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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

五臓の弁別は知識の整理、病因病理は知恵の輝き


一元流鍼灸術における弁証論治は基本的に対象となる人の生命の状態についてその構造を考え、その中での主訴や不定愁訴の位置づけを明確にしようとしているものです。病気について弁証論治を組み立てているのではなく、生命について弁証論治を組み立てているわけです。

その中に五臓の弁別という項目があるわけですが、この項目は何を意味しているのでしょうか。


Hさんは主訴であるぎっくり腰を、腰痛であるとして腎に分類していました。私はその五臓の弁別をそのまあ認めた上で、ぎっくり腰の弁別として肝に入れる場合もありますよと意見を付与しています。ここには二つの問題が潜んでいます。

一つは、主訴がどうして起こりどうすれば治るのかということを明確にしようとして弁証論治を進めているはずなのに、それをその途中である五臓の弁別の中ですっきり分類してしまっていいのだろうか。それでは弁証論治を考えていく意味がないのではないか、という点。もう一つは、五臓の弁別ではOKを出しておきながら、なぜ先生は別の観点ということでぎっくり腰が肝に弁別されるなどと指摘しているのだろう、五臓の弁別そのものに駄目出しして最初から書き直したほうがすっきりするのに、という点です。


一つ目の問題である主訴を五臓の弁別にくっきりと入れてしまっていいのかどうかという点について解説します。

五臓の弁別というのは頭の整理です。すでに知っている身についている知識を用いて、対象となる人の四診の情報を五つの観点から仮に振り分けるものです。それがほんとうかどうかということよりも、身についている知識を整理するという意味合いの方が強くなります。

知識が偏っていたり間違っていたりしてもたいして問題ではないのは、そのあとに病因病理を考える過程があり、そこで「ほんとうはどうなのか」ということを個別具体的な状況を突き詰めながら考えていく道があるためです。五臓の弁別が知識の整理であるなら、病因病理は知恵の勝負であるとも言えます。

たいせつなことは、五臓の弁別で分類してみたからといってそこに拘わらず、より患者さんの実態に肉薄して表現できるように病因病理を作成する姿勢を持つということです。


東洋医学が伝統医学であるということの中身は、五臓の弁別のように伝統を踏まえた知識が、病因病理という知恵によって乗り越えられる道が示されているというところにあります。これが小さくは自分自身の知識を組み替え融合させていくということであり、それはそのまま伝統を作り替え乗り越えていくということであり、さらに大きくは、東洋医学を書き換えていくという作業につながっていきます。

ですから、現在の知識で、主訴を五臓の弁別にくっきりと区分して入れてしまっても構わないということになります。ただし、その区分にとらわれずに病因病理を考えていく、という姿勢を忘れてはいけません。ここがたいせつなところです。


二つ目の問題である、五臓の弁別そのものを最初から駄目出しして書き直したほうがすっきりするのではないかという点については、すでに上で述べたことと関連して理解できると思います。

五臓の弁別は現在持っている知識を整理するものですから、その完成度の高さはそれほど要求されません。それよりもほんとうにそうかと考えて病因病理を作成していく、知恵の力の方が大切です。先生はここをより意識して欲しいために五臓の弁別にOKを出しておきながら、閃挫腰痛についての他の観点も提示されているわけです。

学校の勉強とか試験に出る問題というものは、五臓の弁別を覚え込みその記憶量と正確さとを問うているものです。そしてそこが積み上げられ詳細に膨大になって(内部矛盾を起こしていながらそこから目をそらして)いるものが中医学です。

けれどもそれがそのままでは臨床にはつかえない知識であるということは、すでに多くの人が知っていることです。ほんとうはどうなのかと探求する姿勢が必要なためです。

一元流の弁証論治には、その道が示されているわけです。
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