fc2ブログ

一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■邪気と生気とは陰陽関係にはない

生命を気一元のものとして把握するということを一元流では基本としていますので、邪気はそれが気一元の生命にどのような影響を与えているのかという側面から考えていきます。

気一元の場を設定して陰陽をものさしとして使用することはできますけれども、邪気と生気との関係を考えていくには場の設定が改めて考察されなおす必要があります。

邪気と生気とは、一つの場を構成しているものではないので、陰陽関係ではありません。だからこそ病位を定めてそれを攻撃し邪気を排泄させようとするわけです。


■Q&A陰陽論

今回の勉強会は、先日告知したとおり陰陽論の読み合わせの続きをやりました。読み合わせだったのですが、冒頭で私のチャチャが入り、壮大な質疑応答となりました。そのちゃちゃとはテキストで引用されている《素問・陰陽応象大論》の文章なんですね。

『黄帝は述べられました。陰陽は天地の道、万物の綱紀、変化の父母、生殺の本始、神明の府です。病を治療する際には必ずその大本を求めなければなりません。陽が積み重なって天となり、陰が積み重なって地となります。陰は静かで陽は躁がしいものです。陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。陽は気に化し、陰は形を成します。』

よく、陰陽は相剋し合って、陰が長じれば陽が滅び、陽が盛んとなれば陰が縮むという言い方がされます。陰陽マークに用いられる太極図なんかはまさにこの支配領域が相互に浸食しあうことを表現しているもので、万物は流転し変化し続けるということが陰陽論の基本なのだよと言っているように思えます。ところがここでは「陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。」と述べられています。つまり陽の充実は陰の充実につながり、陰の充実は陽の充実につながると述べられているわけです。これはどういうことなのでしょうか。

治療を思い浮かべれば理解できますが、気を補うことでその場の血を増やそうとします。気が集まるところには血も集まるわけです。鍼を刺したり灸をするとその部位が発赤します。これは気を補うことによって血が集まるという状況を目に見える形で示しているものです。鍼灸における治療行為はこの原理に則って行われているものです。

と、このような説明を加えたところ、ふと思いついたY先生から陰虚陽亢とはどういうことなのでしょう。という質問が起こりました。上手に地雷を踏んでくれているわけです。疑問の持ち方が素直ですよね。「陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。」というのであれば、陰が虚すれば陽も弱るはずではありませんか。それなのに陽亢するというのはどうしてなのでしょうか、ということが質問者の内容です。

そこでかなりの時間を費やして、陰虚陽亢という言葉の中身について検討が行われました。じっくりと迷うことを大切にしながらやっていったわけですが、そこは省略します。で結論だけを述べますと、この陰虚陽亢という言葉の中身、すなわちこの陰虚というのは全身の陰の中心である腎の場合が多いわけです。けれどもそう言ってしまうと少し狭くなってしまうので、陰虚と表現しています。陽亢というのは相対的に陽気が強くなっている状態で、この陽気の中心は心ですけれどもやはりそう言いきってしまうと狭くなるので陽亢と言っているわけです。つまり陰が虚することによって相対的に陽が突っ張って膨張した状態、これを陰虚陽亢と表現しているわけですね。


このあたりの説明についてMさんがいい質問を投げてくれました。それは、先ほどの「陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。」という《素問・陰陽応象大論》の説明と、この陰虚陽亢の説明とは矛盾するのではないですか?ということです。これにOさんがフェーズが違うためということで答えてくれました。すなわち、陰虚陽亢というのは気一元の器の中の、病的な状態について表現しているものであって、《素問・陰陽応象大論》の「陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。」というのは気一元の器そのものの充実の仕方と損傷の仕方、育ち方と亡び方について述べているものであるということです。いわば《素問・陰陽応象大論》はしっかりと人間における陰陽の生長老死を視野に入れて書かれているということなのです。陰虚陽亢という言葉はその流れの中にある一時的な病的な状態―バランスの崩れについて述べられているものです。

これについてSさんがまたいい質問をしてくれました。「陰陽論の総論部分には光と影の陰陽とか書かれていて「陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。」という言葉とは矛盾していると思うのですが、これは陰陽という同じ文字を使っていてもそこで表現されている内容が異なるということなのですか?」というものでした。まさにその通りで、陰陽という言葉を恣意的に使われていることに対して反旗を翻したのが私なのです。そして陰陽という言葉の使用法を整理し直し使えるように整備したものが《一元流鍼灸術の門》なのです。陰陽という言葉を使用する前に、その物差しをどのような場で用いているのかを明確に意識しなければならない、ということが鉄則です。世の陰陽論が言葉遊びに陥っている理由が、この鉄則を踏まえていないことによります。このあたりのことを意識して《一元流鍼灸術の門》を読み直されると、大きな発見を得ることができるでしょう。

ということで読み合わせはほとんど進まず、そのまま経穴診の練習に入りました。はてさて、皆さんには勉強になったでしょうか。一元流鍼灸術というものがまったく新しい、けれども伝統に則った人間理解を基本にしているということが理解していただけると嬉しいのですが・・・
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://1gen.blog101.fc2.com/tb.php/390-c251b9e0

この人とブロともになる