■統合治療の一角として
東洋医学は本来統合医療であって、その裾野の底辺は生活指導すなわち生活習慣
の教育にあり、徐々にレベルを上げていって、食事の指導、心の指導となり、最
後に富士山の十合目あたりで初めて治療行為が出てくるものです。治療行為が東
洋医学のごく一部に過ぎないということはたいへん大切なことです。このため東
洋医学の本質は未病を治することにあると言われているわけです。
東洋医学では総合的な視点で人間の生活を把えようとします。また、人間への理
解をさらに深め、心身の構造についてもひとつの見解をもつに至っています。そ
れは、単に目に見える骨格や血脉だけでのことではありません。全身の内外を結
ぶ生命力の流れとしての経脉を据え、流れの行き着く先―溜まり場として絡脉が
奇経を据え、生命力の出入する門戸として経穴を置いています。さらにその上、
魂神意智魄精志という五神が五気を結聚させて五臓を造り、その力がを身体の基
本とするという神秘的思想をも包含しているのです。
東洋医学はこのような、ゆるやかで広がりのある生命構造の概念を持っているわ
けです。
東洋医学では心身は一元のものであると捉えられています。精神的な問題が身体
に影響を及ぼし、身体の問題が精神に影響を及ぼすというように、相互に密接な
関係を持つものとして捉えられています。
そしてこの生命の状態―心身の揺らぎは四診によって非侵襲的に把握されます。
ここには繊細な技術と論理的な思想が必要となります。東洋医学ではこの揺らぎ
を調えることができます。これが未病の状態の生命力を調えるとともに、すでに
症状が出ている場合でもそれを調え治療する技術となっています。
東洋医学の身体観に基づいた四診を、現代の批判的精神によって磨いていくこ
と。これが一元流鍼灸術に課せられている課題であると考えています。このよう
な形でいわゆる統合医療の中核を担う思想体系として、東洋医学は再生されるで
しょう。
伴 尚志
東洋医学は本来統合医療であって、その裾野の底辺は生活指導すなわち生活習慣
の教育にあり、徐々にレベルを上げていって、食事の指導、心の指導となり、最
後に富士山の十合目あたりで初めて治療行為が出てくるものです。治療行為が東
洋医学のごく一部に過ぎないということはたいへん大切なことです。このため東
洋医学の本質は未病を治することにあると言われているわけです。
東洋医学では総合的な視点で人間の生活を把えようとします。また、人間への理
解をさらに深め、心身の構造についてもひとつの見解をもつに至っています。そ
れは、単に目に見える骨格や血脉だけでのことではありません。全身の内外を結
ぶ生命力の流れとしての経脉を据え、流れの行き着く先―溜まり場として絡脉が
奇経を据え、生命力の出入する門戸として経穴を置いています。さらにその上、
魂神意智魄精志という五神が五気を結聚させて五臓を造り、その力がを身体の基
本とするという神秘的思想をも包含しているのです。
東洋医学はこのような、ゆるやかで広がりのある生命構造の概念を持っているわ
けです。
東洋医学では心身は一元のものであると捉えられています。精神的な問題が身体
に影響を及ぼし、身体の問題が精神に影響を及ぼすというように、相互に密接な
関係を持つものとして捉えられています。
そしてこの生命の状態―心身の揺らぎは四診によって非侵襲的に把握されます。
ここには繊細な技術と論理的な思想が必要となります。東洋医学ではこの揺らぎ
を調えることができます。これが未病の状態の生命力を調えるとともに、すでに
症状が出ている場合でもそれを調え治療する技術となっています。
東洋医学の身体観に基づいた四診を、現代の批判的精神によって磨いていくこ
と。これが一元流鍼灸術に課せられている課題であると考えています。このよう
な形でいわゆる統合医療の中核を担う思想体系として、東洋医学は再生されるで
しょう。
伴 尚志
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