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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

現代病なのか、胃腸を痛めている人が非常に多いわけです。そしてこれが治り難い。それは当然で、鍼灸治療に来院されるのが週に一回だとして、胃腸を食事によって活用するのはその間、一日三食として二一回あるわけです。それに加えて間食をすればさらに痛めている回数が多くなります。それに加えて、胃腸でストレスを解消する人も多くいます。それは単に食べることがストレスの解消になるというだけではなく、精神的なストレスを胃腸という生命力で直接受け、堪えさせている人がいるわけです。ストレスがあると食事がのどを通らないとか、ストレスがあると下痢をするとかといった類の人がこのタイプとなります。さらに、疲労によっても胃腸は痛めつけられます。これは直接痛めつけられるわけではないのですが、全身の生命力が充実していると、胃腸の働きをバックアップすることができます。疲れるとこれができなくなるわけですね。

こんな患者さんがいました。お年寄りで登山というほどでもないのですが数時間歩き、食事を摂ってから温泉にのんびりつかった。若い頃であればこれは楽しい娯楽という範囲なのでしょうが、この患者さんはそれが堪えて倒れてしまい、救急車で運ばれることになってしまいました。東洋医学的にこのことをどのように考えるのかというと、高齢ということで腎気が落ちている。腎気が落ちるということは上の段で述べた脾胃の機能をバックアップする力が弱っているということを意味しています。そこに少し長時間歩いたことで疲労し腎気がさらに落ちた。そのような状態で食事を摂ったため、生命力のほとんどは脾胃の機能を助けるために使われることとなりました。いわゆる食後で何も考えられない状態。血が胃袋に行っているため、頭がめぐらなくなっている状態ですね。そのような状態の時にさらに入浴をして、すでに少なくなっている生命力を全身にめぐらそうとしたわけです。その何重もの生命力への負担のため、とうとう腎気のバックアップがまったくできなくなって倒れてしまったわけです。

ではどうすればよかったのでしょうか。高齢であれば、普段とは異なる生活状況を避けることが腎気を損傷しない基本的なポイントとなります。小さくなっていく器に従った生活を続けていくことによって、器の縮小や損壊を避け緩やかにすることができます。それが長寿の秘訣なのです。この方はまずその禁を犯してしまいました。もしいつもと異なることをした場合は、十分に休養する必要があります。そうして腎気を回復させながらじわっと動いていくわけです。山登りをした後は少なくとも一時間は何もせずに休憩する必要があります。ところがこの方はそれをせず、その代わりに腎気のバックアップを必要とする食事を摂りました。二つ目の禁を犯したわけです。けれどもここで休憩すれば倒れるところまではまだ行かなかったでしょう。けれども健康に自信があったためか、身体の言葉に耳を傾ける習慣がないためか、さらに生命力をめぐらし使う入浴までしてしまいました。三つ目の禁を犯したわけです。このようにして三つの負担が重なることによって倒れたわけです。東洋医学的にみれば当然の成り行きと言わざるを得ません。


同じようなことが虚弱体質の人の治療についても言えます。虚弱体質の人は、日々の生活を変化なく行うだけですでにオーバーペースだったりするものです。けれども日常生活ですから、肝気を起てて〔注:意識するしないにかかわらずがんばって〕行っているのです。健常者と比較すると、いつも疲れている状態なわけですけれども、いつも疲れているとご本人はわからなくなっているものです。そのような状態の人が鍼灸治療を受けます。生命力が乏しいので、治療の手も深く強く入ることはありません。下手をすると倒れてしまいます。徐々に徐々に入れていかなければならないわけです。ところがご本人は少し楽になるとその分以上に動いてしまいます。そして疲れ切って鍼灸治療にまたくるということを繰り返すこととなります。そのようなことをしていると生命力が充実していく隙がないのです。そのためいくら通っても以前の状態と変わらない、あるいは悪くなってしまいます。そして自分には鍼灸は効果がないと言い出します。これは、自分の養生を棚に上げて治療に頼ろうとすることの誤りです。

どうすればこのような状況を防ぐことができるのでしょうか。必ずしも鍼灸治療を受けることが必須ではなく、普段の生活を変えることが大切です。すなわち、心にまず定めなければならないことは、自身の器の範囲内で生きる、内側で生きるということです。虚弱体質の人はこの器、生命力の入れ物が非常に小さいのです。そんな小さな器で他の人と同じように生活しようとすることが間違っています。生活の範囲を小さくしなければ悪循環が続いていくだけです。

けれども、器が小さいからといって悲観する必要はありません。特に若い内であれば、この器を大きくすることができます。その方法は、器の内側でていねいに生きるということです。器を超えてがんばろうとすると、器を壊してしまいます。けれども器の内側で生きることを心がけていくと、徐々にその器が充実し徐々に広がってきます。一病息災というのはこのような人のためにある言葉なのですね。今のこのひとときに満足し感謝して、一日一日この生活を積み重ねさせていただく。ありがとうございます。これがこの生活の心得の基本です。

壊すのは簡単で一気にできますけれども、養うことは根気が必要です。徐々に徐々にしか充実していきません。このあたりの忍耐ができない人が深い病―半病人の状態を続けていくしかないということとなります。
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