孫思邈の《備急千金要方》を持ち出すまでもなく、東洋医学の歴史の積み重ねは、その基盤として民間療法すなわち何の症状にたいして何の薬方を用いたら効果があった、あるいはどの経穴を使ったら効果があったという経験の積み重ねからなっています。
その経験の積み重ねをまず最初に陰陽五行の観点からゆるやかにまとめあげたものが《黄帝内経》であると言えるでしょう。《黄帝内経》が作成された当時は同じように諸学を収集して陰陽五行の観点からまとめあげた《淮南子》もまた作成されています。諸子百家を淡々と集め、それを当時の宇宙論である陰陽五行の観点でまとめ直して眺めを良くするという作業が、黄老道の基本的な仕事となっていたのでしょう。
《黄帝内経》以降、ふたたび民間療法的な対症療法に墮していた東洋医学を弁証論治のもとに救い出した最初の人物は張仲景であり、それを継いで体質にしたがって処方を用いることを説いたのが金元の四大家とそれを継ぐ東洋医学の潮流であったと言えます。いわば民間療法的な薬方経穴の使用法を改め、より効果が上がるように、症状だけでなく患者さんの体質を加味して考えるという弁証論治の伝統が生まれたわけです。
薬方は同じでも経穴は同じでも、それを使用するための道筋がまったく異なる。それが東洋医学の眼目である弁証論治の有様です。それぞれの人間をみて処置を決めていくわけです。
一元流鍼灸術はこの伝統にしたがっています。
最近、温圧治療器を使用することが多くなりました。ある人が、温圧治療器を使用して腎虚腰痛が治ったということを話したところ、「民間療法みたい」と鍼灸師に言われたそうです。これは、ものを知らないこと甚だしいものと言わなければなりません。上に述べてたように、東洋医学を東洋医学たらしめているものは薬方や経穴にアプローチするために使用する道具(鍼や灸)なのではなく、患者さん個々に配慮した処置の決め方にあるということが理解できていないためです。
その経験の積み重ねをまず最初に陰陽五行の観点からゆるやかにまとめあげたものが《黄帝内経》であると言えるでしょう。《黄帝内経》が作成された当時は同じように諸学を収集して陰陽五行の観点からまとめあげた《淮南子》もまた作成されています。諸子百家を淡々と集め、それを当時の宇宙論である陰陽五行の観点でまとめ直して眺めを良くするという作業が、黄老道の基本的な仕事となっていたのでしょう。
《黄帝内経》以降、ふたたび民間療法的な対症療法に墮していた東洋医学を弁証論治のもとに救い出した最初の人物は張仲景であり、それを継いで体質にしたがって処方を用いることを説いたのが金元の四大家とそれを継ぐ東洋医学の潮流であったと言えます。いわば民間療法的な薬方経穴の使用法を改め、より効果が上がるように、症状だけでなく患者さんの体質を加味して考えるという弁証論治の伝統が生まれたわけです。
薬方は同じでも経穴は同じでも、それを使用するための道筋がまったく異なる。それが東洋医学の眼目である弁証論治の有様です。それぞれの人間をみて処置を決めていくわけです。
一元流鍼灸術はこの伝統にしたがっています。
最近、温圧治療器を使用することが多くなりました。ある人が、温圧治療器を使用して腎虚腰痛が治ったということを話したところ、「民間療法みたい」と鍼灸師に言われたそうです。これは、ものを知らないこと甚だしいものと言わなければなりません。上に述べてたように、東洋医学を東洋医学たらしめているものは薬方や経穴にアプローチするために使用する道具(鍼や灸)なのではなく、患者さん個々に配慮した処置の決め方にあるということが理解できていないためです。
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