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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

大船渡市三陸町 綾里の思い出


大船渡が今回の津波によって街後とながされている状況なのでおそらくその一つ北の港である綾里という小さな港町は完全になくなっているの可能性があります。私はそこに小学校入学前の一年間と入学後の二年間の合計三年間、住んでいました。

僻地治療を行いたいという希望を持っていた父が、その無医村に招かれ家族共々生活することとなったものです。家をあてがわれ、父が来るということで病院も作られ、多大なもてなしを受けました。

村はお金はないけれども自然が豊富で、竹藪を覗くとキジが鳴いており、海には鮑(あわび)や海栗(うに)がはびこっていて、浜に行くと昆布や若布や緑の藻が流れ着いていました。天気のよい日、石浜という名の石ばかりの浜で私は、その昆布を石で叩いておやつ代わりによく食べました。岩にくっついている大きな鮑を無理に引きはがしたら、鮑の身がべろんべろんと暴れ、あまりにも恐くて驚いて投げ捨てたことがあります。磯に生えているイソギンチャクに細い棒を突っ込んで遊んだりもしました。シュッと水を吐いて縮むイソギンチャクが面白かった。

患者さんは当然村人で、治療費を後払いにする人もいたのでしょう。そのような村の人々の中には、雉を撃ってそのまままるごとぶらさげてきたり、獲れたての鮭を一本持ち込んだりして母を驚かせ怖がらせたものです。台所に行くとよくムラサキウニがボールの中で動いていました。よく食べた鮑の香りは今も口の中にあります。

丘の上にある家から、三メートルはあろうかという大蛇を村人が総出で退治しているところを見たこともあります。

小学校に上がり、馬小屋があり馬糞の匂いのする友人の家の縁側に座って田圃(たんぼ)を眺めていた夕方、日が暮れると風に靡くように光の壁が揺れていることがありました。群生している蛍の光りでした。あの海の波のような蛍の光は、その後50年の歳月の中でも見たことのない、記憶の中にある感動です。蛍は人を恐れず、手に乗り移って光っていました。

海の波といえば、早朝暗いうちに浜に出ると、遠くに烏賊釣り漁船の集魚灯が輝いていてとても美しかったのを覚えています。強い潮の香りとそれを乾かす太陽の光が生命を讃えているように輝いていました。

村祭りの漆黒の夜には、大きく傾く月とオリオン座が川の土手を照らしていました。

小学校では宮沢賢治の童話に出てくるような薪ストーブが部屋の真ん中で焚かれていました。校庭には二宮尊徳像があり、まねて本を読みながら歩いてみるのが癖でした。

その村が、この津波に呑まれることになったということは未だ信じてはいません。まだ彼の地の情報が入っていないこともあります。けれども大きな街である隣の大船渡があのような惨状ですので、おそらく無理だろうと思います。

生命は一瞬の輝きです。一瞬の美しい輝きだからこそ大切に愛おしんでいきたいと思います。私のふるさとは失われることとなりましたが、私のふるさとが作った私の身心はまだ生きることを赦されてここにあり、ふるさとの生命を私の中で輝かせています。私はこの生命を大切に生きていこうと思います。

そして私は、今までよりもさらにしっかりと自分の道を歩まなければならないと、この大震災に際して思っているところです。
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