一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

朱子学も陽明学も、存在の本質とは何かということを探究しているもの
です。それを通じて正しく生きること、正しい社会認識を行い安定した
政治をすることさらには他者に対する礼儀はいかなるものかといったこ
とを、中国古典を通じて編み出そうとしてきたものです。

朱子学は宋代の革新的な思想であり、陽明学は朱子学の基盤のうえに咲
いた明代の思想です。双方ともに当時の求道的な思想の影響を受けてい
ます。

求道的というのは何を意味するのでしょうか。それは、物事の本質を極
めようとする姿勢のことを指しています。生活や自己保存を目標とする
のではなく、正しさとは何か、正しさは何によって担保されるかという
ことを極めることを、思考の基盤―人生の目標にしているわけです。

道を求める際、自己をまとめるために、静座を奨めていることも同じで
す。これは、禅の影響を強く受けているということを意味しています。
朱子は禅を全否定しますけれども、その思想の基盤には禅があるのです。
ようめいはそこまでは禅を否定しませんけれども、儒教一般として、
「禅に堕す」ことを忌避します。生命の学―実用の学では禅はないと考
えているためです。けれども自分の心をまとめ鎮めていくことを通じて、
あるがままの自己とは何かという問いに対する答えを、双方とも得てい
ます。

実はこの答えが、朱子学と陽明学とでは少し異なるわけです。

朱子学でなぜ理気二元論のような形になったかというと、物事の本質が
物そのものに備わっていると考えるためです。そこには、存在するもの
を作ったものが「天」であるという敬天思想があります。存在そのもの
にはすでに備わっている正しさがある。その正しい位置においてそのも
のを取り扱うことが、それの正しい取り扱いかたである、といった具合
です。

このため、朱子学では、存在するもの(気)の背景に本来的な性質(性)
があり、それを支えている理があるという論理構成となっています。こ
れが性即理という言葉の意味です。

これに対して陽明学ではさらに、ものの本質をとらえている「自分自身
は何か」といことへと問いが深化しています。そこまで問わなければも
のの本質をとらえることはできないのではないかという問題意識がそこ
にあるためです。

なぜかというと、物そのものの本質を見極めようとしているものは自分
である。自分の軸が定まっていなければ物事の本質などみえるわけがな
い。そういう発想がここにはあるわけです。

この背景には大きく深い自己否定があります。自分の本質を見極めなけ
れば物事の本質には至ることはできないだろう。しかし、その自分とは
そもそも何なのだろうか。きちんと物そのものを見ることができるのだ
ろうか。物を見ている自分の本質とは何なのだろう。ここを問い詰めて
いかなければならないためです。般若心経の眼耳鼻舌心意という自己の
知覚の全否定につながる思想がここにはあります。

そしてそのような大き深い壁―自己への絶望にぶち当たったはて、ひた
すら求道を光にすがって求めつづけていた底で、王陽明は大きな気づき
を得ることとなりました。これが「龍場の大悟」といわれるものです。

その内容は何かというと、「天地万物一体の理」と呼ばれるものです。
すべてのものは我が腹中において一体である。私こそがそれを見それら
を位置づけているものである。ここにおいて王陽明は自己を抜け出で、
一体の世界のなかに自己を譲り渡し、そこから言葉を発するようになっ
たわけです。

王陽明はもともと誠実な朱子学者であり、朱子の導きの手にしたがって
歩み続けることを通じて、「龍場の大悟」に至り、朱子学の二元論を乗
り越えて、万物一体の理のなかに住まうこととなりました。

自己の外に理はない、自分の内に理があるというその姿勢を担保するも
のは、絶えず自己点検をするということです。ものごとの正誤を認識し
決断するものは私でしかない、その責任を全うするためには自己の鍛錬
を怠ることはできない。そのため王陽明は積極的に人びとの中に入って
いき、自己の理解を拡充することを通じて自己を変革しようとしました。
自己の認識能力を厳しく鍛錬すること、そして決断は断固として行い責
任をとること。それが陽明学の正しさを担保するものであると考えたわ
けです。

その正しさとは、「今ここ」における正しさでしかないということはや
はり述べておく必要があるでしょう。状況が異なれば経験されることも
異なり、決断もそれにつれて異なってくるからです。

一元流鍼灸術はこの王陽明の思想に従います。

長くなりましたので、これ以降は各自考えを深めていってください。注
意すべきことは、万物一体の理、の外側には何もないということです。
「すべてがこの理の内側にあり、例外はない」ということです。

場を設定し、それを気一元のものとして把握していく一元流鍼灸術の身
体観の背景にある思想は、このようなものなのです。

なお、この文章は、以下の著書を参考にしています。
『朱子学と陽明学』小島毅著  ちくま学芸文庫
禅と陽明学との干渉については荒木見悟氏の諸著作


                                    伴  尚志

前回アップしたものに、石門心学の項目を加え、味岡三伯考を付し、解題と称して解説を加えました。
http://1gen.jp/1GEN/nihon-igaku.pdf
ここには、解題の部分を付しておきます。

解題

この文章は、いくつかの伏線で構成されています。

一つは、日本意識の目覚めの時代が江戸時代初期でありそれは、言葉を越えて存在そのものをみようとする意志によって推進されたということです。そしてこの意志は米国における基本思想である「反知性主義」と非常によく似ているということです。これが二つ目。この時代の成果として京都の味岡三伯医学塾が到達した地点として、気一元の身体観があります。そのことを明確に示しているものが『難経鉄鑑』です。『鍼灸真髄』で代田文誌によって描かれている大正時代の鍼灸師沢田健が称揚した『難経鉄鑑』はまさに日本の核をなす医学思想を表現していたものだったわけです。これが三つ目です。

一元流鍼灸術はこの「臍下丹田を中心とした気一元の身体観」にしたがって、生命の弁証論治を武器として、生命力の動きの側から人をとらえ養生治療を基本とした鍼灸治療を行なっていこうとしています。その基本思想―日本医学の到達点をわがものとするために、当時の学者達の志の持ち方を学ぼうということから、何人かに登場してもらい、その学問を進めていく意志の強さを学ぼうとしています。これが四つ目の伏線となります。

さらに言えば、この臍下丹田を中心とした気一元の身体観は、『難経』の作者のもっとも述べたかったことなのではないだろうかと考えています。すなわち「仏教の身体観で黄帝内経医学を解釈しなおしたかった」ということが、『難経』の作者の真の意図であろうということです。

言葉を越えて存在そのものにただ肉薄していく。その「生命力の盛衰の側から」疾病をとらえ、治療していく、そのような人間理解のできる鍼灸師になることを、一元流鍼灸術では目指しています。そしてその源流は江戸時代の初期、日本人が日本に目ざめた時にありました。


我々はこの目覚めの意志を学びます。それを通じて東洋医学は、普遍的な養生医学として甦っていくこととなるでしょう。



味岡三伯というのは、味岡の四傑を育てた人で三代続いた医学講習所の代表者の名前です。味岡の四傑というのは、小川朔庵・浅井周璞・井原道閲・岡本一抱の四人です。『鍼灸真髄』の中で沢田健によって絶賛されている『難経鉄鑑』を書いた広岡蘇仙はこの井原道閲から直接『難経』を教授されています。岡本一抱の『医学三蔵弁解』で描かれている三焦論が、六六難の図の原点であると考えることができます。

いわばそれまでの朱子学的な陰陽五行論を、陽明学的な気一元の生命観に基づいた陰陽五行論へと変容させた、中心グループであると私は考ています。


初代味岡三伯(1628~1661)は曲直瀬道三流の医学を饗庭東庵から学び、京都で開業し大いに繁栄していたということです。けれども33歳の時、妻の実家である筑前藩(太宰府を擁する地域で現在の福岡県西部)を訪れている時に突然客死してしまいました。その頃その妻は妊娠中で、三ヶ月後に出産しています。(『貝原益軒』井上忠著69p)この初代味岡三伯の子が貝原益軒の大量の著作を浄書するなどして支えていた竹田春庵(1661-1745)です。貝原益軒の大量の出版を縁の下で支えていたのが味岡三伯の実の息子であり、大量の医学諺解書などを出版した岡本一抱子の師が二代目味岡三伯であるということは、とても興味深いことです。双方ともに当時湧き起こった書籍出版の大波に乗った人であり、医師でした。


当時の筑前の三代目の藩主(黒田光之1628~1654~1707)の生母はまた、初代味岡三伯の従兄妹でもありました。この黒田光之は貝原益軒(1630~1714)を重用したことでも有名です。貝原益軒も始めて京都を訪れた時には初代味岡三伯の下を訪れています。奇縁と言わなければなりません。

初代味岡三伯の死後、どのような経緯か定かではありませんが、味岡三伯を襲名した二代目がいます。上にも述べまた味岡の四傑を育てたのはどうやらこの二代目です。京都には味岡三伯の師匠筋にあたる曲直瀬道三系列の啓廸院も医学講習所としてありましたから、それと張り合うような形で医学講習所を経営していたことになります。

この二代目味岡三伯は1726年に死去します。1732年に青森から京都に出てきた安藤昌益(1603~1762)は、三代目味岡三伯に師事しています。(安藤昌益資料館http://www.npo-cross.jp/shoeki/nenpyou-contents.htmlによる2016/03/24)

また本居宣長(1730~1801)は、味岡の四傑の小川朔庵の弟子堀元厚(1686~1754)の晩年、亡くなるまでの一年間だけその塾に入門していました。
熊沢蕃山:芸術大意遺編


ひょんなことから、熊沢蕃山の「芸術大意遺編」のことを知り、鍼灸という芸術を探究していくためにとても役に立つと思い、翻訳することにしました。ここでいう芸術とは、技術とその背景にある思想というほどの意味です。

江戸時代の士太夫である武士が修めるべき学問には、文武両道がありました。文の心の位置である徳は、仁です。武の心の位置である徳は、義です。徳というのは、心の根の質というほどの意味です。仁義の心を基本に持ち、諸々の芸術を修めなさい。そうすれば道のなんたるかも見えてくることでしょう。そう蕃山は語っています。

芸術というのは、道と呼ばれるまでに高め深められる、前の段階の技術のことを言います。蕃山は、弓馬書数礼楽詩歌という古代の芸術を通じて仁義の徳を修め、士大夫としての道を歩めと、この文章全体で人々を励ましてくれているわけです。


ー元流鍼灸術の裏テキストでは、本当に見るということはどういうことか、学ぶとは、施術とはと、心のあり方まで含めて詳細に解説されています。その心の位置、学術を深化させていく姿勢―バランスのとり方について、この書から学ぶことのできることがたくさんあります。


読み、学び、気付き、道を歩む、その第一歩をもう一度ていねいに踏み出していくきっかけになると嬉しく思います。

原文の段落の取り方は、原意とは異るように読めます。そこで段落を新たに作りなおし、大きな文章の括りを設けて、私が標題を付しました。目次として、冒頭に掲げておきます。熊沢蕃山先生の意がより明らかになっていると思います。異論があればご教示いただけるとありがたく思います。


■目次
芸術を学び道義を養う
神気を定め不動の念で学ぶ
剣術考
術の鍛錬
無物の理
無物の心は無敵
大道に学ぶ
自身の本体を知る
情欲を制す
おわりに
由来



以下のファイルです。別画面にPDFファイルで開かれます。

http://1gen.jp/1GEN/banzan-geijutu.pdf熊沢蕃山:芸術大意遺編
五徳終始説というのは、王朝の交替は、その王朝を象徴する色があり、次に
盟主となる王朝はそれと相剋関係にある徳をもったものとなるという考え方
です。

戦国時代の末期に騶衍(すうえん)によって唱えられ、次の王とならんとす
る諸国の君主に大いに受け入れられました。漢代に入ると、相剋関係で受け
継がれるとされていたものが、相生関係で受け継がれるという説に変化し、
王朝交代の歴史を学問的に検討した春秋学の基礎となります。

この学説は『黄帝内経』や『難経』における相生相剋理論の基礎となり、現
代の鍼灸家にも影響を与えています。


ここでよく考えていただきたいことがあります。一つの国家を二五の観点か
らバランスよく見て、そのバランスをとるために陰陽五行の見方は、その国
家をよりバランスよく見ていく上で有效であるとは思います。「一」を、空
間においては中央と四つの方向、時間においては土用と四季がそれです。今
ここに存在している一つのものを、より詳細に見ようとしているといるもの
です。

これを人間に当てはめてみることが天人相応理論の根幹です。そこにはほん
らい相生相剋というものは存在せず、ただあるがままに在るものをより詳し
くバランスよく見ようとする視点が存在しているだけでした。

五行すべてが一人の人を支えている、まるごと一つの人間を五の観点から眺
めているに過ぎない。そして、その弱い部分を補充するように努力すること
によって、その人は今よりも少し充実した生命状態となる、これが治療です。


しかし鄒衍の理論の基本にあるものは、一つの国を五徳のうちの一つにあて
はめるということです。五徳すべてがその強弱はともかく備わっている国を
想定するのではなく。また、まるごと一つの国をよく理解するために五行を
用いているのでもないのです。

現在の国情に五徳のうちの一つのレッテルを貼り、それに打ち勝つ国のレッ
テルを想定する作業を、相剋関係を用いて想定しているわけです。安っぽい
占筮であると言わなければなりません。現在の支配国家に対して打ち勝つよ
うな徳をもつ国を作るようにすることで、次代の支配国家になろうとする。
これは実は、陰陽五行理論の基本である「場の設定」を逸脱した考え方であ
り、実体を持たない観念論であるということが理解できるでしょうか。

鄒衍において、ただ観るということから離れ、言葉がその意味内容を離れて
単なる記号として使用されるようになったとも言えます。相生相剋理論とと
もにこのあたりの観念論は、臨床の場からは排除されなければなりません。

鄒衍は、讖緯説(前漢末期から始まる災異や瑞祥を用いて現在の皇帝の正当
性を主張する神秘思想。これが後の道教の神秘思想の一つとなっている )
の基本的な発想を作り出した学者であるともいえ、春秋学の基礎を作り後の
道教の神秘思想の基本を作ったともまた言えます。我々後学の、排除すべき
思想であると言えるでしょう。

日本型東洋医学の原点と題して、以下のファイルをアップしました。別画面にPDFファイルで開かれます。

http://1gen.jp/1GEN/nihon-igaku.pdf日本型東洋医学の原点pdf920kb

江戸時代に栄えた日本の医学の中心は、当然のことながら、東洋医学でした。そしてその原点は、室町時代末期に田代三喜が明から受容した李朱医学でした。その道統に高名な岡本一抱がいました。彼は大陸の医学書に解説をつけて出版し、さらに自身の医学として、「医学三蔵弁解」および「医学切要指南」を出版しています。彼は味岡三伯の四傑と称されていました。その兄弟弟子に難経を学んだのが、「難経鉄鑑」を著述し18世紀中頃に出版した広岡蘇仙です。

この「難経鉄鑑」は、戦前の医家である沢田健に激賞されたと「鍼灸真髄」に書かれています。この「鍼灸真髄」は、30年前の鍼灸学校当時、必読書の一つでした。その「難経鉄鑑」の学問の核がその六十六難の図に示されている人間観であり、気一元の身体観です。

一元流鍼灸術では、その名の通りこの気一元の身体観に基づき、生命を一本の木に見立ててその生命をありのままに診て治療する方法を打ち立ててきました。日本型東洋医学の道統にまっすぐ立脚し、今の一元流鍼灸術はあります。その原点を明らかにしようと試みた文章がこれです。

儒仏道すべてを、リアリティの核である禅によって統合した人間観に立つ医学がこれです。

道はまだまだ続きますが、今、とてもおもしろいところに至っています。
症状とは何かというと、
それは生命力の何らかの表現であるわけです。
生命力が何を表現しているのかということを理解することが、
医師である我々に科せられていることです。

患者さんは症状を異常なこととして嫌い、
症状をとることを基本的に求めます。
それまでの慣習をこれからも継続していくことを望むわけです。
それが健康であり「正常」に戻ることであると考えています。

けれども生命力の表現である症状を敵視していては、
身体の大きな状況がどうなっているのかということを
理解することさえ、実はおぼつきません。

そのため、私はは症状とりをする医師を疾医として卑しめ、
全身の生命力の状態をみてその中に症状を位置づけ
生命状態を把握するものを養生医として尊崇しています。

知の核にあるものは存在であり体験であり心です。
言葉ではありません。言葉はそれを表現したものです。
そのためこの知の核が汚れているとなにも見えません。
見えていないままに言葉を綴る人々がいるのは残念なことです。
知の核を磨き、自身の穢れをまず払う必要があります。

知の核である「体験する心を磨く」ためには何が必要なのでしょうか。
じつはこれが、禅における止観であり修験道の修行です。
穢れを祓い浄めるということが道徳の核としてある神道は
まさにこの修行目的そのものです。

治療におきかえてみるとこれは、体表観察するための五感を鍛えるということです。
五感を鍛えるためには、感覚を敏感に繊細にしていくということも大切です。
そしてそのために行うべき大切なことに、
概念や思い込みによって五感が邪魔されないようにする
ということがあげられます。

己を無にして五感で受け取ったものをきちんと受け取ること。
治療においてはこれが核となる知の基盤ということになります。

このような知の核の鍛錬において、
禅と神道がたいへん重要であるということは上に述べたとおりです。
般若心経の般若波羅蜜多とは、
穢れない眼差しで体験した真実の世界という意味です。

学者が間違えるのはこの知の核が体験ではなく知識だと思うところにあります。
言葉に表現されたものしか言葉を通じて読み取ることができないため、
あるいは学問という名前で、言葉に強く依拠してしまうためなのでしょう。
分別知しか持つことを許されない学者は、
その始めの第一歩から知の階梯を踏み外さざるをえないのです。

わたしたちは知っています。
知の核の体験から自然に発生する「第一声」こそが大切であるということを。
最初は意味を持たない感嘆でしょう。
それで十分です。

けれどもそれを理解していくにつれて、
「ありがたい」とか「一」とか「まるごとひとつ」とか「自他一体」といった
日々「生かされていることを知る」言葉
-生命の言葉に出会うことができるかもしれません。

それらの言葉は、この知の核の体験から汲み出された表現の一部です。
けれども言葉という不浄のものを出す必要さえ実はないのかもしれません。
その体験を生きていればそれで十分なのですから・・・

表現された言葉を通じて我々は、
知の有り様と知の核の体験に踏み出さなければなりません。
言葉を組み合わせて理解したふりをするのではなく、
実際の体験の海に泳ぎ出す必要があるのです。

実際に体験し、
その海を豊かに感じ取り
泳いでいくことが大切です。
言葉のない世界を泳ぐことがどれほどの喜びを与えてくれるか。
これは体験した人でないとわからないところでしょう。

このような「第一声」は、魂を孕んでいるので言霊と呼ばれています。
知の核を反映している言葉です。
そのような言葉として「第一声」を感受する、
その感受性を養うことが大切です。

言葉を組み合わせて言葉を作り上げるところには詐術が入り込みます。
どのように豊穣な言葉で組み立てられていても、嘘は嘘にすぎません。
ゴミのような腐臭を放つ大量の言葉が現代では横行しています。
言葉の表面だけしか見えなければ、
それに振り回されてしまいます。
これが言葉の危険なところです。

その危険性から回避するために必要な手段は、
言葉を越えて存在そのものを理解する心を持つことです。
その意志があってはじめて生命と共に生きる世界を歩むことができます。







12月の勉強会でお話ししたことは
江戸時代初期の時代精神は、求道だった。
言葉を越えて真実を求めるところにあった。
その医学的な成果が『難経鉄鑑』だという話ですね。一言で言うと。

儒教哲学的な成果は伊藤仁齋の気一元論でしょう。
けれどもこのあたりの求道心のすさまじさというものは実は、
学問の世界では抜け落ちてしまうところです。
学問の世界って、言葉をつきあわせているだけで、追体験しないからですね。
だから言葉を越えましょう、自らの心に響き合わせることで、
それが真実により近いのか遠いのかを感じ取りましょう。

石田梅岩は、そのような求道的な学問を定式化して提示しています。
いわゆる石門心学です。
禅の悟りの体験を人々に伝えたいと、塾を開き、
集まってきた商人に道を説いたため、商人道の元祖のようにいわれています。
ただ、現在、その方法論が継承されているのか、
商人道という果実だけが継承されているのかは私は知りません。
言葉となった果実だけが伝えられているのかもしれませんので。

そう。
私は、言葉を創造する者でありたいと思っています。

それが、言葉を越えて真実を求めることだと思います。

求めて得た真実を、言葉にして語るその言葉は、
まさに人生をかけて得ることのできた発語の言葉、創造の言葉です。

弁証論治を行い病因病理を作るということは、
まさにそれをやり続けているということです。
言葉に魂が宿っているということから
日本民族は言霊という言葉を作り
言葉を軽々に発しない

言葉の危険性は、
言葉を発することによって純粋な体験から離れてしまうところにある。

言葉は分別知を産み、分別知は言葉を利用して
純粋な体験に色づけをしてしまう。
純粋な体験に分別知による方向をつけてしまうため、
体験が歪んでしまうのだ。

この危険性を知っているため、
日本民族は言葉には魂が宿るとして
「言霊」という言葉を作って言葉を大切にし、
軽々に言挙げしはしないようにしているのである。

これは純粋な体験を大切にするところから発している。
純粋な体験は言葉によってすぐに穢され、
偽善や欺瞞や嘘作り事の世界が始まる。

純粋な体験を表現することが詩なのだが
詩人は、純粋な体験を大切にすることから、
言葉の意味を越えて飛翔する
そして分別知の入りようがない
純粋な体験を表現していくのである。

これが、言霊となって真実の世界への眼を開かせる言葉となる。
12月に私がお話しするものは、「日本型東洋医学の原点」についてです。日本的東洋医学というと、平安時代に丹波康頼によってまとめられた「医心方」を思い浮かべる方も多いと思います。が、今回は江戸時代初期100年間ほどのできごとが中心となります。

その理由は、
1、「医心方」は丹波家代々に伝わる書物にすぎず、大衆的に論議されたものではなかった。
2、医学がはじめて市井の学問となったのは、江戸時代であり、その源流は室町時代に田代三喜が明への留学から帰国してもたらした、明医学にある。
3、この明医学を実学として使える医学とするために、田代三喜を含め日本の医家たちは格闘していた―この姿勢は中医学を実学とするために格闘している我々が学ぶべきことである。
4、 朱子学の理気二元論を儒学者が気ー元の生命観で剋服したように、気ー元の生命観が日本で育まれることとなった。ここに日本医学の基礎があり、その根底には禅の影響がある。
といったところにあります。

そこで今回の話の目的を、「言葉を越えて存在そのものを理解する」―江戸時代初期の求道者たちの姿勢からー元流鍼灸術を行ずるための基本的姿勢を学ぶ
というものにしました。

いわば、これからの東洋医学を構築していくための「志」をどこにおくのかということを先人に学ぼうというわけです。

この話の端緒は実は、澤田健にあります。私が鍼灸学校に入りたての頃に何回も読んでいた書物『鍼灸眞髄』に描かれている鍼灸師です。彼はそこで、「死物の古典を以て生ける人体を読むべし」と述べています。

彼が教科書とした書物『十四経発揮』『和漢三才図会』『難経鉄鑑』の三種類のうち、前の二つは現在も我々が学んでいる臓腑経絡学に相当します。『難経鉄鑑』では、気ー元の人間観が述べられています。テキストにもある六十六難の図は、その構造が表現されているものです。澤田健は、この図を毎朝黙座して眺めつづけると、すごいことがわかるよと教えていました。

直接的な登場人物は、『難経鉄鑑』の著者である広岡蘇仙とその道統です。けれどもその時代精神をより明確に表現しているものとして、時代精神の鼻祖である中江藤樹、その弟子の熊沢蕃山、君子の学として同時代に武士道を唱道した山鹿素行、そして、彼等の学び方をまっすぐに伝承して表現している石田梅岩を紹介します。

「志を立てる」ことの激しさと大切さについて考えてみたいと思います。
養生するということは、自分が病んでいることを知っているということです。
自分が病んでいることを知っているので、その病から立ち直りたいと思うわけです。
修行するということは自分が愚か者であることを知っているということです。
自分が愚かであることを知っているので、その愚から立ち直りたいと思うわけです。
「健康」というのは、病んでいる自分を映す「鏡」のようなものです。
「健康」な状態に向かって養生を重ねていくわけです。
「悟り」というのは、愚かな自分を映す「鏡」のようなものです。
「悟り」の状態に向かって修行を重ねていくわけです。
お釈迦様が悟りを開いたのは実は、
自らが鏡になることを選択したということです。
そうすることによって、
実は迷い実は病んでいる人々を、
真実の世界―生命の世界に導こうとしたわけです。

健康な状態があるから病であることがわかるわけです。
健康になろうとしているということは今、病んでいるということです。
悟りの状態があるから愚者であるということがわかるわけです。
悟ろうとしているということは今、愚者であるということです。

これらの言葉から理解されなければならないことは実は、
病者であることを自覚することが、健康への萌芽があり
愚者であることを自覚することが、悟りへの萌芽がある、
ということです。


養生とはとりもなおさず病者であることを自覚することであり、
修行とはとりもなおさず愚者であることを自覚することです。

生きるということは病み続けているということであり
悟るということは愚かであり続けているということであり

病者愚者に徹することが実は、
健康へ悟りへの近道であると言えます。

自分は健康である、自分は悟りを開いているという言葉はとりもなおさず、
傲慢で鼻持ちならない言葉であり、
真の病者―真の愚者の言葉であるともまた言える理由がここにあります。

この迷路をくぐり抜けて一気に悟りのただ中に立って世の鏡となった仏陀の
捨て身の救世心―慈悲心は、この深さで理解される必要があります。
涅槃の言葉は感応
涅槃の友情は応援
一体にして
結び
交わる

言葉による差別や区別のない世界
それぞれがそれぞれの役割りを担い
それぞれの喜びを生きる世界

デトックス一浄化が、何によって起こるのかかというと
生命力を充実させることによって起こります。

生命力を充実させると、
どういうことが起こってくるのでしょうか。

生命力が充実する前は、鈍感だったため、
さまざまな邪気に侵襲されていても気がつきません。
生命力が損傷されるがままになっていたわけです。

その鈍感だった 生命力が少し充実してくると、
敏感になってきます。
眠りから目覚めるような感じです。

そして、生命力にとって良いか悪いか、
鑑別する感受性が少しづつ育ってきます。

外部からの刺激にもまた、敏感になってきます。
食べ物にも、鍼灸の刺激にも、言葉や空気にも。

そして、その生命力がさらに充実してくると、
余分な邪気を排泄して身体を調えるということが起こり出します。
少し調った身体という、次のスデージへと生命力が至るわけです。
これがデトックスー浄化の段階です。

そして、一段階浄化された次のステージ上で、
排泄による疲労を癒す鈍感期が始まります。

不完全だったものが一度に完全な生命になる
そういう風には生命は動きません。

休養の時期ー鈍感期と、
活発な時期―敏感期とを、
波のように行き帰しながら
自身の生命力を整えていきます。

このことを、薄皮が一枚一枚剥がれていく感じ、
と表現することがあります。

徐々に身体が充実し、
敏感になり、
排泄できるようになる。
それが、身体が浄化されていくということです。


全身の生命力が充実していく過程で
徐々に浄化力が活性化します。

全身の生命力が衰退していく過程で
徐々に浄化力が鈍っていきます。
そしてそれはついには死に至ることとなります。

ですから、
水を摂るから、
酵素や薬を摂るから
浄化されていくわけではないのです。

生命力を充実させる方向に、
水や酵素や薬がどういう役割をしているのか
そこをよく考えることが大切なのです。

健康になるから、
生命力が充実していく方向に向かっているから、
浄化されていくのです。

水や酵素や薬を消化吸収して生命力としていく、
内臓の力が充実しているから、
浄化―デトックスの効果が身体に表れてくるのです。

このように生活を深い位置で調えること。
これが実は、身心浄化の極意です。
四診を取る時も、
五臓の弁別を作る時も、
病因病理を作る時も、
日々の治療をする時にも、
その底にいつも必要なものは、
勘をよく働かせるということです。

それでは、きちんとした勘というのはどこから起こるのでしょうか。

それは、一、を意識するところから起こります。
一、というのは一部ではなく、全体まるごと一つのことです。
全体とは何か、まるごと一つとは何かということを、
実はここで考える必要があります。
よく考えてみてください。
その時その時毎瞬々々の不完全さの中に
全体まるごと一つがあるというのが人間の姿です。
いつも不完全なのですが、
その時その時には
その時示している以外の姿を取りようがない
そういう意味で完全です。
そういうまるごと一つを見る、
そういうまるごと一つの変化が時系列であらわれます。
それを見るわけです。そのことを勘働きと呼んでいます。

全体観を離れて、文字のとらわれると、勘は死にます。
全体観を離れて、経穴や脉にレッテル貼りを始めると、勘は死にます。

胃の気を見るということは全体の生命状況を見るということです。
ですから、胃の気とレッテルを貼られた静的な状態が存在しているわけではありません。

動きとしての胃の気の状態をしっかり把握することはとても大切なことで、

胃の気の方から今出ている現象を考えていくということがとても大切です。

胃の気の方から考えるということは、
生命の方から考えるということです。
生命力の有様を考えて
その変化の中から今の状況を判断していくということが大切です。

今の状況にレッテルを貼って辞書でひくことと、
今の状況を生命力の曖昧さの中から眺めていくということ
その違いをよく理解していただきたいと思います。
大学時代の友に聞いた「おまえは何故詩を書くのを止めたんだ。おもしろかったのに」と。
友は答えた。「おれは書き物に興味がある訳じゃないんだ。俺が本当に興味があったのは詩人の魂なんだよ。詩が湧き出てくるその泉の根源に触れたかったんだ。書かれた言葉や作られた造形の美しさには興味がない。そこにある触れれば命が輝きでて止まないそのみずみずしい心に触れたかった。だから俺は詩を書いていた。」

私は聞いた「じゃ、何故止めたの?」

「だって、書くということは作るということに近くて、その感じる根源から少し離れるんだよな。俺はそこに至った。そして俺はその根源の場所にいたいだけなんだ。だからもう言葉はいらない。それについて語り出すことがそもそも、その場所から少し離れることだから。もう書く必要はないんだ。」

「おまえはそれを手に入れてその場所にいるってことか?詩人の魂、詩が湧き出て言葉になる以前の場所、そこにおまえはいるということなのか」

「そうだ。誰に対して説明する必要などない。存在とともに踊る歓喜の中心に俺はいる。」

私は証明してくれと、論証してくれと懇願したが彼は頑として受け入れなかった。ただ一言「求め続けろよお前も」といい、手を振って去っていった。

なぜ、証明もなしに彼は根源に触れていると言えるのだろう。傲慢なのではないだろうか。
なぜ、言葉で表現することを拒んだのだろう。表現したものしか聞き取ることはできないのに。

けれども確かに思う。彼こそが本当の詩人なのだと。無言の詩人なのだと。詩人の魂そのものなのだと。
一元流での暝想では、ただ手放して臍下丹田に意識を落としていくということだけが大切です。

そのような暝想が起こってる最中であっても、頭の中では脳神経が反応してかってに考え事をしています。けれどもその考え事の中には入らない。それは空に浮かぶ雲だと観じ、手放し、また臍下丹田に意識が落ちていくのを観じるようにします。

もっとも楽な場所安定している場所、生命そのものを感じ取ることの出来る、ただ一つのリアリティのある、五感を超えた場所、それが臍下丹田です。


暝想というと何か宗教的な感じがする方もおられるかもしれません。
一元流で暝想をするのは、ただリアリティをつかみ取るためにおこないます。

四診において腹で見るということを言いますが、その秘密がここにあります。

それは、頭で考え決めつけたものを見るのではなく、ただいま「見えているものを見えているとし、見えていないものを見えていないとする」という今の一点にいることで、はじめて四診ができるのだという姿勢です。

体表観察においては、これがもっとも求められることです。以前の経穴の状態や脉の状態と、今の経穴の状態や脉の状態との違いは、以前の状態に執着していては見別けることができません。体表観察における変化を見ていくということはそれほど厳しいことなんですね。

そのため、思い込みや刷込みを捨てて、ただ「いま見ているその場所に参入する」、その練習が必要となるわけです。

そのために暝想をし、今あるものをそのまま見るための鍛錬をしているわけです。
7月の勉強会、はじめは現在まわっている弁証論治について、
本間さんの質問に福邑さんが答えるという形で主に行われました。

読み合わせは、第四章 臓腑経絡 三 四方と中央93頁から、100頁まで。
菽法についての質問があり、それについて簡単に解説しました。
菽法そのものは難経五難に掲載されています。
http://1gen.jp/1GEN/NAN/N5.HTM
上のページの次のページには解説があります。
今では使用されていない脉法ですが、
表から裏に向けて五段階に分けてみる方法が提示されていたのだ
ということは、
記憶にとどめておいて損はないと思います。
難経の脉診部分をどう読むかということについては、
以下のページにまとめてあります。
菽法はこの中の一つの難を占めている方法です。
http://1gen.jp/1GEN/25/04.HTM

読み合わせの二番目として、第十章 実戦編 第三節 経穴を見つけるための経穴学 
の全文を一気に読み合わせしました。本日は手足の経穴診を行うということもあり、
全文読みなおしてみたいなと思っていました。
古いテキストしかもっていない方は見ることができませんが、
ネット上では公開しています。
http://1gen.jp/1GEN/1802/TUBO.HTM
世の中の経穴学には、
この症状をとるにはどのツボを使うといった類のものしかありません。
そのため、体表観察をするということ、
それを通じて経穴を見つけ出すということについて、
特化して具体的にまとめてあります。

この技術を磨いていくことで「あるがままに診、治す」という
治療行為が現実のものとなっていきます。


ということで実技は、手足の経穴診を行いました。
ただ診て感じたポイントに印を付けていきます。
足三里の取り方の工夫
陽陵泉の広さ
大都の位置
神門霊道の特徴
下腿脾経の探り方
復溜の取り方
など、
解説をしつつとっていきました。

手足の経穴診は繊細で変化も早い場合があるので、
なかなか検証が難しかったかもしれません。
信じ込むのではなく、そして諦めず、
経穴を探し続けてください。(*^^)v

飲み会では百会の取り方もやっていたような気がします。

皆様にはお疲れ様でしたm(_._)m

来月はお休み。
九月にまたお会いしましょう。(*^^)v

> ところで、「ありのままに診るのと目的を持って診るのは全く異
> なる行為」と先生は仰っていますが、これは目的を持ってしまう
> と、その術者の意以外は見えなくなってしまうということでしょ
> うか??


そういう意味です。

ただ、初心者の場合は実は、意識をのばすことで見える範囲を広げ
ていくという要素があるため、一概に言えなかったりもします。

何を見ようとしているのかということを意識することで、それが見
えてくる場合があるのです。脉状でいえば、脉位の浮位と沈位、堅
さ柔らかさ、ぼやけている感じ明瞭な感じ、胃の気の有無、などな
どです。経穴でもいろいろあります。

意識的に見るということをを繰り返して、無意識にそれができるよう
になるまで努力を積み重ねます。

そして、無意識にできるようになった時点で、さらにすべてを捨て
てありのままに診る、という位置に入ります。
一元流鍼灸術勉強会に入会希望の方からいただいたメールです。
気づいたことなどお裾分けさせていただきます。


| 患者さんの生命をシステムに当てはめるのではなく、ありのまま診て治療
| できるようになるにはどのように勉強し経験を積んで行けば良いのかを学
| 生時代からずっと考えていました。

ありのままに診、治療する。ということはまさに一元流鍼灸術で目的として
いることです。
そして、ここには乗り越えなければならない大きな課題があります。

その一つは、ありのままに診るというとき、それを行う際の治療者側の心の
姿勢が問われるということです。

患者さんが治療を受けにやってくる際、多くの場合は、症状をとってほしい
という目的で来院されます。そうすると、患者さんの要求に応じようと術者
の側も症状をとるために身体を診、症状をとるための処置穴を捜すというこ
とをやりがちになります。

これでは、ありのままに診るということにはなりません。
目的を持って診るということはありのままに診るということとはまったく異
なる行為だからです。
ですから、ありのままに診、治すというとき、これをやりがちになる自身の
心の持ち方を、しっかり根本から問い直す必要があります。

さらに深く思いを凝らすと、ありのままに診るためには、術者の心が安定し
ている必要があります。
診れないのではないか。治せなかったらどうしよう。うまく治すにはどうす
ればいいのだろう。
心が乱れていると脉も経穴も分からなくなってしまいます。
心を乱さず、過度に入れ込まず、淡々と。
まるでスクリーニングの作業をするかのように診て処置を施し、施した処置
が患者さんにどのような影響を与えたのか確認する作業をしていく。
その一連の作業の積み重ねが大切です。

診る際、患者さんが生きている人間であるということを忘れてはなりません。
患者さんが生きている人間であるということはどういうことかというと、そ
の身体が毎瞬々々変化していく、ということです。
今回勉強会で比較舌診をしました。その中には、診るたびに舌の状態がよく
なっていく人がいました。
生きているのですから、そのように変化していくわけです。
固定した死物を診ているのではないということは、とても大切なことです。
変化していく中の、今の瞬間を切り取ってみている。
その中で処置すべき経穴を見つけてそこに処置していくわけです。

あるがままに診、治療していくというときに再度大切になることは、患者さ
んの症状に囚われていてはあるがままに診ることができないということです。
これは患者さんの立場からすると、症状をなおしてもらいに治療院に行った
のに、関係ない処置をされて帰される可能性があるということです。
このことについて深く考えてみる必要があります。

症状が、全身状態を反映されて出ているということであれば、あるがままに
診ている状態と処置穴とが一致しやすくなります。
内傷病で全身状態とリンクして症状が出ているものがそれです。

これに対して、外傷などによるものの場合は、全身状態とリンクしていない
場合が多くなります。
そのため、あるがままに診ても、症状をとることにつながらなくなります。
症状をとろうとするためには、治療方針は別に立てる必要が出てきます。

生きている人間にはこの両者―内傷病と外感病とが同時に複雑に絡み合った
状態で発現している場合が多いのです。

症状が起こっている場所が身体であり、内傷と外感相方を取っていく力があ
るのは「生命力の充実」以外のなにものでもありません。
このことに思い至る時、あるがままに診、治療するということは、養生の手
助けをするということともっとも親和性が高いということに思い至ります。
そこに考えが至ると、生活指導が非常にたいせつであるということが理解で
きるようになります。
生活指導なしに養生治療は成立しないと言うこともできます。
治療処置とともに治療頻度および生活全般の指導ということが、鍼灸治療に
おいて実は非常に大切になるのはこのような理由によります。

あるがままに診、治療していくということに関連していくつかの注意すべき
ことについて触れてみました。


| 鍼灸師としてのスタートを切ったばかりで手探り状態ですが、人体の生命
| 観をしっかりと捉えられるよう勉強していきたいと思っています。

おっしゃるとおり、生命観はとても大切です。
テキストには、脾胃を中心とした生命観、腎を中心とした生命観などが掲載
されています。
どのような生命観が臨床に使いやすく効果が上がりやすいのかということを
考えて、一元流鍼灸術では現在、難経鉄鑑の六十六難の図(テキスト192頁)
にいたり、さらに肝木の図の発想を中心として考えています。

沢田健先生は、難経鉄鑑の六十六難の図を「黙って座って視、元気の流行と
栄衛の往来を省察しなさい。そうして身中における一太極を理解しなさい。
それができれば、自然に万象の妙契〔伴注:すべての事象の妙なる関係性〕
を貫穿(かんせん)する〔伴注:明確に理解する〕ことができます。」と述
べています。

肝木の図に関してはテキストにはまだ掲載されていません。
東洋医学で人を見るというフェイスブックの頁に簡単な解説が記されていま
す。
眺めて理解を深めていただけると幸甚です。


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