■東洋医学は生命の側に立つ医術である
東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。
けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。
生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。
そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。
東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。
伴 尚志
東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。
けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。
生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。
そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。
東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。
伴 尚志
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