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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

そのように育った村がこのたびの大地震と津波で、まるで神の手によって払われたかのように削り取られ、復興までには30年かかるかもしれないということでした。

復興。故郷が復興されるということはありがたいことではあるのですがしかし、望むことは復興なのでしょうか?同じような大震災同じような津波にあったときには再度絶望の涙を流し続けることになるのでしょうか。そのことを私たちは子孫に強いることができるのでしょうか?元通りの復興というものは、ほんとうは有り得ない、あり得るべきではない。先ず大切なことは、安全の確保なのではありませんか?確保された安全な場所で確実に住み確実に仕事をする。危険を知りいつでも待避できるような覚悟でしか、故郷に足を踏み入れるべきではないのではないでしょうか。

思い出してみると、幼稚園の上級さんのときに過ごしていた綾里の家は山の中腹にあり、民家のあるところからずいぶん離れていました。これは村人が津波から私たち家族を守ろうとしたためであろうと今になってみると思います。家から少し上った山中で椎茸栽培していたおじさんは、地震があったら山の頂上まで逃げなくてはいけないということを、何度も何度も私に言い聞かせていました。その言葉が耳についていたため、私は山の上の方にある畑の脇に生えていた椿の樹の上に登って遊んでいたものでした。そこなら安全だと言われていたからのような気がします。

日本は神の国であると言われています。その理由は実は、抗い難いこのような大自然の猛威が国土を襲うからなのではないでしょうか。抗い難いからここは神の国であるとして、注連縄(しめなわ)を張り巡らして聖別していた。

日本人は、神の国の端にに土地を借りて我々は住まわせていただいているのだ、という緊張感をいつももって生活していたのではないでしょうか。運命を感謝の心で受け入れながら、なおもその故郷で生活させていただくという心が、天災の非常に多い国土で生活する我々日本人共通の心だったのではないでしょうか。

いつでも死を覚悟し、いつでも身の回りを掃き清め、心を定めながら生きていくという人生観を、日本人は天災の中から学び、宗教へと高めていったのではないでしょうか。

この神の国の、神の手によって一度払われた大地は、もう一度深い反省と覚悟をもって住むことを始めるべきでしょう。

子孫を同じ嘆き悲しみの中に沈ませないためにも・・・
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コメント

日経にこのような記事が掲載されたようです

http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2011/12/16/6246632

古い神社の多くは津波浸水の境界に(文化往来)
2011/12/16 日本経済新聞 朝刊 40ページ

 歴史の古い神社ほど東日本大震災の津波被害から免れ、多くが津波浸水の境界に立っていた――。「自然災害と復興」をテーマに宮城県神社庁で先月開かれた神社本庁主催「伝統文化セミナー」で報告された内容だ。町並み復興プラン作成では神社の存在を考慮すべきだとの意見も出て議論を呼んだ。

 津波工学の今村文彦東北大教授がパネリストとして参加、宮城県などで「貞観地震の堆積物を調査した結果、神社仏閣が緊急時のランドマークとして津波が浸水した境界に建立されている」と述べた。また復興プランの一環として、言い伝えや防災訓練の意味を持つ祭りを災害文化として継承していく意義も指摘した。

 環境評価調査などを行う海洋プランニング所属の熊谷航氏は、福島県南相馬市の神社を検証、古い神社は海岸から離れた安全な標高に立地、津波も浸入しづらい場所にあったと報告した。鎮守の森や屋敷森なども津波の破壊力を減衰させる効果が見られたという。

 神社本庁の調査も発表された。貞観地震から約60年後の延喜式に記載された古社は東日本大震災の被害が軽微だったことや、津波で大打撃を受けた石巻市にある零羊(ひつじ)崎神社のように、被災者の受け入れなど神社が救援活動の拠点として機能したことが指摘された。

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