半島を経
て、次に遣隋使などで大々的にこの医学が伝えられました。紀元5世紀
のころです。この医学は、徐々に日本に浸透していきます。禅僧を中心
として鎌倉時代から江戸時代の初期まで、日本人は支那大陸の文明を学
んでいます。あるいは日本に輸入された書籍から、あるいは実際に大陸
に留学して。
東洋医学の古典としては、「素問」「霊枢」が基本です。「黄帝内経素
問」「黄帝内経霊枢」とも、あるいは両方合わせて単に「黄帝内経」と
も呼ばれています。また「霊枢」は「鍼経」と呼ばれたり「九巻」と呼
ばれたりもしていますが、同じものです。もともとは何百年かにわたっ
て伝えられた伝統医学が、後漢時代にまとめられたものです。この「黄
帝内経」は、黄帝に仮託された問答形式として書かれていますので、後
漢時代に流行した「黄老道」という道教の元祖の思想流派がこのまとめ
において中心的にかかわっていたとみるべきでしょう。
支那大陸の医学の特徴は、人間を一つの括りとして、一括りの天地に対
する小天地として把え、天地を俯瞰して陰陽や五行を編み出すのと同じ
方法で、人間を分析し統合して把えようとしているところにあります。
これは、天地を観察するように人間をもともと観察していたものですが、
その体表観察の結果を当時最先端の思想である陰陽五行論にあてはめな
がら、さらに深く理解していこうとしたものです。ですから、伝統医学
を学ぶためにはその基礎概念として陰陽五行の構造を学ぶ必要がありま
す。このあたりのことが「一元流鍼灸術の門」に中心的に書かれていま
す。
>私たちはこれから、『東洋医学で人を診る』ことを学ぼうとしています
>が、そもそも、この『東洋医学』というのは、どこからきて、どういっ
>た体系で語られているものなのでしょうか?
もともとは『東洋医学』というものがあるわけではありません。ただ身
体を診て治療する技術があっただけです。近代に入って西洋から医学が
導入されて、これまでの自分たちの医学とは人間観も方法論も大きく異
なるため、それを西洋医学と名づけ、これを東洋医学と名づけました。
東洋医学は、主に支那大陸で言語化されました。はじめは朝鮮半島を経
て、次に遣隋使などで大々的にこの医学が伝えられました。紀元5世紀
のころです。この医学は、徐々に日本に浸透していきます。禅僧を中心
として鎌倉時代から江戸時代の初期まで、日本人は支那大陸の文明を学
んでいます。あるいは日本に輸入された書籍から、あるいは実際に大陸
に留学して。
東洋医学の古典としては、「素問」「霊枢」が基本です。「黄帝内経素
問」「黄帝内経霊枢」とも、あるいは両方合わせて単に「黄帝内経」と
も呼ばれています。また「霊枢」は「鍼経」と呼ばれたり「九巻」と呼
ばれたりもしていますが、同じものです。もともとは何百年かにわたっ
て伝えられた伝統医学が、後漢時代にまとめられたものです。この「黄
帝内経」は、黄帝に仮託された問答形式として書かれていますので、後
漢時代に流行した「黄老道」という道教の元祖の思想流派がこのまとめ
において中心的にかかわっていたとみるべきでしょう。
支那大陸の医学の特徴は、人間を一つの括りとして、一括りの天地に対
する小天地として把え、天地を俯瞰して陰陽や五行を編み出すのと同じ
方法で、人間を分析し統合して把えようとしているところにあります。
これは、天地を観察するように人間をもともと観察していたものですが、
その体表観察の結果を当時最先端の思想である陰陽五行論にあてはめな
がら、さらに深く理解していこうとしたものです。ですから、伝統医学
を学ぶためにはその基礎概念として陰陽五行の構造を学ぶ必要がありま
す。このあたりのことが「一元流鍼灸術の門」に中心的に書かれていま
す。
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