一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいっていないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれは、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というものです。
基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が入っていない人はその応用の側面のみを追及し、結局小手先の技術論に終始することになります。東洋医学の大道を見失ってしまうことになるわけです。
基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくということが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なもので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそういう人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もったいないことです。
基本的な型は「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そういう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)
生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがしろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。
そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということを現代に復活させようと一元流鍼灸術では考えているわけです。
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