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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■言葉の指す向き

言葉、というものは恐ろしいものだと思います。
読む言葉、語る言葉に、指す言葉。
武士道における言葉は発するものの内側に肉薄する言葉でした。
他者に対するものではなく、己に対する諫言。

この同じ言葉が、他者に向けられたとき、それは他者を支配し傷つける刃となり
ます。けれどもそれが己に向けられたとき、己を磨く砥石となります。

この二者の差は歴然としているものです。

道徳を説くものの醜さは、己に向けられるべきこれらの言葉を他者に向けて発し
て、他者を支配しようとするところにあります。

己に向けられたものの美しさは、自身の切磋琢磨の目標としてこれらの言葉を用
いるところにあります。

己に向けた言葉を他者に向けぬようくれぐれも注意していきたいものです。


■己と他者

さてそれでは、己と他者とを区別する行為は道を行ずる者の行為であろうか、と
いう疑問がここに生じます。

道を行ずるということは、自他一体の理の中に自らを投与するということでもあ
ります。そこに、あえて他者を設けて自らと分け、道を説かずにおくという行為
があり得るのでしょうか。

ここに実は、自らの分を定めるという意識が働くこととなります。

教育者として自らを定めるのであれば別ですが、道を行ずる者は先ず第一に己を
極めることが義務となります。そしてこの己を極めるという行為は一生継続する
ものです。その行為の合間に他者を入れる隙などは実はあり得ませんしあっては
ならないことだと私は思います。

ところが、学ぶものには語る義務が生ずる、後進を導く責任が生ずる。そこを道
を行ずるものとしてどのように乗り越えていくかということが、ここで問われて
いることです。

そしてそれは、他者として彼らに道を語るのではなく、自らの内なる者として、
同道の者として、己自身に対すると同じように道を究める努力をともにする。こ
のことを提示する。ということでしか有り得ないと私は考えています。


   伴 尚志
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