中医学の弁証論治と一元流の弁証論治
以前、2011年1月12日付けで「古典を読むということ 弁証論治を作成するということ」の中で述べましたように、中医学の弁証論治と一元流の弁証論治の違いは、その基本的な発想法にあります。
中医学は証候鑑別診断学に現れているように、数ある証候にその人間を当てはまるものを選択するようにしていきます。そこには、患者さんの身体あるいは眼前の病気をブラックボックスとし、四診を用いてそのブラックボックスから解を引き出そうとするという発想が隠されています。このため、中医学はあたかも百科事典を引くように症状を弁別し証を鑑別していくことが弁証論治の目標となります。
それに対して一元流の弁証論治は、気一元の生命観の下、その人間の生命の流れを主として五臓の関係の変化で記述していこうとします。ここには、現在現れている生命の状態とともにその人間の歴史といったものをも記述し、その生命の流れの中で疾病が起こってくる原因を探っていこうという姿勢があります。そのため、治療技術は病気に対応する解ではなく、症状を出すまでに気の濃淡の強くなった生命のバランスを立て直すにはどうすればよいか、という実践の集積となります。
中医学を奉じる北辰会の藤本氏は弁証を「この医学としての「病」分析であり、それに基づいて治療を導き出す前提である」〈上下左右前後の法則:序〉と語っていますが、一元流鍼灸術では生命の弁証論治と名付けているのは、このような違いがあるため、それを明確にしているわけです。
以前、2011年1月12日付けで「古典を読むということ 弁証論治を作成するということ」の中で述べましたように、中医学の弁証論治と一元流の弁証論治の違いは、その基本的な発想法にあります。
中医学は証候鑑別診断学に現れているように、数ある証候にその人間を当てはまるものを選択するようにしていきます。そこには、患者さんの身体あるいは眼前の病気をブラックボックスとし、四診を用いてそのブラックボックスから解を引き出そうとするという発想が隠されています。このため、中医学はあたかも百科事典を引くように症状を弁別し証を鑑別していくことが弁証論治の目標となります。
それに対して一元流の弁証論治は、気一元の生命観の下、その人間の生命の流れを主として五臓の関係の変化で記述していこうとします。ここには、現在現れている生命の状態とともにその人間の歴史といったものをも記述し、その生命の流れの中で疾病が起こってくる原因を探っていこうという姿勢があります。そのため、治療技術は病気に対応する解ではなく、症状を出すまでに気の濃淡の強くなった生命のバランスを立て直すにはどうすればよいか、という実践の集積となります。
中医学を奉じる北辰会の藤本氏は弁証を「この医学としての「病」分析であり、それに基づいて治療を導き出す前提である」〈上下左右前後の法則:序〉と語っていますが、一元流鍼灸術では生命の弁証論治と名付けているのは、このような違いがあるため、それを明確にしているわけです。
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