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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

『難経』の解説書である『難経鉄鑑』の六十六難は、このような図が掲示されています。行灯の図の経穴への展開と言えます。『鍼灸真髄』において大正の名人鍼灸師である沢田健しに絶賛された六十六難の図です。氏は、毎朝この六十六難に対面し、原気の流行および栄衛の往来を黙って座ってみていれば、身中の一太極を知ることができると述べています。さらには、万象の妙契〔伴注:森羅万象の秩序の背景に隠されている真理〕にまで思い至ることができるであろうとも。

この六十六難の図には何が描かれているのでしょうか。基本的には原穴の意味を表現している図です。原穴には十二ありますので、十二原とも題されています。上段にその十二原穴の名前が配されています。太淵・大陵・太衝・太白・太谿・兌骨(神門)・丘墟・衝陽・陽池・京骨・合谷・腕骨ですね。そして下段にはそれに対応する十二経絡の名前が書かれています。この両者の結びつきについて考察されているわけです。

十二原穴と十二経絡の間には、「原」という文字が一字真ん中に書かれていて、その言葉について解説されています。一つは三焦の尊号という言葉です。三焦を尊んで原という言葉を使っているというわけです。もう一つは三焦がめぐるところの兪という言葉が書かれています。三焦がめぐっている経穴、三焦の気が通っている経穴が原穴であると述べているわけです。原、これは三焦と関連し尊いものであり、原穴はその三焦の生命力の表現なのだと述べているわけです。

十二原穴と十二経絡との間に原という文字が書かれていてその解説がされていると述べました。実はこの図の下にはさらにもう一つ「原」という文字が真ん中に書かれています。この原にも解説が付されています。それは腎間の動気という言葉と、その解説としての、人の生命という言葉、それに十二経脉の根という三つの言葉です。つまり、一番下に書かれている原は、腎間の動気と呼ばれるもののことであり、これは人の生命の大元でありまた十二経脉の根であると述べられているわけです。先ほどの行灯の図を思い浮かべてください。同じことが書かれているということが理解できると思います。人の生命の大元は行灯の図の下焦部分に置かれている灯火であり、六十六難の図ではこれを腎間の動気と呼び原としているわけです。その原気が十二経脈を通じて表面に表れたものが原穴であるとしているわけです。行灯の表面に経穴という名前でその根元的な生命力が輝き出ている、そう書かれているわけです。

さて、この一番下の原と十二原穴を結んで線が描かれ、二つのことが書かれ解説されています。その一つは、三焦は原気の別使という言葉です。三焦は一番下の原すなわち腎間の動気の表現であるというわけです。行灯の図における灯りそのものが三焦であると考えているわけです。そしてもう一つは、三気を通行し五臓六腑を経歴すると書かれています。三気を通行しているということはもちろん三焦の気を通行しているという意味です。そして五臓六腑を経歴しているという言葉の意味は、五臓六腑を経歴して、十二原として表現されているという意味です。腎間の動気という生命力の根源とも言える最も深い位置にあるものが、三焦を通じ五臓六腑を経歴することを通じて十二原穴として表現されていると、そのように述べられているわけです。

六十六難の図はこのように、人身においてもっとも大切なものとして腎間の動気をあげ、その表現として十二原穴を捉えているわけです。行灯の図ではここに華蓋としての肺が描かれていましたが、ここではそれは省略されています。原という言葉の解説だからですね。

> ○読み合わせ
> 気の生成について教科書P.83を読んで勝手に
> 宗気+精=元気
> と解釈していましたが、伴先生に質問したら異なるようでした。
> そこで解説いただいたことを元に
> 下記、質問2に記述しましたので確認願います。
>
> ◇質問2:
> 営衛+呼吸から取り入れた天気=宗気
> 宗気→全身をめぐる気となる
> 全身の気の余剰→腎に蓄えられ精と合したもの=元気
> という解釈で合っていますでしょうか?
>
> 気の生成・運行・蔵精のメカニズムをすっきり理解できれば人
> 間理解・病因の理解にとても参考になると思いました。

営衛論の詳細は以下から始まる12ページほどにまとめられて
います。脳みそを鍛えたければ参考にしてください。
http://1gen.jp/1GEN/NAN/EIE01.HTM

こうやって勉強してきて気づかなければならないことは、「気」の
存在する「位置」によって名前が変化していることです。そして
その各々に名づけられた「気」について、さらにその特徴を考察
していきます。これが東洋医学の伝統的な考察法となっている
わけです。

一歩退いて眺めてみます。存在する位置によって名前をつけら
れた気は、各々異なるものなのでしょうか。同じものなのでしょ
うか。さまざまな個性があり違いがあるそれらの気を、「一気あ
るのみ」と断ずるところに一元流鍼灸術の特徴があります。

そして、その「一気」に地盤を置いて、そこから生命そのものを
新たに眺めなおしていくという姿勢をとり続けようとしています。
そのことを、「言葉を越えて存在そのものに肉薄していく」と表現
しているわけです。

「気の生成・運行・蔵精のメカニズム」は、解説を読んでみると、
それが順番に秩序だった時間経過をもって起こっているように
思えます。けれどもそれは誤解です。今まさに「同時に」この体内
で起こっていることです。

ここまでが前置きです。

| 営衛+呼吸から取り入れた天気=宗気
| 宗気→全身をめぐる気となる
| 全身の気の余剰→腎に蓄えられ精と合したもの=元気


飲食物が胃に入り、その精微が肺に昇ることによって呼吸を通じてとり入
れた体外の天気と合したものを宗気と名づけます。

宗気は肺の粛降作用を受けて、五臓六腑を栄養します。その後に生じた気
を静と動の観点から陰陽に分け、これを営衛と呼びます。

営は中焦から出て十二経を回って中焦に戻る気のことです。衛は、下焦から
出て全身を衛る気のことです。

全身の気の余剰が腎に精として蓄えられます。これが元気の基となります。
言葉を越えたリアリティを掴むというとき、そこには必ず幾ばくかの禅
の悟りが入り込みます。悟りというと遠くにある太陽か月のようですけ
れどもそれは違います。ただ、ありのままにlここにいてありのままに感
じ取ること。当たり前の今を、すべての妄念を取り払って感じ取ろうと
するということです。

これが実は脉診に必要になるということは、勉強をし脉診を継続された
方であれば容易に理解することができるでしょう。前提や思い込みがあ
ると、必ず診誤まります。実はこれは、脉診ばかりではありません。体
表観察すべての場面で必要になる姿勢です。


見ることができないうちに私たちは学校で言葉を学んでしまいます。そ
のため、見たものを言葉にあてはめようとしてしまいます。そうしない
と安心できない、それができると安心できる。そういう癖を、言葉に使
われている私たちはもってしまっています。

暝想は、その言葉を放擲して、リアリティーそのものに肉薄する練習で
す。仏教にも万巻の書物があります。それを一気に乗り越えて仏陀の悟
りにその裸一貫の魂で肉薄しようとするものが禅です。言葉を越えて悟
りの実態そのものへと参入していこうとするわけです。この姿勢を不立
文字と呼びます。

実は、体表観察をする上で必要な姿勢はこれです。東洋医学にも万巻の
書物があります。そのうち、脉診について専門に述べている書物もたく
さんあります。後進はその書物を読みこなし、脉診についてなんらかの
知識を得、さらに理解を得ようとします。

けれども言葉に従っていては実は脉診は理解できないものなのです。後
進は、文字に著されている脉状を、自分が診た脉状と比較しながら、診
たものにつけられている名前を探し出そうとします。さらにはその名前
で検索して、その脉状の意味を見つけ出そうとさえします。

けれどもそこには何の意味もありません。なぜなら、生命というものは
もっともっと大きな流れだからです。大いなる生命の流れの中に私たち
一人一人は存在しています。その一人一人の小さな生命の流れの中のご
く一部の表現として脉診はあるにすぎません。

生命の大いなる流れの中の、ごく一部。ほんのわずかな表現にすぎない
のです。そのため古来、脉に囚われるな、四診全体を見よというのです。
四診を通じて全体の生命の流れを把握し、その全体の生命状況に従って
現在の脉状の意味を考えていく。そのように発想の転換をしなければな
りません。

四診を通じて全体の生命の流れを把握し、その全体の流れに従って四診
それぞれに表現されていることの意味を考えていく。そのように発想の
転換をしなければならないのです。

診ることが先、診えたものをどのように呼ぶかということは、後の問題
です。その意味をどのように考えていくのかということは、さらにその
後の問題なのです。

私たちはそのことを理解するために暝想をします。言葉のすべてを手放
して、脉そのものを診れるように、体表観察そのものができるように、
全体の生命状況を捉えられるように、暝想をします。

そうやって実は、古典の文言に縛られた東洋医学を乗り越えようとして
いるわけです。

そうやって実は、体表観察に基づいた医学を、現代に蘇らせようとして
いるわけです。




伴 尚志
-元流鍼灸術の場では、疑問は宝です。疑問を提供していただくこと。その疑問を共有すること。ここから勉強会の成長が始まります。疑問が響き渡り共有されることによって、誰かから解が呈示されるかもしれません。その解、さまざまな人々や古典から呈示されたその解がまた響き渡り共有されることによって、共通の解が得られます。


ただ、解を得ることにあせりは禁物です。教条主義も禁物です。解を、上から押さえつけるように与えることも禁物です。せっかく提示された疑問なのですから、それを壊れやすい卵のように大切にしましょう。そして、その卵の隅々まで染みわたるような了解が共有されたときに、解が澄み通り、疑問が解決されたことが共有されます。

答えよりも疑問の方がはるかに貴重なものなのだということ。

これが学校の勉強と、実戦の場での学習の大きな違いなのです。
一元流鍼灸術とは何か。という質問をされたとき私は、うまく答えることができませんでした。私の中には沢山の解答が一度に沸いてきます。けれど も沢山沸く答えのうちの一つをとって言葉にしてみても、言い古されている言葉だったりごまかしのきく言葉だったりして、理解されることは難しいなと思って 言葉にできなくなるのです。理解されないまま、いわゆるカテゴリー分類されて、治まりのいい箱に整理され、忘れさられることが目に見えているためです。

人は、自分が見たいものを見、理解したいものを理解します。自分の理解している箱に既存のレッテルを貼ってきれいに整理するだけで。

言葉を超えた実存の中心に岐立しようとしている医学が存在することなど、想像することもできないのです。とはいっても言葉を用いて表現するしか方法はありませんので、あえて言葉にしてみます。

ひとことで言えば一元流鍼灸術は、気ー元の生命観に立って、東洋医学を新たに整理しなおしたものであると言えるでしょう。


幼児期に胆道閉塞を患って、肝硬変を引きおこし、病気がちのまま結婚した女性がいるという話を聞きました。その親は心配でー杯なのですが、彼女は子供を産みたがっているそうです。どうすればいいのでしょうか。

病という部分に着目するのであれば、親とともに心配し、できるだけ健康になってから子供を作るようにすればいいじゃないとか、子供は諦めた方がいいのではないからとか言うことになるでしょう。

け れども、生命力の側に立つのであれば、今現在その生命力にとって最も害となっているのは、その心配の気持ちなのです。心配のマイナスエネルギーが、生命力 の輝きを遮る役割をしてしまうわけです。肝硬変はすでに終わった問題、今は今持てる人生を活力を持ってよりよく生きるのみ。今、ただ生きること、子供を作 る望みを叶えることを応援することだと思います。

このような考え方が生命の側に立つ考え方です。伸びようとする生命の勢いを妨げない、生命を養い育て活き活きとした人生を応援しようとするわけです。


ー 元流鍼灸術はこのような、生命の側に立って発想する医学です。症状とりが目標なのではなく、今与えられている生をさらにより活き活きと生きられるよう応援 することを目標としているのです。生命力を活発にすることによってさまざまな障害を乗り越えやすくしていこうとするわけです。


東洋医学あるいは民間医学あるいは宗教的治療の中には、時には奇跡という表現しかとることのできないような治癒がもたらされることがあります。

それはただ、生命力がそれを起こしているのです。日々の養生を基礎として、より活性化された生命力を得ることを通じてそれが起こっているわけです。そしてこれが実は東洋医学の本来の眼目でもあります。

ー元流鍼灸術はそのような医学の再興を目標としています。その目標に向かって、東洋医学を中心として、人の生老病死のステージを前提としつつ、診断および治療の探究をし続けているのです。
勉強治療会は、年に一回、八月に行っています。
このファイルはその勉強治療会の一元流鍼灸術の中での位置づけを述べているものです。

一元流鍼灸術のメインコースでは、基礎理論を学びつつ自身の弁証論治をすることを通じて、一元流鍼灸術の基礎を学んでいきます。

ことに大切なことは、気一元の身体観に基づいた身体観を身につけるということです。ここにおいて私たちは古典を越え、言葉を越えて、身体そのものの神秘を学ぶ基礎を身につけようとしているわけです。

勉強治療会でやることはそれらの基礎に基づいて、さらに個別具体的に、経穴にアプローチし、どのように経穴などの四診状況が変化するのかを確認していきます。そして、なぜそのように変化したのか学ぶわけです。

こ のことを通じて、鍼灸という道具を通じて自分が何をしているのか探究していくわけです。実はこの探究は、日々の臨床の中で行われるべきことです。けれども 日々は日常に追われて惰性にまみれがちとなります。そこでもう一度初心に戻って、一穴一穴の処置およびそれに対する反応を探究する機会を設けているわけで す。

これはいわば、実戦の鍛錬とい うことになります。それを通じて、同じ経穴にアプローチしていても、自分がやって起こる反応と、他の人がやって起こる反応とが異なる場合があるということ を知ることができます。そのことを通じて、より精密な手技の探究というレベルまで話が深まっていくことでしょう。

メ インコースではよく、手技の中に補瀉はない、ということを述べています。経穴という相手、あるいはその経穴を保持している患者さんがそこにいるからこそ、 そこに相互の関係性が生じて、補瀉あるいは経穴の形状の変化をもたらす技法が生まれます。補瀉という言葉にしても虚実という言葉にしても、その実体をどう 見ていくのかという明確な理解がされないまま、伝統に依存して語られすぎているのではないでしょうか。東洋医学において使われているこのような言葉が、い かに漠然としたいい加減なものであるのかということが、勉強治療会を通じて理解できるでしょう。そして我々は、新しいほんとうに使える鍼灸技術を、一つ一 つ確認しながらこの勉強治療会で習得しようとしているのです。

も ともと鍼灸を基礎として構築されている東洋医学は、その初めから体表観察に基づいた養生治療であったということが言えます。養生を極めていくことを通じて さまざまな症状を取り除こうとしている医学である、という言い方もできます。けれどもそこには自ずと限界があるということも理解される必要があります。古 来死ななかった人間はいないわけですから、その前には必ずなんらかの病があるわけです。そしていかに養生をしようとも、誤治がそこにあろうとなかろうと、 最後には死んでいきます。

我々はその死にゆく身体に抗しつつ、今まだ生きている、その生命の質を向上させるために、養生の手助けとしての鍼灸を行っています。東洋医学が養生の手助けを確実にすることができるということこそ実は、われわれが誇り喜ぶべきことです。

ー元流鍼灸術はこのように東洋医学を未来に向けて洗い直しています。そして東洋医学はここにおいて新しい生命を得ることができるでしょう。

東洋医学が、長い歴史を通じて積み重ねてきた妄想から覚めるには、まだまだ時間がかかるでしょうが、そこから目覚めるための技法、探究方法を、勉強治療会を通じて構築していきたいと思っています。
朱子学も陽明学も、存在の本質とは何かということを探究しているもの
です。それを通じて正しく生きること、正しい社会認識を行い安定した
政治をすることさらには他者に対する礼儀はいかなるものかといったこ
とを、中国古典を通じて編み出そうとしてきたものです。

朱子学は宋代の革新的な思想であり、陽明学は朱子学の基盤のうえに咲
いた明代の思想です。双方ともに当時の求道的な思想の影響を受けてい
ます。

求道的というのは何を意味するのでしょうか。それは、物事の本質を極
めようとする姿勢のことを指しています。生活や自己保存を目標とする
のではなく、正しさとは何か、正しさは何によって担保されるかという
ことを極めることを、思考の基盤―人生の目標にしているわけです。

道を求める際、自己をまとめるために、静座を奨めていることも同じで
す。これは、禅の影響を強く受けているということを意味しています。
朱子は禅を全否定しますけれども、その思想の基盤には禅があるのです。
ようめいはそこまでは禅を否定しませんけれども、儒教一般として、
「禅に堕す」ことを忌避します。生命の学―実用の学では禅はないと考
えているためです。けれども自分の心をまとめ鎮めていくことを通じて、
あるがままの自己とは何かという問いに対する答えを、双方とも得てい
ます。

実はこの答えが、朱子学と陽明学とでは少し異なるわけです。

朱子学でなぜ理気二元論のような形になったかというと、物事の本質が
物そのものに備わっていると考えるためです。そこには、存在するもの
を作ったものが「天」であるという敬天思想があります。存在そのもの
にはすでに備わっている正しさがある。その正しい位置においてそのも
のを取り扱うことが、それの正しい取り扱いかたである、といった具合
です。

このため、朱子学では、存在するもの(気)の背景に本来的な性質(性)
があり、それを支えている理があるという論理構成となっています。こ
れが性即理という言葉の意味です。

これに対して陽明学ではさらに、ものの本質をとらえている「自分自身
は何か」といことへと問いが深化しています。そこまで問わなければも
のの本質をとらえることはできないのではないかという問題意識がそこ
にあるためです。

なぜかというと、物そのものの本質を見極めようとしているものは自分
である。自分の軸が定まっていなければ物事の本質などみえるわけがな
い。そういう発想がここにはあるわけです。

この背景には大きく深い自己否定があります。自分の本質を見極めなけ
れば物事の本質には至ることはできないだろう。しかし、その自分とは
そもそも何なのだろうか。きちんと物そのものを見ることができるのだ
ろうか。物を見ている自分の本質とは何なのだろう。ここを問い詰めて
いかなければならないためです。般若心経の眼耳鼻舌心意という自己の
知覚の全否定につながる思想がここにはあります。

そしてそのような大き深い壁―自己への絶望にぶち当たったはて、ひた
すら求道を光にすがって求めつづけていた底で、王陽明は大きな気づき
を得ることとなりました。これが「龍場の大悟」といわれるものです。

その内容は何かというと、「天地万物一体の理」と呼ばれるものです。
すべてのものは我が腹中において一体である。私こそがそれを見それら
を位置づけているものである。ここにおいて王陽明は自己を抜け出で、
一体の世界のなかに自己を譲り渡し、そこから言葉を発するようになっ
たわけです。

王陽明はもともと誠実な朱子学者であり、朱子の導きの手にしたがって
歩み続けることを通じて、「龍場の大悟」に至り、朱子学の二元論を乗
り越えて、万物一体の理のなかに住まうこととなりました。

自己の外に理はない、自分の内に理があるというその姿勢を担保するも
のは、絶えず自己点検をするということです。ものごとの正誤を認識し
決断するものは私でしかない、その責任を全うするためには自己の鍛錬
を怠ることはできない。そのため王陽明は積極的に人びとの中に入って
いき、自己の理解を拡充することを通じて自己を変革しようとしました。
自己の認識能力を厳しく鍛錬すること、そして決断は断固として行い責
任をとること。それが陽明学の正しさを担保するものであると考えたわ
けです。

その正しさとは、「今ここ」における正しさでしかないということはや
はり述べておく必要があるでしょう。状況が異なれば経験されることも
異なり、決断もそれにつれて異なってくるからです。

一元流鍼灸術はこの王陽明の思想に従います。

長くなりましたので、これ以降は各自考えを深めていってください。注
意すべきことは、万物一体の理、の外側には何もないということです。
「すべてがこの理の内側にあり、例外はない」ということです。

場を設定し、それを気一元のものとして把握していく一元流鍼灸術の身
体観の背景にある思想は、このようなものなのです。

なお、この文章は、以下の著書を参考にしています。
『朱子学と陽明学』小島毅著  ちくま学芸文庫
禅と陽明学との干渉については荒木見悟氏の諸著作


                                    伴  尚志

前回アップしたものに、石門心学の項目を加え、味岡三伯考を付し、解題と称して解説を加えました。
http://1gen.jp/1GEN/nihon-igaku.pdf
ここには、解題の部分を付しておきます。

解題

この文章は、いくつかの伏線で構成されています。

一つは、日本意識の目覚めの時代が江戸時代初期でありそれは、言葉を越えて存在そのものをみようとする意志によって推進されたということです。そしてこの意志は米国における基本思想である「反知性主義」と非常によく似ているということです。これが二つ目。この時代の成果として京都の味岡三伯医学塾が到達した地点として、気一元の身体観があります。そのことを明確に示しているものが『難経鉄鑑』です。『鍼灸真髄』で代田文誌によって描かれている大正時代の鍼灸師沢田健が称揚した『難経鉄鑑』はまさに日本の核をなす医学思想を表現していたものだったわけです。これが三つ目です。

一元流鍼灸術はこの「臍下丹田を中心とした気一元の身体観」にしたがって、生命の弁証論治を武器として、生命力の動きの側から人をとらえ養生治療を基本とした鍼灸治療を行なっていこうとしています。その基本思想―日本医学の到達点をわがものとするために、当時の学者達の志の持ち方を学ぼうということから、何人かに登場してもらい、その学問を進めていく意志の強さを学ぼうとしています。これが四つ目の伏線となります。

さらに言えば、この臍下丹田を中心とした気一元の身体観は、『難経』の作者のもっとも述べたかったことなのではないだろうかと考えています。すなわち「仏教の身体観で黄帝内経医学を解釈しなおしたかった」ということが、『難経』の作者の真の意図であろうということです。

言葉を越えて存在そのものにただ肉薄していく。その「生命力の盛衰の側から」疾病をとらえ、治療していく、そのような人間理解のできる鍼灸師になることを、一元流鍼灸術では目指しています。そしてその源流は江戸時代の初期、日本人が日本に目ざめた時にありました。


我々はこの目覚めの意志を学びます。それを通じて東洋医学は、普遍的な養生医学として甦っていくこととなるでしょう。



味岡三伯というのは、味岡の四傑を育てた人で三代続いた医学講習所の代表者の名前です。味岡の四傑というのは、小川朔庵・浅井周璞・井原道閲・岡本一抱の四人です。『鍼灸真髄』の中で沢田健によって絶賛されている『難経鉄鑑』を書いた広岡蘇仙はこの井原道閲から直接『難経』を教授されています。岡本一抱の『医学三蔵弁解』で描かれている三焦論が、六六難の図の原点であると考えることができます。

いわばそれまでの朱子学的な陰陽五行論を、陽明学的な気一元の生命観に基づいた陰陽五行論へと変容させた、中心グループであると私は考ています。


初代味岡三伯(1628~1661)は曲直瀬道三流の医学を饗庭東庵から学び、京都で開業し大いに繁栄していたということです。けれども33歳の時、妻の実家である筑前藩(太宰府を擁する地域で現在の福岡県西部)を訪れている時に突然客死してしまいました。その頃その妻は妊娠中で、三ヶ月後に出産しています。(『貝原益軒』井上忠著69p)この初代味岡三伯の子が貝原益軒の大量の著作を浄書するなどして支えていた竹田春庵(1661-1745)です。貝原益軒の大量の出版を縁の下で支えていたのが味岡三伯の実の息子であり、大量の医学諺解書などを出版した岡本一抱子の師が二代目味岡三伯であるということは、とても興味深いことです。双方ともに当時湧き起こった書籍出版の大波に乗った人であり、医師でした。


当時の筑前の三代目の藩主(黒田光之1628~1654~1707)の生母はまた、初代味岡三伯の従兄妹でもありました。この黒田光之は貝原益軒(1630~1714)を重用したことでも有名です。貝原益軒も始めて京都を訪れた時には初代味岡三伯の下を訪れています。奇縁と言わなければなりません。

初代味岡三伯の死後、どのような経緯か定かではありませんが、味岡三伯を襲名した二代目がいます。上にも述べまた味岡の四傑を育てたのはどうやらこの二代目です。京都には味岡三伯の師匠筋にあたる曲直瀬道三系列の啓廸院も医学講習所としてありましたから、それと張り合うような形で医学講習所を経営していたことになります。

この二代目味岡三伯は1726年に死去します。1732年に青森から京都に出てきた安藤昌益(1603~1762)は、三代目味岡三伯に師事しています。(安藤昌益資料館http://www.npo-cross.jp/shoeki/nenpyou-contents.htmlによる2016/03/24)

また本居宣長(1730~1801)は、味岡の四傑の小川朔庵の弟子堀元厚(1686~1754)の晩年、亡くなるまでの一年間だけその塾に入門していました。
熊沢蕃山:芸術大意遺編


ひょんなことから、熊沢蕃山の「芸術大意遺編」のことを知り、鍼灸という芸術を探究していくためにとても役に立つと思い、翻訳することにしました。ここでいう芸術とは、技術とその背景にある思想というほどの意味です。

江戸時代の士太夫である武士が修めるべき学問には、文武両道がありました。文の心の位置である徳は、仁です。武の心の位置である徳は、義です。徳というのは、心の根の質というほどの意味です。仁義の心を基本に持ち、諸々の芸術を修めなさい。そうすれば道のなんたるかも見えてくることでしょう。そう蕃山は語っています。

芸術というのは、道と呼ばれるまでに高め深められる、前の段階の技術のことを言います。蕃山は、弓馬書数礼楽詩歌という古代の芸術を通じて仁義の徳を修め、士大夫としての道を歩めと、この文章全体で人々を励ましてくれているわけです。


ー元流鍼灸術の裏テキストでは、本当に見るということはどういうことか、学ぶとは、施術とはと、心のあり方まで含めて詳細に解説されています。その心の位置、学術を深化させていく姿勢―バランスのとり方について、この書から学ぶことのできることがたくさんあります。


読み、学び、気付き、道を歩む、その第一歩をもう一度ていねいに踏み出していくきっかけになると嬉しく思います。

原文の段落の取り方は、原意とは異るように読めます。そこで段落を新たに作りなおし、大きな文章の括りを設けて、私が標題を付しました。目次として、冒頭に掲げておきます。熊沢蕃山先生の意がより明らかになっていると思います。異論があればご教示いただけるとありがたく思います。


■目次
芸術を学び道義を養う
神気を定め不動の念で学ぶ
剣術考
術の鍛錬
無物の理
無物の心は無敵
大道に学ぶ
自身の本体を知る
情欲を制す
おわりに
由来



以下のファイルです。別画面にPDFファイルで開かれます。

http://1gen.jp/1GEN/banzan-geijutu.pdf熊沢蕃山:芸術大意遺編
五徳終始説というのは、王朝の交替は、その王朝を象徴する色があり、次に
盟主となる王朝はそれと相剋関係にある徳をもったものとなるという考え方
です。

戦国時代の末期に騶衍(すうえん)によって唱えられ、次の王とならんとす
る諸国の君主に大いに受け入れられました。漢代に入ると、相剋関係で受け
継がれるとされていたものが、相生関係で受け継がれるという説に変化し、
王朝交代の歴史を学問的に検討した春秋学の基礎となります。

この学説は『黄帝内経』や『難経』における相生相剋理論の基礎となり、現
代の鍼灸家にも影響を与えています。


ここでよく考えていただきたいことがあります。一つの国家を二五の観点か
らバランスよく見て、そのバランスをとるために陰陽五行の見方は、その国
家をよりバランスよく見ていく上で有效であるとは思います。「一」を、空
間においては中央と四つの方向、時間においては土用と四季がそれです。今
ここに存在している一つのものを、より詳細に見ようとしているといるもの
です。

これを人間に当てはめてみることが天人相応理論の根幹です。そこにはほん
らい相生相剋というものは存在せず、ただあるがままに在るものをより詳し
くバランスよく見ようとする視点が存在しているだけでした。

五行すべてが一人の人を支えている、まるごと一つの人間を五の観点から眺
めているに過ぎない。そして、その弱い部分を補充するように努力すること
によって、その人は今よりも少し充実した生命状態となる、これが治療です。


しかし鄒衍の理論の基本にあるものは、一つの国を五徳のうちの一つにあて
はめるということです。五徳すべてがその強弱はともかく備わっている国を
想定するのではなく。また、まるごと一つの国をよく理解するために五行を
用いているのでもないのです。

現在の国情に五徳のうちの一つのレッテルを貼り、それに打ち勝つ国のレッ
テルを想定する作業を、相剋関係を用いて想定しているわけです。安っぽい
占筮であると言わなければなりません。現在の支配国家に対して打ち勝つよ
うな徳をもつ国を作るようにすることで、次代の支配国家になろうとする。
これは実は、陰陽五行理論の基本である「場の設定」を逸脱した考え方であ
り、実体を持たない観念論であるということが理解できるでしょうか。

鄒衍において、ただ観るということから離れ、言葉がその意味内容を離れて
単なる記号として使用されるようになったとも言えます。相生相剋理論とと
もにこのあたりの観念論は、臨床の場からは排除されなければなりません。

鄒衍は、讖緯説(前漢末期から始まる災異や瑞祥を用いて現在の皇帝の正当
性を主張する神秘思想。これが後の道教の神秘思想の一つとなっている )
の基本的な発想を作り出した学者であるともいえ、春秋学の基礎を作り後の
道教の神秘思想の基本を作ったともまた言えます。我々後学の、排除すべき
思想であると言えるでしょう。

日本型東洋医学の原点と題して、以下のファイルをアップしました。別画面にPDFファイルで開かれます。

http://1gen.jp/1GEN/nihon-igaku.pdf日本型東洋医学の原点pdf920kb

江戸時代に栄えた日本の医学の中心は、当然のことながら、東洋医学でした。そしてその原点は、室町時代末期に田代三喜が明から受容した李朱医学でした。その道統に高名な岡本一抱がいました。彼は大陸の医学書に解説をつけて出版し、さらに自身の医学として、「医学三蔵弁解」および「医学切要指南」を出版しています。彼は味岡三伯の四傑と称されていました。その兄弟弟子に難経を学んだのが、「難経鉄鑑」を著述し18世紀中頃に出版した広岡蘇仙です。

この「難経鉄鑑」は、戦前の医家である沢田健に激賞されたと「鍼灸真髄」に書かれています。この「鍼灸真髄」は、30年前の鍼灸学校当時、必読書の一つでした。その「難経鉄鑑」の学問の核がその六十六難の図に示されている人間観であり、気一元の身体観です。

一元流鍼灸術では、その名の通りこの気一元の身体観に基づき、生命を一本の木に見立ててその生命をありのままに診て治療する方法を打ち立ててきました。日本型東洋医学の道統にまっすぐ立脚し、今の一元流鍼灸術はあります。その原点を明らかにしようと試みた文章がこれです。

儒仏道すべてを、リアリティの核である禅によって統合した人間観に立つ医学がこれです。

道はまだまだ続きますが、今、とてもおもしろいところに至っています。
症状とは何かというと、
それは生命力の何らかの表現であるわけです。
生命力が何を表現しているのかということを理解することが、
医師である我々に科せられていることです。

患者さんは症状を異常なこととして嫌い、
症状をとることを基本的に求めます。
それまでの慣習をこれからも継続していくことを望むわけです。
それが健康であり「正常」に戻ることであると考えています。

けれども生命力の表現である症状を敵視していては、
身体の大きな状況がどうなっているのかということを
理解することさえ、実はおぼつきません。

そのため、私はは症状とりをする医師を疾医として卑しめ、
全身の生命力の状態をみてその中に症状を位置づけ
生命状態を把握するものを養生医として尊崇しています。

知の核にあるものは存在であり体験であり心です。
言葉ではありません。言葉はそれを表現したものです。
そのためこの知の核が汚れているとなにも見えません。
見えていないままに言葉を綴る人々がいるのは残念なことです。
知の核を磨き、自身の穢れをまず払う必要があります。

知の核である「体験する心を磨く」ためには何が必要なのでしょうか。
じつはこれが、禅における止観であり修験道の修行です。
穢れを祓い浄めるということが道徳の核としてある神道は
まさにこの修行目的そのものです。

治療におきかえてみるとこれは、体表観察するための五感を鍛えるということです。
五感を鍛えるためには、感覚を敏感に繊細にしていくということも大切です。
そしてそのために行うべき大切なことに、
概念や思い込みによって五感が邪魔されないようにする
ということがあげられます。

己を無にして五感で受け取ったものをきちんと受け取ること。
治療においてはこれが核となる知の基盤ということになります。

このような知の核の鍛錬において、
禅と神道がたいへん重要であるということは上に述べたとおりです。
般若心経の般若波羅蜜多とは、
穢れない眼差しで体験した真実の世界という意味です。

学者が間違えるのはこの知の核が体験ではなく知識だと思うところにあります。
言葉に表現されたものしか言葉を通じて読み取ることができないため、
あるいは学問という名前で、言葉に強く依拠してしまうためなのでしょう。
分別知しか持つことを許されない学者は、
その始めの第一歩から知の階梯を踏み外さざるをえないのです。

わたしたちは知っています。
知の核の体験から自然に発生する「第一声」こそが大切であるということを。
最初は意味を持たない感嘆でしょう。
それで十分です。

けれどもそれを理解していくにつれて、
「ありがたい」とか「一」とか「まるごとひとつ」とか「自他一体」といった
日々「生かされていることを知る」言葉
-生命の言葉に出会うことができるかもしれません。

それらの言葉は、この知の核の体験から汲み出された表現の一部です。
けれども言葉という不浄のものを出す必要さえ実はないのかもしれません。
その体験を生きていればそれで十分なのですから・・・

表現された言葉を通じて我々は、
知の有り様と知の核の体験に踏み出さなければなりません。
言葉を組み合わせて理解したふりをするのではなく、
実際の体験の海に泳ぎ出す必要があるのです。

実際に体験し、
その海を豊かに感じ取り
泳いでいくことが大切です。
言葉のない世界を泳ぐことがどれほどの喜びを与えてくれるか。
これは体験した人でないとわからないところでしょう。

このような「第一声」は、魂を孕んでいるので言霊と呼ばれています。
知の核を反映している言葉です。
そのような言葉として「第一声」を感受する、
その感受性を養うことが大切です。

言葉を組み合わせて言葉を作り上げるところには詐術が入り込みます。
どのように豊穣な言葉で組み立てられていても、嘘は嘘にすぎません。
ゴミのような腐臭を放つ大量の言葉が現代では横行しています。
言葉の表面だけしか見えなければ、
それに振り回されてしまいます。
これが言葉の危険なところです。

その危険性から回避するために必要な手段は、
言葉を越えて存在そのものを理解する心を持つことです。
その意志があってはじめて生命と共に生きる世界を歩むことができます。







12月の勉強会でお話ししたことは
江戸時代初期の時代精神は、求道だった。
言葉を越えて真実を求めるところにあった。
その医学的な成果が『難経鉄鑑』だという話ですね。一言で言うと。

儒教哲学的な成果は伊藤仁齋の気一元論でしょう。
けれどもこのあたりの求道心のすさまじさというものは実は、
学問の世界では抜け落ちてしまうところです。
学問の世界って、言葉をつきあわせているだけで、追体験しないからですね。
だから言葉を越えましょう、自らの心に響き合わせることで、
それが真実により近いのか遠いのかを感じ取りましょう。

石田梅岩は、そのような求道的な学問を定式化して提示しています。
いわゆる石門心学です。
禅の悟りの体験を人々に伝えたいと、塾を開き、
集まってきた商人に道を説いたため、商人道の元祖のようにいわれています。
ただ、現在、その方法論が継承されているのか、
商人道という果実だけが継承されているのかは私は知りません。
言葉となった果実だけが伝えられているのかもしれませんので。

そう。
私は、言葉を創造する者でありたいと思っています。

それが、言葉を越えて真実を求めることだと思います。

求めて得た真実を、言葉にして語るその言葉は、
まさに人生をかけて得ることのできた発語の言葉、創造の言葉です。

弁証論治を行い病因病理を作るということは、
まさにそれをやり続けているということです。
言葉に魂が宿っているということから
日本民族は言霊という言葉を作り
言葉を軽々に発しない

言葉の危険性は、
言葉を発することによって純粋な体験から離れてしまうところにある。

言葉は分別知を産み、分別知は言葉を利用して
純粋な体験に色づけをしてしまう。
純粋な体験に分別知による方向をつけてしまうため、
体験が歪んでしまうのだ。

この危険性を知っているため、
日本民族は言葉には魂が宿るとして
「言霊」という言葉を作って言葉を大切にし、
軽々に言挙げしはしないようにしているのである。

これは純粋な体験を大切にするところから発している。
純粋な体験は言葉によってすぐに穢され、
偽善や欺瞞や嘘作り事の世界が始まる。

純粋な体験を表現することが詩なのだが
詩人は、純粋な体験を大切にすることから、
言葉の意味を越えて飛翔する
そして分別知の入りようがない
純粋な体験を表現していくのである。

これが、言霊となって真実の世界への眼を開かせる言葉となる。
12月に私がお話しするものは、「日本型東洋医学の原点」についてです。日本的東洋医学というと、平安時代に丹波康頼によってまとめられた「医心方」を思い浮かべる方も多いと思います。が、今回は江戸時代初期100年間ほどのできごとが中心となります。

その理由は、
1、「医心方」は丹波家代々に伝わる書物にすぎず、大衆的に論議されたものではなかった。
2、医学がはじめて市井の学問となったのは、江戸時代であり、その源流は室町時代に田代三喜が明への留学から帰国してもたらした、明医学にある。
3、この明医学を実学として使える医学とするために、田代三喜を含め日本の医家たちは格闘していた―この姿勢は中医学を実学とするために格闘している我々が学ぶべきことである。
4、 朱子学の理気二元論を儒学者が気ー元の生命観で剋服したように、気ー元の生命観が日本で育まれることとなった。ここに日本医学の基礎があり、その根底には禅の影響がある。
といったところにあります。

そこで今回の話の目的を、「言葉を越えて存在そのものを理解する」―江戸時代初期の求道者たちの姿勢からー元流鍼灸術を行ずるための基本的姿勢を学ぶ
というものにしました。

いわば、これからの東洋医学を構築していくための「志」をどこにおくのかということを先人に学ぼうというわけです。

この話の端緒は実は、澤田健にあります。私が鍼灸学校に入りたての頃に何回も読んでいた書物『鍼灸眞髄』に描かれている鍼灸師です。彼はそこで、「死物の古典を以て生ける人体を読むべし」と述べています。

彼が教科書とした書物『十四経発揮』『和漢三才図会』『難経鉄鑑』の三種類のうち、前の二つは現在も我々が学んでいる臓腑経絡学に相当します。『難経鉄鑑』では、気ー元の人間観が述べられています。テキストにもある六十六難の図は、その構造が表現されているものです。澤田健は、この図を毎朝黙座して眺めつづけると、すごいことがわかるよと教えていました。

直接的な登場人物は、『難経鉄鑑』の著者である広岡蘇仙とその道統です。けれどもその時代精神をより明確に表現しているものとして、時代精神の鼻祖である中江藤樹、その弟子の熊沢蕃山、君子の学として同時代に武士道を唱道した山鹿素行、そして、彼等の学び方をまっすぐに伝承して表現している石田梅岩を紹介します。

「志を立てる」ことの激しさと大切さについて考えてみたいと思います。
養生するということは、自分が病んでいることを知っているということです。
自分が病んでいることを知っているので、その病から立ち直りたいと思うわけです。
修行するということは自分が愚か者であることを知っているということです。
自分が愚かであることを知っているので、その愚から立ち直りたいと思うわけです。
「健康」というのは、病んでいる自分を映す「鏡」のようなものです。
「健康」な状態に向かって養生を重ねていくわけです。
「悟り」というのは、愚かな自分を映す「鏡」のようなものです。
「悟り」の状態に向かって修行を重ねていくわけです。
お釈迦様が悟りを開いたのは実は、
自らが鏡になることを選択したということです。
そうすることによって、
実は迷い実は病んでいる人々を、
真実の世界―生命の世界に導こうとしたわけです。

健康な状態があるから病であることがわかるわけです。
健康になろうとしているということは今、病んでいるということです。
悟りの状態があるから愚者であるということがわかるわけです。
悟ろうとしているということは今、愚者であるということです。

これらの言葉から理解されなければならないことは実は、
病者であることを自覚することが、健康への萌芽があり
愚者であることを自覚することが、悟りへの萌芽がある、
ということです。


養生とはとりもなおさず病者であることを自覚することであり、
修行とはとりもなおさず愚者であることを自覚することです。

生きるということは病み続けているということであり
悟るということは愚かであり続けているということであり

病者愚者に徹することが実は、
健康へ悟りへの近道であると言えます。

自分は健康である、自分は悟りを開いているという言葉はとりもなおさず、
傲慢で鼻持ちならない言葉であり、
真の病者―真の愚者の言葉であるともまた言える理由がここにあります。

この迷路をくぐり抜けて一気に悟りのただ中に立って世の鏡となった仏陀の
捨て身の救世心―慈悲心は、この深さで理解される必要があります。
涅槃の言葉は感応
涅槃の友情は応援
一体にして
結び
交わる

言葉による差別や区別のない世界
それぞれがそれぞれの役割りを担い
それぞれの喜びを生きる世界

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