■ 陰虚陽亢界隈
> 陰虚陽亢の陰陽が、五臓の心と腎のことだとは驚きでした。
> 僕はてっきり全身の形態としての陰と、機能としての陽のこと
> だと勘違いしておりました。
>
> これがいわゆる場の設定が間違っているということなんでしょうか(^_^;)
> 陰陽という言葉は特に色々な使われ方がされているようなので
> この場の設定に気をつけたいと思います。
これは場の設定の問題ではなく、陰虚陽亢という言葉の解釈の
問題だと思います。陰虚陽亢という言葉は、陰が虚することによ
って陽が亢ぶるという意味です。陰が虚するという言葉の中身
には気の方向性はなく、その場で陰が虚しているという意味が
含まれています。陽が亢ぶるという言葉の中身には上衝し膨張
するという意味が含まれています。
このような語感に基づいて、陰虚とは何を意味しているのか、そ
れに対して相対的に亢ぶっていく陽とは何かということを、その
症候を踏まえながら考えていくわけです。陰虚陽亢の陰とは腎
ではないか陽亢の陽とは心ではないかということは、上記の思
考の結果の一部の表現にすぎないわけで、そこに至るまでの思
考過程が大切です。
また、自分が考えたことが正しいのか間違っているのかというこ
とは、自分の考えをいったん離れて点検し直すことで行います。
たとえば、陰虚陽亢の陰が全身の形態であり陽が全身の機能
であると定義してみるとします。すると、全身の形態が虚すこと
によって全身の機能が亢ぶるという病態であるということになり
ます。これでは陰虚陽亢が指し示している症候に合いません。
また、機能がたとえばバランスよく亢ぶることのどこかに問題が
あるでしょうか?機能が亢ぶるということの内容は、いわば新陳
代謝の速度が速くなるということであり、さまざまな活発な運動
を行うのはそのためであったりします。機能が亢ぶることによっ
て虚しているとされる形態もおそらくは回復するでしょう。という
ような思考過程を経ることによって「陰虚陽亢の陰が全身の形
態であり陽が全身の機能である」という説は否定されることとな
ります。
片手では自由自在な発想が必要なわけですけれども、その正
誤判定のためには、その自由自在な発想をして出てきた結論
から今一度離れ、新たに論理的に考えを構築していく必要があ
ります。
> そして陰虚陽亢の陰陽が、五臓の心と腎のことであるならば
> 勉強会の場で僕が質問させていただいた
> 「陰虚陽亢における陽亢の正体は、
> 陰と共に減ってしまい少なくなった気の滞りによる一種の気虚気滞では?」
> との仮説は当てはまりませんね。
これはさまざまな意味で当てはまりません。もうちょっと複雑精
緻に考えを進めていきます。このあたりは実際に病因病理を考
えていく中で気が付かれていくのではないかと思います。
> 陰陽両虚が腎虚が中心だとの話題もでましたが
> これは陰虚陽亢の陰虚(腎虚)がより進行して陽である心にも
> 波及した末になるものなのかな、などと帰りの新幹線の中で
> 考えておりました。
陰虚陽亢の果てには陰陽離乖によって起こる狂気とか死がみ
えてきます。陰陽の交流がうまく行われずに陰虚と陽亢のアン
バランスが劇しくなっていくという考えかたです。陰陽両虚の人
は陰陽のアンバランスが劇しいわけではなく、全体的に弱いわ
けですから、病態としてかなり異なります。
このあたりのことも個別具体的に病因病理で考えていった方が
理解しやすいところでしょう。
> 陰虚陽亢の陰陽が、五臓の心と腎のことだとは驚きでした。
> 僕はてっきり全身の形態としての陰と、機能としての陽のこと
> だと勘違いしておりました。
>
> これがいわゆる場の設定が間違っているということなんでしょうか(^_^;)
> 陰陽という言葉は特に色々な使われ方がされているようなので
> この場の設定に気をつけたいと思います。
これは場の設定の問題ではなく、陰虚陽亢という言葉の解釈の
問題だと思います。陰虚陽亢という言葉は、陰が虚することによ
って陽が亢ぶるという意味です。陰が虚するという言葉の中身
には気の方向性はなく、その場で陰が虚しているという意味が
含まれています。陽が亢ぶるという言葉の中身には上衝し膨張
するという意味が含まれています。
このような語感に基づいて、陰虚とは何を意味しているのか、そ
れに対して相対的に亢ぶっていく陽とは何かということを、その
症候を踏まえながら考えていくわけです。陰虚陽亢の陰とは腎
ではないか陽亢の陽とは心ではないかということは、上記の思
考の結果の一部の表現にすぎないわけで、そこに至るまでの思
考過程が大切です。
また、自分が考えたことが正しいのか間違っているのかというこ
とは、自分の考えをいったん離れて点検し直すことで行います。
たとえば、陰虚陽亢の陰が全身の形態であり陽が全身の機能
であると定義してみるとします。すると、全身の形態が虚すこと
によって全身の機能が亢ぶるという病態であるということになり
ます。これでは陰虚陽亢が指し示している症候に合いません。
また、機能がたとえばバランスよく亢ぶることのどこかに問題が
あるでしょうか?機能が亢ぶるということの内容は、いわば新陳
代謝の速度が速くなるということであり、さまざまな活発な運動
を行うのはそのためであったりします。機能が亢ぶることによっ
て虚しているとされる形態もおそらくは回復するでしょう。という
ような思考過程を経ることによって「陰虚陽亢の陰が全身の形
態であり陽が全身の機能である」という説は否定されることとな
ります。
片手では自由自在な発想が必要なわけですけれども、その正
誤判定のためには、その自由自在な発想をして出てきた結論
から今一度離れ、新たに論理的に考えを構築していく必要があ
ります。
> そして陰虚陽亢の陰陽が、五臓の心と腎のことであるならば
> 勉強会の場で僕が質問させていただいた
> 「陰虚陽亢における陽亢の正体は、
> 陰と共に減ってしまい少なくなった気の滞りによる一種の気虚気滞では?」
> との仮説は当てはまりませんね。
これはさまざまな意味で当てはまりません。もうちょっと複雑精
緻に考えを進めていきます。このあたりは実際に病因病理を考
えていく中で気が付かれていくのではないかと思います。
> 陰陽両虚が腎虚が中心だとの話題もでましたが
> これは陰虚陽亢の陰虚(腎虚)がより進行して陽である心にも
> 波及した末になるものなのかな、などと帰りの新幹線の中で
> 考えておりました。
陰虚陽亢の果てには陰陽離乖によって起こる狂気とか死がみ
えてきます。陰陽の交流がうまく行われずに陰虚と陽亢のアン
バランスが劇しくなっていくという考えかたです。陰陽両虚の人
は陰陽のアンバランスが劇しいわけではなく、全体的に弱いわ
けですから、病態としてかなり異なります。
このあたりのことも個別具体的に病因病理で考えていった方が
理解しやすいところでしょう。
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