十一月の第三土曜日、都内某所で綾里の同窓会がありました。私は小学校の1年と2年だけで、3年からは東京に転校しましたが、他の人たちは少なくとも中学校卒業まで一緒だったらしく、私は異邦人だったかもしれません。
小さい頃でしたので、顏も名前もほぼ記憶にはなく、突然50年の歳月を経ての再会という感じでした。
けれども私にはふるさととして誇れる場処は綾里にしかなく、また、綾里はまさに私の精神の基盤を作ってくれた場処でもありました。おおらかな人々と暖かく厳しい大自然が私の中心に核となって存在しています。
その同じ天地に育まれた少年少女が見事にそれぞれのその個性が花咲いた異形となって今、集うことができるということはほんとうに不思議なことです。
けれどもその中心に綾里というふるさとがあるからこそ、どこか安心してともにいることができるのでしょう。
小さい頃でしたので、顏も名前もほぼ記憶にはなく、突然50年の歳月を経ての再会という感じでした。
けれども私にはふるさととして誇れる場処は綾里にしかなく、また、綾里はまさに私の精神の基盤を作ってくれた場処でもありました。おおらかな人々と暖かく厳しい大自然が私の中心に核となって存在しています。
その同じ天地に育まれた少年少女が見事にそれぞれのその個性が花咲いた異形となって今、集うことができるということはほんとうに不思議なことです。
けれどもその中心に綾里というふるさとがあるからこそ、どこか安心してともにいることができるのでしょう。
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