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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■胃の気の脈診『図解/簡明鍼灸脈診法』3/5
■弱以滑と弦急脈とは相反するものなのか


藤本氏は、明代末期の医家、張景岳が表現した胃の気の脈「弱以滑」を胃の気の
脈の中心にすえ、「弱以滑のない脈状」を弦急脈と名づけてそれを四種類に分
け、北辰会の診脈法としています。

その理由として藤本氏は臨床の実際として、「諸々の脈状に弱以滑の脈象の存在
することが、平人であり、これに反するものは、すべて弦急の脈、と解したので
ある。それ故、この弦急脈は、4つに分つものであることが判明した。」
(49p)と述べています。

ここでいう弦急脈とは、診ることのできる弦急脈ではなく、弱以滑の欠けている
脈状すべてのことを指していることに注意する必要があります。いわゆる一つの
上位概念―抽象的な概念なわけです。

藤本氏はまた、この「弱以滑」の脈状についても、抽象的な概念として捉えてい
る可能性があります。そのためでしょうか、「諸々の脈状に弱以滑の脈象が存在
することが、平人」と述べています。いわば、弱以滑という脈状および弦急の脈
という脉状を、対抗する概念、相入れない概念として提示し、その根拠として、
明代の偉大な医学者である張景岳の言葉と、自身のグループにおける臨床的実際
を上げているわけです。


皆さんはこの矛盾を、理解することができるでしょうか。

一方で藤本氏は、「胃の気をこそ土台にして、諸々の情報が、脈状に現われる」
と述べています。つまり、諸々の脈状の情報はすべて、胃の気を土台にしている
と述べているわけです。ところがそれに対して藤本氏は、平人と病者とを対応さ
せ、「弱以滑の脈象が存在する平人」であるとし、これに「反するもの」をすべ
て弦急の脈という病者の持つ脉状の概念にしているわけです。

「生きとし生けるものの実相は、やわらかく、しなやかで、生き活きとしている
が、死に赴き枯れるものは、堅くもろいものである。」と藤本氏は述べていま
す。けれども、生きるものはみな死にます。死に赴かない生は存在しません。こ
のことを知るならば、生とその中にあってさまざまな症状を呈する人の、生と症
状あるいは病は、対立する別々のものではありません。ともに、ひとつの生命の
流れ変化していく過程で現れる「生命力の表現」でしかないのです。

すなわち、「生きているかぎりすべての生は存在している」わけです。生き活き
としていようが、死に赴き枯れる方向にあろうが、それは生命力の変化過程―バ
イオリズムの途上なのです。生の方向に一方向に進む「生」はありません。同じ
ように死の方向に一方向に進む「生」もありません。人は、疲れたり、元気を回
復したりしながら、ゆるやかに生のバイオリズムを浮き沈みしながら、生きてい
るものなのです。

その間、さまざまな症状を呈すこともあり、なんらかの疾病の名前を与えられ、
あるいは難病に分類されることもあります。「疾病は生命力の表現である」と言
えるわけです。

藤本氏も実は自身の言葉で述べています。「脈診するということは、胃の気の多
彩な’顔’盛衰を察知することにこそ、その本領があった」(26p)と。

氏はなぜ、生と病とを、平人の弱以滑の脈と弦急脈とを「あい反するもの」とし
て括ってしまったのでしょうか。たいへん残念に思います。


「疾病は生命力の表現である」ということ。これがすなわち、一元流鍼灸術にお
ける脈診の考え方の基礎となっています。まさに「胃の気の多彩な’顔’盛衰を察
知すること」。これこそが一元流鍼灸術における「生命を診る脈診」の基礎とな
っているわけです。すべての生命の変化相、変化の形が脈に表れている。その生
命の姿の一過程として「弦急脈」をもとらえなければらないと考えているわけで
す。

すなわち、藤本氏が指定する「弦急脈」を呈する病も実は、生命の一形態です。
生命に反して病があるのではなく、病も生命の一形態なわけですから、あたりま
えのことです。生命に反して病があるわけではない。生命があるからこそ病があ
るわけです。ここがとても大切なところです。

脈状で言い換えるならば、胃の気の脈がない、ということは生きている限りあり
えません。生きていれば脈のすべてが胃の気の脈の一変化なのですから。

脈診を通じて捉えることのできるいわゆる堅い脈状である弦脈や弦急脈というも
のも、胃の気―生命力の、変化したものです。そのため、堅い脈状である弦脈や
弦急脈は、頑張っている、頑張ることのできている脈状であると表現することも
できるのではないかと、一元流鍼灸術では考えています。

七死脈と言われている脈状も実は、生命力があるからこそ表現することができ、
診ることができる脈状です。生命力の中心が本当に弱ってしまえば、七死脈とし
て表現することもできなくなります。それこそが藤本氏もいう(119p)、神の脱
けた脈状です。六部定位の整った、あたかも胃の気がしっかりしているように見
える脈状。良い脈状に見えるものを搏つのです。死に瀕しているような患者さん
に現れる、そのような脈状こそが、胃の気の脱けた脉状です。そこからさらに神
が脱けきると、脈は搏つことを静かに止め、呼吸も止まることになります。死に
抵抗して生命が暴れあるいは苦しんで、七死脈のような極端な脈状を呈するよう
なこともなく、ただ死んでいくだけなのです。

さて、藤本氏の「諸々の脈状に弱以滑の脈象の存在することが、平人であり、こ
れに反するものは、すべて弦急の脈、と解したのである。それ故、この弦急脈
は、4つに分つものであることが判明した。」(49p)と述べている、この言葉
が、いかに大きな問題をはらんでいるかということは、ここまでの私の話でご理
解いただけたのではないでしょうか。

伴 尚志
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