実実の体質は存在しない
先日の勉強会の帰り際にある人から「実実の状態というのは存在す
るのでしょうか」という質問を受けました。私は即座に「存在しま
せん」と答えました。彼は重ねて「外邪によって侵襲されている場
合でも実実の状態というのはないのでしょうか」と質問されました。
私はやはり即座に「ありません」と答えました。ただその理由につ
いて明確にしきれていない気がしますので、ここで述べておこうと
思います。
教科書的な実実の人というのはいわゆる体力が充実し筋骨隆々とし
た状態のプロレスラーのような人が描かれます。このような人は生
命力が充実しきっているように見えますので、実実の人と呼んでい
るわけです。
けれども生命力が充実している人というのは、内部に蓄積する力だ
けでなく排泄する力も充実している人のことを意味しています。新
陳代謝が活発に行われている生命こそがまさにもっとも充実してい
る生命です。そしてそこには排泄能力が当然含まれるわけですから、
上記したような実実の人というのは、その筋骨隆々とした外見だけ
では、充実した生命力を持つ人と呼ぶことはできないわけです。
では外邪によって侵襲された時は実実の人にならないのでしょうか。
傷寒に補法なしと言い、汗吐下という瀉法が傷寒の病を治療する方
法となっていることからも、この考え方は支持されるように思えま
す。
けれどもよく考えてみると、生命力の弱りがなければ邪気が入って
くることはありません。これが東洋医学の基本的な考え方です。で
すから、邪気に侵襲されるような人は生命力がどこかで虚している
人であると言えます。ということは邪気に侵襲されているという点
ですでに、実実の状態ではないと言えます。
充実した生命というものは、淀みなく流れ続ける生命の状態のこと
です。邪気に侵襲されても、その邪気を払いしなやかに流れ続ける
ものこそ、充実した生命なのです。
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