■附録二:『臨床哲学の知』木村敏著
精神病理学の泰斗、木村敏氏は、その『臨床哲学の知』の中で以下のように述べ
ています。
「
症状と病気のこの関係は、精神科でも同じです。患者さんは症状を出すことで一
種の自己治癒のようなことをしているところがありますし、医師はそこを見極め
なければならないわけですけれども、いまは、精神病になるのは脳が生化学的な
変化を起こして例えばドーパミンなどという物質を出し過ぎるからであって、そ
れが幻覚や妄想を引き起こすんだといった考えにとらわれている。精神医学も症
状を消すことしか考えない。脳機能の研究自体は大切なのですが、それがもっと
深いところにある心それ自体の病気の原因や病理の解明を妨げているとしたら、
これは大問題でしょう。
家族や周囲の社会に迷惑をかけているのは症状です。病気そのもので迷惑をかけ
ているわけではない。だから、症状を除去することが周囲からの期待に応えるこ
とになる。症状が消えたら治ったということになる。精神医学が症状だけを見る
というのと、患者自身のことより周囲の社会の安全を考えるというのとは、実は
同じことの両面なんですね。
わたしには非常に辛い記憶がひとつあります。薬を使って症状をきれいに取った
ら、その患者さんが自殺してしまったということがあるのです。症状を取られる
ということは、患者さんにとっては自己防衛手段を奪われるということと同じで
すから、あとは自殺するしか仕方がなかったということなのだろうと思います。
まだ若いころの出来事ですが、そのときにこれはいけないと思いました。
症状はひとりでに消えるまで無理にとってはいけないという考えは、そのとき以
来、いまもずっと変わりません。患者さんがあまりに興奮しては診察自体が成り
立たないし、妄想や幻想がひどいと患者さんの社会人としての評価にかかわりま
すから、薬はそれなりにやはり使いますけれども、それで症状をきれいに取って
しまおうなどということはまったく考えません。風邪と同じで、症状は出す必要
がなくなれば自然になくなります。症状が出るのは、生きる力、病気と闘う力が
あることの証拠なのですね。
しかし、ここ二十年、三十年、精神医学というものは、まったくそうではなくな
ってしまいました。症状をとること以外は何も考えなくなってしまっています。
いまの状態が続けば、精神病理学という学問は、日本の医学界からいずれ消滅す
るかもしれませんし、ことによると実質的にもう消滅しているのかもしれない。
病理学というのは、これは身体の病理学でも同じだと思いますが、病気そのもの
の成り立ちを研究する学問であって、症状のことは、病気の本質と関係があるか
ぎりでしか問題にすべきではないのです。脳の変化を除去して妄想をとればそこ
でお終い、精神医学が行うのはそこまでということになっていけば、精神病理学
なんて学問は必要がなくなる一方でしょう。 」〈『臨床哲学の知―臨床としての
精神病理学のために』洋泉社刊 2008年 53p〉
この言葉は、症状とそれに対する処置として考案され、症状が取れたことを確率
的に論じる「エビデンス」を安易に語る傾向がある鍼灸界においても、噛みしめ
るべき言葉でしょう。
古典において提出されているものの中で重要なものは、単なる治療技術なのでは
なく人間観です。その人間観を読み解くことなくして、東洋医学を学んだとは言
えない、行じているとは言えない、そのように私は考えます。
そしてその人間観をさらなる深みへ向けて探求する技術として、体表観察を中心
とした四診に基づいた鍼灸術があるとも考えています。いわば、臨床鍼灸を哲学
の次元にまで高めていくということが、これからの鍼灸師の目的となるべきだろ
うと考えているわけです。
木村敏氏の重い言葉は、このような目標のための基礎となるものです。
症状が出るということと、生命力との関係については、以前掲載した私の論文
「生命の医学に向けて」http://1gen.jp/1GEN/RONBUN/Life-medicine.HTMの63ペ
ージ「好循環悪循環と敏感期鈍感期」に図を用いて解説されています。大切なこ
とは、症状は氷山の一角にすぎないものであり、その症状を支えている生命の深
く大きな動きこそが大切であるということです。
伴 尚志
精神病理学の泰斗、木村敏氏は、その『臨床哲学の知』の中で以下のように述べ
ています。
「
症状と病気のこの関係は、精神科でも同じです。患者さんは症状を出すことで一
種の自己治癒のようなことをしているところがありますし、医師はそこを見極め
なければならないわけですけれども、いまは、精神病になるのは脳が生化学的な
変化を起こして例えばドーパミンなどという物質を出し過ぎるからであって、そ
れが幻覚や妄想を引き起こすんだといった考えにとらわれている。精神医学も症
状を消すことしか考えない。脳機能の研究自体は大切なのですが、それがもっと
深いところにある心それ自体の病気の原因や病理の解明を妨げているとしたら、
これは大問題でしょう。
家族や周囲の社会に迷惑をかけているのは症状です。病気そのもので迷惑をかけ
ているわけではない。だから、症状を除去することが周囲からの期待に応えるこ
とになる。症状が消えたら治ったということになる。精神医学が症状だけを見る
というのと、患者自身のことより周囲の社会の安全を考えるというのとは、実は
同じことの両面なんですね。
わたしには非常に辛い記憶がひとつあります。薬を使って症状をきれいに取った
ら、その患者さんが自殺してしまったということがあるのです。症状を取られる
ということは、患者さんにとっては自己防衛手段を奪われるということと同じで
すから、あとは自殺するしか仕方がなかったということなのだろうと思います。
まだ若いころの出来事ですが、そのときにこれはいけないと思いました。
症状はひとりでに消えるまで無理にとってはいけないという考えは、そのとき以
来、いまもずっと変わりません。患者さんがあまりに興奮しては診察自体が成り
立たないし、妄想や幻想がひどいと患者さんの社会人としての評価にかかわりま
すから、薬はそれなりにやはり使いますけれども、それで症状をきれいに取って
しまおうなどということはまったく考えません。風邪と同じで、症状は出す必要
がなくなれば自然になくなります。症状が出るのは、生きる力、病気と闘う力が
あることの証拠なのですね。
しかし、ここ二十年、三十年、精神医学というものは、まったくそうではなくな
ってしまいました。症状をとること以外は何も考えなくなってしまっています。
いまの状態が続けば、精神病理学という学問は、日本の医学界からいずれ消滅す
るかもしれませんし、ことによると実質的にもう消滅しているのかもしれない。
病理学というのは、これは身体の病理学でも同じだと思いますが、病気そのもの
の成り立ちを研究する学問であって、症状のことは、病気の本質と関係があるか
ぎりでしか問題にすべきではないのです。脳の変化を除去して妄想をとればそこ
でお終い、精神医学が行うのはそこまでということになっていけば、精神病理学
なんて学問は必要がなくなる一方でしょう。 」〈『臨床哲学の知―臨床としての
精神病理学のために』洋泉社刊 2008年 53p〉
この言葉は、症状とそれに対する処置として考案され、症状が取れたことを確率
的に論じる「エビデンス」を安易に語る傾向がある鍼灸界においても、噛みしめ
るべき言葉でしょう。
古典において提出されているものの中で重要なものは、単なる治療技術なのでは
なく人間観です。その人間観を読み解くことなくして、東洋医学を学んだとは言
えない、行じているとは言えない、そのように私は考えます。
そしてその人間観をさらなる深みへ向けて探求する技術として、体表観察を中心
とした四診に基づいた鍼灸術があるとも考えています。いわば、臨床鍼灸を哲学
の次元にまで高めていくということが、これからの鍼灸師の目的となるべきだろ
うと考えているわけです。
木村敏氏の重い言葉は、このような目標のための基礎となるものです。
症状が出るということと、生命力との関係については、以前掲載した私の論文
「生命の医学に向けて」http://1gen.jp/1GEN/RONBUN/Life-medicine.HTMの63ペ
ージ「好循環悪循環と敏感期鈍感期」に図を用いて解説されています。大切なこ
とは、症状は氷山の一角にすぎないものであり、その症状を支えている生命の深
く大きな動きこそが大切であるということです。
伴 尚志
■附録一:釈迦の悟りと難経
ある時、忘年会で私は、お釈迦様の悟りの話をしました。
お釈迦様の修業の時代、道を求め続けて自身の心身を鍛え上げ、ついにはその身
を飢えた虎の親子に捧げたりもしたのに、お釈迦様はほんとうの悟りに至ること
はできませんでした。それはどうしてなのでしょうか。ほんとうの悟りというの
はどこかにあるものなのでしょうか。お釈迦様は(その当時はゴータマシッダル
タというただの泥に汚れた修行者でしかありませんでしたが)修行の果てにとう
とう川の畔で倒れて死を待つような状態となってしまいました。そのとき、近所
の一人の少女が、その姿を見つけ、温かい山羊の乳を与えてくれました。そこで
彼の中に何が起こったのでしょう。それは、生命の歓喜が全身に走ったというこ
とです。その後、菩提樹の下で暝想し、その生命の歓喜の根源を味わい続けまし
た。
求めていた苦行の時代には得ることができず、一杯のミルクで豁然と開いた悟り
とは何だったのでしょうか。それは、自身の内側に生命があり、いつもその生命
を喜んでいるということです。ひとりひとりの中に生命があり、生命があるとい
うことこそが感動の源なわけです。そしてその生命の中心は、臍下丹田にありま
す。それは人身の中心なのですが、そこに浸ると、宇宙を覆う光の織物の中の縦
糸と横糸の交差する結び目が、私自身であるということが理解できます。この膨
大な生命の宇宙の光り輝く織物の中の一つの結び目である自分自身を感じること
ができるわけです。
そこに意識を置くということ、それが今、ここにあるということです。これを実
際的に感じ取るために、禅の修行があったのであろうと思います。この内側に潜
心するために、考えることを止め、探すことを止め、ただ今ある自分に帰るわけ
です。
この臍下丹田を中心とした人間観が、難経が劈(ひら)いた東洋医学の宝です。
このことを、私はこれからもしっかり把持し、理解を深めていきたいと思いま
す。
伴 尚志
ある時、忘年会で私は、お釈迦様の悟りの話をしました。
お釈迦様の修業の時代、道を求め続けて自身の心身を鍛え上げ、ついにはその身
を飢えた虎の親子に捧げたりもしたのに、お釈迦様はほんとうの悟りに至ること
はできませんでした。それはどうしてなのでしょうか。ほんとうの悟りというの
はどこかにあるものなのでしょうか。お釈迦様は(その当時はゴータマシッダル
タというただの泥に汚れた修行者でしかありませんでしたが)修行の果てにとう
とう川の畔で倒れて死を待つような状態となってしまいました。そのとき、近所
の一人の少女が、その姿を見つけ、温かい山羊の乳を与えてくれました。そこで
彼の中に何が起こったのでしょう。それは、生命の歓喜が全身に走ったというこ
とです。その後、菩提樹の下で暝想し、その生命の歓喜の根源を味わい続けまし
た。
求めていた苦行の時代には得ることができず、一杯のミルクで豁然と開いた悟り
とは何だったのでしょうか。それは、自身の内側に生命があり、いつもその生命
を喜んでいるということです。ひとりひとりの中に生命があり、生命があるとい
うことこそが感動の源なわけです。そしてその生命の中心は、臍下丹田にありま
す。それは人身の中心なのですが、そこに浸ると、宇宙を覆う光の織物の中の縦
糸と横糸の交差する結び目が、私自身であるということが理解できます。この膨
大な生命の宇宙の光り輝く織物の中の一つの結び目である自分自身を感じること
ができるわけです。
そこに意識を置くということ、それが今、ここにあるということです。これを実
際的に感じ取るために、禅の修行があったのであろうと思います。この内側に潜
心するために、考えることを止め、探すことを止め、ただ今ある自分に帰るわけ
です。
この臍下丹田を中心とした人間観が、難経が劈(ひら)いた東洋医学の宝です。
このことを、私はこれからもしっかり把持し、理解を深めていきたいと思いま
す。
伴 尚志
■失敗の研究
弁証論治を起てて、さぁ治療するぞというとき、ふたたび迷うことがあります。
それは、弁証論治そのものは自信を持って起てられたんだけれども、果たしてそ
の方針で主訴の解決に至るのだろうかという疑問です。
実は、歴代の医家の症例集などを読む理由の多くは、このあたりの頭の柔軟性を
広げるというところにあります。
実際に患者さんに出会うと、目の前の患者さんが困難に直面している局所に着目
してしまい、それを何とかしたいという欲が出てくるわけです。そこで、弁証論
治と実際の治療との乖離が生まれてきます。弁証論治は起てたのだけれども雑駁
な治療をしてしまい、何をやったのか実際のところはわからないという事態に陥
るわけです。
これが臨床家の一番の問題となります。治ったけれどもその理由がわからない。
治せなかったけれどもその理由がわからない。これではいつまでたっても臨床が
深まることはありません。
病因病理を考えて弁証論治を起てるときに多くの場合、全身状況の変化を追うと
いうことに主眼がおかれてきます。そのため、実際に患者さんが困苦している部
位と全身とがリンクしているのか否かというあたりに確信がもてなかったりする
という事態が起こります。また、リンクしていると思えても、実際そうなのかど
うか。果たしてそれで治療として成り立つのだろうかという不安がよぎります。
そのような時の心構えとして、
1、問題点を整理しなおす
2、臨床は失敗例の積み重ねであると腹を括る(これでだめなら次の手をといつ
も考えておく)3、治療処置を後で振り返って反省できるようなものに止める
4、ひとつひとつ自分が何をやっているのか確認しながら手を進める
ということが必要となります。上手に失敗することができると、問題の所在が明
確になります。弁証論治に問題があればそれを書き改めます。処置方法に問題が
あればそれを工夫します。治療頻度の問題であればそれを改めます。上手に失敗
することができるとそこに、さまざまな工夫の花を咲かせる事ができるわけで
す。
下手に成功すると、安心してしまい、次もこの手でいこうなどと思い、臨床が甘
くなります。反省もしにくくなり、成功例の積み重ねのみを自慢する、宗教家の
ような臨床家に成り下がってしまうわけです。
大切なことは、上手に失敗し続けること。その積み重ねが自分自身の本当の力量
を高めていくということを知ることなのです。
伴 尚志
弁証論治を起てて、さぁ治療するぞというとき、ふたたび迷うことがあります。
それは、弁証論治そのものは自信を持って起てられたんだけれども、果たしてそ
の方針で主訴の解決に至るのだろうかという疑問です。
実は、歴代の医家の症例集などを読む理由の多くは、このあたりの頭の柔軟性を
広げるというところにあります。
実際に患者さんに出会うと、目の前の患者さんが困難に直面している局所に着目
してしまい、それを何とかしたいという欲が出てくるわけです。そこで、弁証論
治と実際の治療との乖離が生まれてきます。弁証論治は起てたのだけれども雑駁
な治療をしてしまい、何をやったのか実際のところはわからないという事態に陥
るわけです。
これが臨床家の一番の問題となります。治ったけれどもその理由がわからない。
治せなかったけれどもその理由がわからない。これではいつまでたっても臨床が
深まることはありません。
病因病理を考えて弁証論治を起てるときに多くの場合、全身状況の変化を追うと
いうことに主眼がおかれてきます。そのため、実際に患者さんが困苦している部
位と全身とがリンクしているのか否かというあたりに確信がもてなかったりする
という事態が起こります。また、リンクしていると思えても、実際そうなのかど
うか。果たしてそれで治療として成り立つのだろうかという不安がよぎります。
そのような時の心構えとして、
1、問題点を整理しなおす
2、臨床は失敗例の積み重ねであると腹を括る(これでだめなら次の手をといつ
も考えておく)3、治療処置を後で振り返って反省できるようなものに止める
4、ひとつひとつ自分が何をやっているのか確認しながら手を進める
ということが必要となります。上手に失敗することができると、問題の所在が明
確になります。弁証論治に問題があればそれを書き改めます。処置方法に問題が
あればそれを工夫します。治療頻度の問題であればそれを改めます。上手に失敗
することができるとそこに、さまざまな工夫の花を咲かせる事ができるわけで
す。
下手に成功すると、安心してしまい、次もこの手でいこうなどと思い、臨床が甘
くなります。反省もしにくくなり、成功例の積み重ねのみを自慢する、宗教家の
ような臨床家に成り下がってしまうわけです。
大切なことは、上手に失敗し続けること。その積み重ねが自分自身の本当の力量
を高めていくということを知ることなのです。
伴 尚志
■「患者さんの身体から学ぶ」方法論の確立
患者さんの身体から学ぶというとき、その方法論として現代医学では、臨床検査
やレントゲンやCTなどを用います。筋肉骨格系を重視するカイロなどでは、そ
の身体のゆがみや体運動の構造を観察する方法を用います。東洋医学では望聞問
切という四診を基にしていきます。一元流でこの四診を基にし、生育歴(時間)
と体表観察(空間)とがクロスする現在の人間の状態を把握します。
これらすべては、人間をいかに理解していくのか。どうすれば人間理解の中でそ
の患者さんに発生している疾病に肉薄していけるか。そのことを通じて、その患
者さんの疾病を解決する方法を探るために行われます。
一元流鍼灸術の特徴は、生きて活動している気一元の身体がそこに存在している
のであるということを基本に据え続けるというところにあります。
東洋医学はその発生の段階からこの全体観を保持していました。そして、体表観
察を通じて臓腑の虚実を中心とした人間観を構成していきました。臓腑経絡とい
う発想に基づいたこの人間観こそが東洋医学の特徴であり、他の追随を許さない
ところであると思います。
「患者さんの身体から学ぶ」この営為は、東洋医学の伝統となっています。そも
そも、東洋医学の骨格である臓腑経絡学が構成されていった過程そのものがこの
「患者さんの身体から学ぶ」という営為の積み重ねた末の果実なのですから。
ただ、この果実には実は一つの思想的な観点があります。生命そのものを観、そ
れを解説するための観点。それが生命を丸ごと一つとして把え、それを陰陽とい
う側面、五行という側面から整理しなおし再度注意深く観ることを行う、という
ことです。
この、実在から観念へ、観念から実在へと自在に運動しながら、真の状態を把握
し解説しようとすることが、後世の医家がその臨床において苦闘しながら行って
きたことです。
一元流鍼灸術では、その位置に自身を置くこと、古典の研究家であるだけでな
く、自身が後学のために古典を書き残せる者となることを求めているわけです。
古典を学び、それを磨いて後学に手渡すことを、法燈を繋ぐと言います。
この美しい生命の学が、さらなる輝きを21世紀の世界で獲得するために、今日
の臨床を丁寧に誠実に行なっていきましょう。
伴 尚志
患者さんの身体から学ぶというとき、その方法論として現代医学では、臨床検査
やレントゲンやCTなどを用います。筋肉骨格系を重視するカイロなどでは、そ
の身体のゆがみや体運動の構造を観察する方法を用います。東洋医学では望聞問
切という四診を基にしていきます。一元流でこの四診を基にし、生育歴(時間)
と体表観察(空間)とがクロスする現在の人間の状態を把握します。
これらすべては、人間をいかに理解していくのか。どうすれば人間理解の中でそ
の患者さんに発生している疾病に肉薄していけるか。そのことを通じて、その患
者さんの疾病を解決する方法を探るために行われます。
一元流鍼灸術の特徴は、生きて活動している気一元の身体がそこに存在している
のであるということを基本に据え続けるというところにあります。
東洋医学はその発生の段階からこの全体観を保持していました。そして、体表観
察を通じて臓腑の虚実を中心とした人間観を構成していきました。臓腑経絡とい
う発想に基づいたこの人間観こそが東洋医学の特徴であり、他の追随を許さない
ところであると思います。
「患者さんの身体から学ぶ」この営為は、東洋医学の伝統となっています。そも
そも、東洋医学の骨格である臓腑経絡学が構成されていった過程そのものがこの
「患者さんの身体から学ぶ」という営為の積み重ねた末の果実なのですから。
ただ、この果実には実は一つの思想的な観点があります。生命そのものを観、そ
れを解説するための観点。それが生命を丸ごと一つとして把え、それを陰陽とい
う側面、五行という側面から整理しなおし再度注意深く観ることを行う、という
ことです。
この、実在から観念へ、観念から実在へと自在に運動しながら、真の状態を把握
し解説しようとすることが、後世の医家がその臨床において苦闘しながら行って
きたことです。
一元流鍼灸術では、その位置に自身を置くこと、古典の研究家であるだけでな
く、自身が後学のために古典を書き残せる者となることを求めているわけです。
古典を学び、それを磨いて後学に手渡すことを、法燈を繋ぐと言います。
この美しい生命の学が、さらなる輝きを21世紀の世界で獲得するために、今日
の臨床を丁寧に誠実に行なっていきましょう。
伴 尚志
■一元流鍼灸術の使い方2
古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかというと、体表観察
を重視し、決め付けずに淡々と観るということに集約されます。今生きている人
間そのものの全体性を大切にするため、問診が詳細になりますし、患者さんが生
きてきたこれまでの歴史をどのように把握しなおしていくのかということが重視
されます。これが、時系列を大切にし、今そこにある身体を拝見していくという
姿勢の基となります。
第一に見違えないこと、確実な状態把握を行うことを基本としていますので、病
因病理としても間違いのない大きな枠組みで把握するという姿勢が中心となりま
す。弁証論治において、大きく臓腑の傾きのみ示している理由はここにありま
す。そして治法も大きな枠組みを外れない大概が示されることとなります。
ここまでが基礎の基礎、臨床に向かう前提となる部分です。これをないがしろに
しない。土台を土台としてしっかりと築いていく。それが一元流鍼灸術の中核と
なっています。
それでは、実際に処置を行うにはどうするべきなのでしょうか。土台が基礎とな
りますのでその土台の上にどのような華を咲かせるのか、そこが個々の治療家の
技量ということになるわけです。
より臨床に密着するために第一に大切なことは、自身のアプローチの特徴を知る
ということです。治療家の技量はさまざまでして、実際に患者さんの身心にアプ
ローチする際、その場の雰囲気や治療家の姿勢や患者さんとの関係の持ち方な
ど、さまざまな要素が関わっています。また、治療家によっては外気功の鍛錬を
してみたり、心理学的な知識を応用してみたりと様々な技術を所持し、全人格的
な対応を患者さんに対して行うこととなります。
病因病理を考え、弁証論治を行うという基礎の上に、その様々な自身のアプロー
チを組み立てていくわけです。早く良い治療効果をあげようとするとき、まず最
初に大切なことは組み立てた基礎の上に自然で無理のないアプローチをするとい
うことです。ここまでが治療における基本です。
さらに効果をあげようとするとき、弁証論治の指示に従って様々な工夫を行うと
いうことになります。それは、正経の概念から離れて奇経を用いる。より強い傾
きを患者さんにもたらすために、処置部位を限定し強い刺激を与える。一時的に
灸などを使い補気して患者さんの全体の気を増し、気を動きやすくした上で処置
部位を工夫する。外邪と闘争している場合、生命力がその外邪との闘争に費やさ
れてしまいますので、それを排除することを先に行うと、理気であっても全身の
生命力は補気されるということになり、気が動きやすく導きやすくなる。
といったように、気の離合集散、升降出入を見極めながら、弁証論治で把握した
患者さんの身体の調整を行なっていくわけです。
一言で言えば、気一元の身体を見極めて、弁証論治に従いながら、さらにその焦
点を明確にしていくことが、治療における応用の中心課題となるわけです。この
あたりの方法論は古典における薬物の処方などで様々な工夫がされており、とく
に傷寒論の方法論は参考になるものです。
伴 尚志
古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかというと、体表観察
を重視し、決め付けずに淡々と観るということに集約されます。今生きている人
間そのものの全体性を大切にするため、問診が詳細になりますし、患者さんが生
きてきたこれまでの歴史をどのように把握しなおしていくのかということが重視
されます。これが、時系列を大切にし、今そこにある身体を拝見していくという
姿勢の基となります。
第一に見違えないこと、確実な状態把握を行うことを基本としていますので、病
因病理としても間違いのない大きな枠組みで把握するという姿勢が中心となりま
す。弁証論治において、大きく臓腑の傾きのみ示している理由はここにありま
す。そして治法も大きな枠組みを外れない大概が示されることとなります。
ここまでが基礎の基礎、臨床に向かう前提となる部分です。これをないがしろに
しない。土台を土台としてしっかりと築いていく。それが一元流鍼灸術の中核と
なっています。
それでは、実際に処置を行うにはどうするべきなのでしょうか。土台が基礎とな
りますのでその土台の上にどのような華を咲かせるのか、そこが個々の治療家の
技量ということになるわけです。
より臨床に密着するために第一に大切なことは、自身のアプローチの特徴を知る
ということです。治療家の技量はさまざまでして、実際に患者さんの身心にアプ
ローチする際、その場の雰囲気や治療家の姿勢や患者さんとの関係の持ち方な
ど、さまざまな要素が関わっています。また、治療家によっては外気功の鍛錬を
してみたり、心理学的な知識を応用してみたりと様々な技術を所持し、全人格的
な対応を患者さんに対して行うこととなります。
病因病理を考え、弁証論治を行うという基礎の上に、その様々な自身のアプロー
チを組み立てていくわけです。早く良い治療効果をあげようとするとき、まず最
初に大切なことは組み立てた基礎の上に自然で無理のないアプローチをするとい
うことです。ここまでが治療における基本です。
さらに効果をあげようとするとき、弁証論治の指示に従って様々な工夫を行うと
いうことになります。それは、正経の概念から離れて奇経を用いる。より強い傾
きを患者さんにもたらすために、処置部位を限定し強い刺激を与える。一時的に
灸などを使い補気して患者さんの全体の気を増し、気を動きやすくした上で処置
部位を工夫する。外邪と闘争している場合、生命力がその外邪との闘争に費やさ
れてしまいますので、それを排除することを先に行うと、理気であっても全身の
生命力は補気されるということになり、気が動きやすく導きやすくなる。
といったように、気の離合集散、升降出入を見極めながら、弁証論治で把握した
患者さんの身体の調整を行なっていくわけです。
一言で言えば、気一元の身体を見極めて、弁証論治に従いながら、さらにその焦
点を明確にしていくことが、治療における応用の中心課題となるわけです。この
あたりの方法論は古典における薬物の処方などで様々な工夫がされており、とく
に傷寒論の方法論は参考になるものです。
伴 尚志
■一元流鍼灸術の使い方1
一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいってい
ないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれ
は、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というもので
す。
基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が
入っていない人はその応用の側面のみを追及して結局小手先の技術論に終始する
こととなり、東洋医学の大道を見失ってしまうので、これまで書いてきませんで
した。
基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくと
いうことが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なも
ので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそうい
う人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もった
いないことです。
基本的な型は現在入手できる「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼
灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人
間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そう
いう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)
生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実
は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、
裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがし
ろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。
そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということ
を現代に復活させようということを、一元流鍼灸術では考えているわけです。
伴 尚志
一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいってい
ないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれ
は、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というもので
す。
基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が
入っていない人はその応用の側面のみを追及して結局小手先の技術論に終始する
こととなり、東洋医学の大道を見失ってしまうので、これまで書いてきませんで
した。
基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくと
いうことが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なも
ので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそうい
う人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もった
いないことです。
基本的な型は現在入手できる「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼
灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人
間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そう
いう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)
生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実
は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、
裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがし
ろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。
そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということ
を現代に復活させようということを、一元流鍼灸術では考えているわけです。
伴 尚志
■一元流鍼灸術の目指すもの
一元流鍼灸術の基本は、気一元の観点で観るというところにあります。
その際の人間理解における背景となる哲学のひとつに、天人合一論があります。
これは、天地を気一元の存在とし、人間を小さな気一元の存在としていわばホロ
グラムのような形で対応させて未知の身体認識を深めていこうとするものです。
天地を陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとするのと同じように、人間も陰陽
五行で切り分けて把握しなおそうとします。これは、気一元の存在を丸ごとひと
つありのままにあるがままに把握しようとすることを目的として作られた方法論
です。このことによく注意を向けていただきたいと思います。
この観点に立って、さらに詳しく診断をしていくために用いる手段として、体表
観察を用います。体表観察していく各々の空間が、さらに小さな気一元の場で
す。天地を望み観るように身体を望み観、全身を望み観るように各診断部位を望
み観る。この気一元(というどこでもドア)で統一された観点を、今日はぜひ持
って帰っていただきたいと思います。
ここを基本として一元流鍼灸術では人間理解を進めていこうとしています。確固
たる東洋医学的身体観に立って、過去の積み重ねの結果である「今」の人間その
ものを理解していこうとしているわけです。
ここを基礎として、精神と身体を統合した総合的な人間観に基づいた大いなる人
間学としての医学を構築していきたいと考えているわけです。
伴 尚志
一元流鍼灸術の基本は、気一元の観点で観るというところにあります。
その際の人間理解における背景となる哲学のひとつに、天人合一論があります。
これは、天地を気一元の存在とし、人間を小さな気一元の存在としていわばホロ
グラムのような形で対応させて未知の身体認識を深めていこうとするものです。
天地を陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとするのと同じように、人間も陰陽
五行で切り分けて把握しなおそうとします。これは、気一元の存在を丸ごとひと
つありのままにあるがままに把握しようとすることを目的として作られた方法論
です。このことによく注意を向けていただきたいと思います。
この観点に立って、さらに詳しく診断をしていくために用いる手段として、体表
観察を用います。体表観察していく各々の空間が、さらに小さな気一元の場で
す。天地を望み観るように身体を望み観、全身を望み観るように各診断部位を望
み観る。この気一元(というどこでもドア)で統一された観点を、今日はぜひ持
って帰っていただきたいと思います。
ここを基本として一元流鍼灸術では人間理解を進めていこうとしています。確固
たる東洋医学的身体観に立って、過去の積み重ねの結果である「今」の人間その
ものを理解していこうとしているわけです。
ここを基礎として、精神と身体を統合した総合的な人間観に基づいた大いなる人
間学としての医学を構築していきたいと考えているわけです。
伴 尚志
■東洋医学は生命の側に立つ医術である
東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。
けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。
生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。
そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。
東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。
伴 尚志
東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。
けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。
生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。
そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。
東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。
伴 尚志
■東洋医学と中医学
東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚して
いることが理解できます。
そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。
現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦
乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在して
います。
もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したこと
でしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙
の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということ
です。
それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋
医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれ
は、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。
それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想
は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医
学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。
東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなりま
す。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と
乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床
の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学
としての過渡期にあると私は考えています。
このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものする
ために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本
と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち
返って見なおそうとしているわけです。
伴 尚志
東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚して
いることが理解できます。
そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。
現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦
乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在して
います。
もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したこと
でしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙
の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということ
です。
それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋
医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれ
は、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。
それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想
は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医
学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。
東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなりま
す。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と
乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床
の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学
としての過渡期にあると私は考えています。
このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものする
ために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本
と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち
返って見なおそうとしているわけです。
伴 尚志
■古典は月を指す指にすぎない
真理はここにあると指さす、その指が古典です。
人は、不安の中に生きているので、思わずその指に飛びついて、真理はここにあ
ると語り継いでしまいます。真理はここにあると、指さされている対象こそが大
切なのに、指にそのまま飛びついてしまうのです。指は目の前にあり、形になっ
ているので飛びつきやすいためでしょう。
そしてさらには、真理はここにあると指さしている指の指し方に興味を示す人々
が出てきます。彼は語ります、「本当の指さし方はこのように、右から左に大き
く流すようにして、ぴたっと位置を決めて指すものだ」と。「古人もそのように
指さすことによってこの真理をつかんだのである」と。
そのようにして、真理を指さす、指さし方が定められた。その際には大いなる会
議までもたれて、賢者たちが侃々諤々の大議論を行ったりもします。
あるものは左から右に指さすべきだといい、そこには陰陽の理があると根拠づけ
ました。
あるものは天地の関係の中から天上をまず指さした後に、大きく振りかぶるよう
に地を指すようにすること。それこそがここにある真理を指さす指のあり方であ
ると述べました。
あるものは、真理というのは変化するものであるのだから指さす場合にもその指
は止めるべきではなく動き続けているものでなければならないとしました。そし
てついには真理を踊る踊りが披露されることとなりました。彼は「動きの中にこ
そ真理がある」と、その指の動きを定義づけ、無駄のない動きとはいかにあるべ
きかという研究を続けることとなりました。
このようにして、膨大な真理の「指さし方の研究」が何千年にもわたって行わ
れ、古典として積み重ねられてきたわけです。先人の知恵と呼ばれるそれらは、
偉大なる古典の集積として崇められることとなりました。勉強家の古人の中に
は、その「指さし方」の書物を副葬品として、死後甦った後にも勉強できるよう
にと、埋葬させたものまでいました。
21世紀の現在、彼の墓が発掘されてその埋葬物が出てきました。偉大なる古典の
原典が出現したと大いに「指さし方」の学会を湧かせることとなったそうです。
「指さし方」の原典が判明した!と。
「真理」はその隣でいつ僕を見てくれるのだろうとじっと待ち続けました。けれ
ども、学会はそれどころではありませんでした。なにせ、世紀の発見がそこにあ
るのですから、真理などかまってはいられません。
輝ける真理、生命そのものが「いま、ここ」にある。それにもかかわらず、生命
そのものを見ることをせず、その真理の横でまるで真理から目をそらすように指
さし方の研究に励んでいる学者が大量に存在しているのはのは、なぜなのでしょ
うか。
これは、最初に真理はここにあると指さした者の罪なのでしょうか。それとも賢
人と呼ばれた人々が、実は指先を集めるだけで、真理などには興味もなかった、
その愚かさによるものなのでしょうか。
ある人は、仏典が積み上げられなければ釈迦の悟りは伝わらなかったと言いまし
た。仏典が伝わらなければ仏教は伝来していないと信じているのです。はて、仏
典がなければ真理はなかったのでしょうか?それなら仏典など一冊も存在してい
ない時代に生きて修業していた釈迦は、決して真理に到達することはなかったと
いうことなのでしょうか。
真理が見つけられたと伝えられた時、無上の覚りがこの人生の中にあると伝えら
れた時、あなたはどうするでしょう。その言葉を聞きにいくでしょうか。その指
さし方を眺めにそこに行くのでしょうか。それとも自らの「真理を求める力」を
用いて、自らのいのちに真正面から向かい合うのでしょうか。
私たちは一人一人がこの「いのち」の真理の上に立ち、それによって生かされて
います。ここを掘ること。今ここに存在している私たちのいのちを探究するこ
と。これが真理へのただ一つの道です。それ以外に真理を探究する道は存在しな
いのです。
伴 尚志
真理はここにあると指さす、その指が古典です。
人は、不安の中に生きているので、思わずその指に飛びついて、真理はここにあ
ると語り継いでしまいます。真理はここにあると、指さされている対象こそが大
切なのに、指にそのまま飛びついてしまうのです。指は目の前にあり、形になっ
ているので飛びつきやすいためでしょう。
そしてさらには、真理はここにあると指さしている指の指し方に興味を示す人々
が出てきます。彼は語ります、「本当の指さし方はこのように、右から左に大き
く流すようにして、ぴたっと位置を決めて指すものだ」と。「古人もそのように
指さすことによってこの真理をつかんだのである」と。
そのようにして、真理を指さす、指さし方が定められた。その際には大いなる会
議までもたれて、賢者たちが侃々諤々の大議論を行ったりもします。
あるものは左から右に指さすべきだといい、そこには陰陽の理があると根拠づけ
ました。
あるものは天地の関係の中から天上をまず指さした後に、大きく振りかぶるよう
に地を指すようにすること。それこそがここにある真理を指さす指のあり方であ
ると述べました。
あるものは、真理というのは変化するものであるのだから指さす場合にもその指
は止めるべきではなく動き続けているものでなければならないとしました。そし
てついには真理を踊る踊りが披露されることとなりました。彼は「動きの中にこ
そ真理がある」と、その指の動きを定義づけ、無駄のない動きとはいかにあるべ
きかという研究を続けることとなりました。
このようにして、膨大な真理の「指さし方の研究」が何千年にもわたって行わ
れ、古典として積み重ねられてきたわけです。先人の知恵と呼ばれるそれらは、
偉大なる古典の集積として崇められることとなりました。勉強家の古人の中に
は、その「指さし方」の書物を副葬品として、死後甦った後にも勉強できるよう
にと、埋葬させたものまでいました。
21世紀の現在、彼の墓が発掘されてその埋葬物が出てきました。偉大なる古典の
原典が出現したと大いに「指さし方」の学会を湧かせることとなったそうです。
「指さし方」の原典が判明した!と。
「真理」はその隣でいつ僕を見てくれるのだろうとじっと待ち続けました。けれ
ども、学会はそれどころではありませんでした。なにせ、世紀の発見がそこにあ
るのですから、真理などかまってはいられません。
輝ける真理、生命そのものが「いま、ここ」にある。それにもかかわらず、生命
そのものを見ることをせず、その真理の横でまるで真理から目をそらすように指
さし方の研究に励んでいる学者が大量に存在しているのはのは、なぜなのでしょ
うか。
これは、最初に真理はここにあると指さした者の罪なのでしょうか。それとも賢
人と呼ばれた人々が、実は指先を集めるだけで、真理などには興味もなかった、
その愚かさによるものなのでしょうか。
ある人は、仏典が積み上げられなければ釈迦の悟りは伝わらなかったと言いまし
た。仏典が伝わらなければ仏教は伝来していないと信じているのです。はて、仏
典がなければ真理はなかったのでしょうか?それなら仏典など一冊も存在してい
ない時代に生きて修業していた釈迦は、決して真理に到達することはなかったと
いうことなのでしょうか。
真理が見つけられたと伝えられた時、無上の覚りがこの人生の中にあると伝えら
れた時、あなたはどうするでしょう。その言葉を聞きにいくでしょうか。その指
さし方を眺めにそこに行くのでしょうか。それとも自らの「真理を求める力」を
用いて、自らのいのちに真正面から向かい合うのでしょうか。
私たちは一人一人がこの「いのち」の真理の上に立ち、それによって生かされて
います。ここを掘ること。今ここに存在している私たちのいのちを探究するこ
と。これが真理へのただ一つの道です。それ以外に真理を探究する道は存在しな
いのです。
伴 尚志
■『蜘蛛の糸』その後:伴 尚志説
「芥川龍之介の著した『蜘蛛の糸』をご存知の方はたくさんおられると思いま
す。そしてそこから教訓を引き出そうとする、倫理的な方々もたくさんおられる
ようです。私も私の直感を通じて『蜘蛛の糸』その後談の屋上屋を重ねようと思
います。楽しんでいただけると嬉しいです。」
カンダタが蜘蛛の糸をお釈迦様に切られて落ちていった、その底は地獄だった。
けれどその同じ風景がお釈迦様にとっては、光と影が織りなす、色鮮やかな生命
曼陀羅であった。
カンダタはお釈迦様に蜘蛛の糸を切られて奈落の底に落ちていく中で、一瞬のう
ちに深い歓喜に包まれた。「あぁ、俺はもう救われる必要なんてないんだ!」い
つも何かにとりつかれたように突き動かされて行動していたカンダタ。大犯罪者
であるカンダタは、そのままの姿で―何ということだろうか!―救われてしまった
のであった。なんと表現することもできないような歓喜!が、カンダタをとらえ
て放さなかった。
「救われるというのはこういうことだったのか!」カンダタは地獄の底に落ちて
いく長く暗いいトンネルを通り抜けるような、無力な旅の中ではっきりと気付い
た。
「なんという喜びだろう!」救われる必要などなく、求める必要などなく、ただ
ありのままの愚かな自分を受け入れたカンダタにとって、もう恐いものなどなく
なっていた。
「救いや悟りなんてどうでもいい!俺こそがありてあるものそのものだったんじ
ゃないか!」カンダタは気づいた。自分が生命そのものであったということに。
生命の本体こそが自分自身であったということに。
自分自身以外に誰もこの生命の本体を知るものはいないということに。
まるで雷に打たれたようだった。家のドアを開けたらそこにダンプカーが突っ込
んできたような驚きだった。
「道徳なんてものはない、不道徳なんてこともない。あるのは在るという事実だ
けだったんだ」「ありてあるもの。存在の王。それが俺だ。」カンダタは地獄に
堕ちていきながら火の玉のようになっていく自分自身を感じ、そう思った。
「俺が傷つけたのは俺自身だった。俺が殺したのは俺自身だった。俺が焼いた家
は俺自身の家だった。俺が渇望したのは俺自身だったんだ!」カンダタはすべて
を悟った。
「地獄は俺自身の心だったんだ!なんてことだ!俺自身が地獄を作っていたん
だ!そしてそこに住んで俺は傷つき飢え殺し盗んできた。俺自身から!人を妬ん
で!」カンダタはいつの間にか号泣していた。自分の愚かさにあきれかえった。
そして以前の自分が憐れに思えた。
「なんてちっぽけな世界に住んでいたんだろう。心の汚れを洗う方法も知らず
に・・・」光の玉となってカンダタは地獄の底に落ちていった。
ふと気がつくと、カンダタは地獄の底で目が覚めた。いや、そこは地獄の底のは
ずだったというべきか。広い野原の丘の上でカンダタは目が覚めたのだ。たしか
にあの奈落に落ちていく感覚はもうすでになく、たしかな地面が広がっている。
雨上がりの後のような草の香りが世界を満たしている。すばらしい太陽が白い雲
の漂う空に輝いている。ここは地獄の底のはず、だった。
「なんて美しい世界なんだろう」カンダタは胸一杯に空気を吸い込んで思わず叫
んだ。するとまるでハイジのような少女が暖かいミルクをもってやってきた。彼
女は怖れを知らぬ愛らしい眼差しをカンダタにまっすぐ向けた。
「大丈夫?大きな音がしたからお星様が落ちてきたのかと思っちゃった!」そし
てさらにカンダタの眼をのぞき込んで言った。「どうぞ」
手に持っていたミルクを差し出した。カンダタはその優しさに震えて泣いた。
それは大盗族カンダタの「今の姿」だったのだ。
少女の姿でカンダタは、今日もお釈迦様が蜘蛛の糸を切られる慈悲の裁断を待ち
続けているという。
====================================
私のfacebookへの書き込みが何故か消えています。
なにかの手違いで消えたのかもしれません。
この間の書き込みを読みたい方は、以下のアドレスに掲載されていますので、そ
ちらをご覧ください。 http://1gen.blog101.fc2.com/?sp
伴 尚志
「芥川龍之介の著した『蜘蛛の糸』をご存知の方はたくさんおられると思いま
す。そしてそこから教訓を引き出そうとする、倫理的な方々もたくさんおられる
ようです。私も私の直感を通じて『蜘蛛の糸』その後談の屋上屋を重ねようと思
います。楽しんでいただけると嬉しいです。」
カンダタが蜘蛛の糸をお釈迦様に切られて落ちていった、その底は地獄だった。
けれどその同じ風景がお釈迦様にとっては、光と影が織りなす、色鮮やかな生命
曼陀羅であった。
カンダタはお釈迦様に蜘蛛の糸を切られて奈落の底に落ちていく中で、一瞬のう
ちに深い歓喜に包まれた。「あぁ、俺はもう救われる必要なんてないんだ!」い
つも何かにとりつかれたように突き動かされて行動していたカンダタ。大犯罪者
であるカンダタは、そのままの姿で―何ということだろうか!―救われてしまった
のであった。なんと表現することもできないような歓喜!が、カンダタをとらえ
て放さなかった。
「救われるというのはこういうことだったのか!」カンダタは地獄の底に落ちて
いく長く暗いいトンネルを通り抜けるような、無力な旅の中ではっきりと気付い
た。
「なんという喜びだろう!」救われる必要などなく、求める必要などなく、ただ
ありのままの愚かな自分を受け入れたカンダタにとって、もう恐いものなどなく
なっていた。
「救いや悟りなんてどうでもいい!俺こそがありてあるものそのものだったんじ
ゃないか!」カンダタは気づいた。自分が生命そのものであったということに。
生命の本体こそが自分自身であったということに。
自分自身以外に誰もこの生命の本体を知るものはいないということに。
まるで雷に打たれたようだった。家のドアを開けたらそこにダンプカーが突っ込
んできたような驚きだった。
「道徳なんてものはない、不道徳なんてこともない。あるのは在るという事実だ
けだったんだ」「ありてあるもの。存在の王。それが俺だ。」カンダタは地獄に
堕ちていきながら火の玉のようになっていく自分自身を感じ、そう思った。
「俺が傷つけたのは俺自身だった。俺が殺したのは俺自身だった。俺が焼いた家
は俺自身の家だった。俺が渇望したのは俺自身だったんだ!」カンダタはすべて
を悟った。
「地獄は俺自身の心だったんだ!なんてことだ!俺自身が地獄を作っていたん
だ!そしてそこに住んで俺は傷つき飢え殺し盗んできた。俺自身から!人を妬ん
で!」カンダタはいつの間にか号泣していた。自分の愚かさにあきれかえった。
そして以前の自分が憐れに思えた。
「なんてちっぽけな世界に住んでいたんだろう。心の汚れを洗う方法も知らず
に・・・」光の玉となってカンダタは地獄の底に落ちていった。
ふと気がつくと、カンダタは地獄の底で目が覚めた。いや、そこは地獄の底のは
ずだったというべきか。広い野原の丘の上でカンダタは目が覚めたのだ。たしか
にあの奈落に落ちていく感覚はもうすでになく、たしかな地面が広がっている。
雨上がりの後のような草の香りが世界を満たしている。すばらしい太陽が白い雲
の漂う空に輝いている。ここは地獄の底のはず、だった。
「なんて美しい世界なんだろう」カンダタは胸一杯に空気を吸い込んで思わず叫
んだ。するとまるでハイジのような少女が暖かいミルクをもってやってきた。彼
女は怖れを知らぬ愛らしい眼差しをカンダタにまっすぐ向けた。
「大丈夫?大きな音がしたからお星様が落ちてきたのかと思っちゃった!」そし
てさらにカンダタの眼をのぞき込んで言った。「どうぞ」
手に持っていたミルクを差し出した。カンダタはその優しさに震えて泣いた。
それは大盗族カンダタの「今の姿」だったのだ。
少女の姿でカンダタは、今日もお釈迦様が蜘蛛の糸を切られる慈悲の裁断を待ち
続けているという。
====================================
私のfacebookへの書き込みが何故か消えています。
なにかの手違いで消えたのかもしれません。
この間の書き込みを読みたい方は、以下のアドレスに掲載されていますので、そ
ちらをご覧ください。 http://1gen.blog101.fc2.com/?sp
伴 尚志
■『蜘蛛の糸』芥川龍之介著
『
ある日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。はるか下には地獄が
ああり、犍陀多(かんだた)という男が血の池でもがいているのが見える。
犍陀多は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。し
かしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。道ばたの小さな蜘蛛の命を思い
やり、踏み殺さずに助けてやったのだ。
そのことを思い出したお釈迦さまは彼を地獄から救い出してやろうと考え、地
獄に向かって蜘蛛の糸を垂らした。
血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れ
てきた。これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸
命に上へ上へとのぼった。
地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、のぼることに疲れた犍陀
多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。しかし下を見ると、まっ暗な血の池
から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって
近づいてくる。このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考え
た犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下り
ろ」と大声で叫んだ。
すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人
たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。
この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち
去った。 』
※これは、ダヴィンチWEBからの引用です。
(『トップ連載1分間名作あらすじ【1分間名作あらすじ】芥川龍之介『蜘蛛の糸』
――地獄から抜け出すチャンスをもらった男の運命は?【1分間名作あらすじ】芥
川龍之介『蜘蛛の糸』――地獄から抜け出すチャンスをもらった男の運命は?文
芸・カルチャー 更新日:2023/2/28』 https://ddnavi.com/serial/465032/a/)
蜘蛛の糸の原文も、無料で入手できるようですので、是非読んでみてください。
課題は、この蜘蛛の糸を切られたあとのカンダタの心理状況の記述です。どんな
気持ちをカンダタは抱いたのだろうか。自分の心に照らして考えて、書いてみて
ください。いわく、『蜘蛛の糸―その後』です。
私も考えてありますので、それは五月八日頃に発表します。
伴 尚志
『
ある日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。はるか下には地獄が
ああり、犍陀多(かんだた)という男が血の池でもがいているのが見える。
犍陀多は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。し
かしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。道ばたの小さな蜘蛛の命を思い
やり、踏み殺さずに助けてやったのだ。
そのことを思い出したお釈迦さまは彼を地獄から救い出してやろうと考え、地
獄に向かって蜘蛛の糸を垂らした。
血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れ
てきた。これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸
命に上へ上へとのぼった。
地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、のぼることに疲れた犍陀
多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。しかし下を見ると、まっ暗な血の池
から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって
近づいてくる。このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考え
た犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下り
ろ」と大声で叫んだ。
すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人
たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。
この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち
去った。 』
※これは、ダヴィンチWEBからの引用です。
(『トップ連載1分間名作あらすじ【1分間名作あらすじ】芥川龍之介『蜘蛛の糸』
――地獄から抜け出すチャンスをもらった男の運命は?【1分間名作あらすじ】芥
川龍之介『蜘蛛の糸』――地獄から抜け出すチャンスをもらった男の運命は?文
芸・カルチャー 更新日:2023/2/28』 https://ddnavi.com/serial/465032/a/)
蜘蛛の糸の原文も、無料で入手できるようですので、是非読んでみてください。
課題は、この蜘蛛の糸を切られたあとのカンダタの心理状況の記述です。どんな
気持ちをカンダタは抱いたのだろうか。自分の心に照らして考えて、書いてみて
ください。いわく、『蜘蛛の糸―その後』です。
私も考えてありますので、それは五月八日頃に発表します。
伴 尚志
般若心経の話が出たので、私が現代語訳した般若心経を紹介しておきます。
後半には、般若波羅蜜多という呪文の解説があります。
この解説もまた、私による独自のものです。
■超訳 讃仰 般若波羅蜜多心経
私が観音菩薩だったころに、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)を深く行(ぎょ
う)じた時、五蘊(ごうん)〔注:色受想行識〕がすべて空であるということを
はっきりと覚ることができ、すべての苦しみや災厄から解き放たれることができ
ました。
舎利子(しゃりし)よ、色(しき)〔注:見ることができるもの〕に空(くう)
でないものはなく、空に色でないものはありません。色はすなわち空であり、空
はすなわち色なのです。受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)もまた同
じことです。
舎利子よ、諸法が空相を呈しているわけですから、生まれることも滅ぶこともそ
もそもなく、垢(けが)れることも浄(きよ)められることもそもそもなく、増
えることも減ることもそもそもありません。ですから空の中に色はそもそもな
く、受想行識もそもそもないのです。眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜっ)心
(しん)意(い)もそもそもなく、色(しき)声(しょう)香(こう)味(み)
触(そく)法(ほう)もそもそもありません。見ることができる世界というもの
もそもそもなく、意識することができる世界というものもそもそもありません。
無明というものもそもそもないのですから、無明がなくなるということもそもそ
もありません。また、老いや死というものもそもそもないのですから、老いや死
がなくなるということもそもそもありません。苦(く)集(しゅう)滅(めつ)
道(どう)〔注:仏教の根本教理を示す語。「苦」は生・老・病・死の苦しみ、
「集」は苦の原因である迷いの心の集積、「滅」は苦集を取り去った悟りの境
地、「道」は悟りの境地に達する修行〕などそもそもないのです。
知ることができるものもそもそもないのですから、得ることができるものもそも
そもありません。ですからこれによって得るところのものというものもそもそも
ないのです。
私である菩提薩埵 (ぼだいさった)〔注:道を求めて修業している自己の本
体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、心にこだわりがなくなります。心
にこだわりがなくなることによって、恐怖がなくなり、一切の混乱した夢想から
遠く離れることができます。ですから、涅槃〔注:死生や善悪の判断を超えたこ
の世界の実相そのもの:相対界ではない絶対界〕を自由に探求することができる
ようになります。
私である過去現在未来の諸仏〔注:時代を超えて変わりなく存在する自分自身の
本体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、あーのくたーらーさんみゃくさ
んぼーだいを得ること〔注:時空を超えた世界ー大いなる生命そのものと一体と
なり、その光を帯びること〕ができます。
ですから般若波羅蜜多をよく知りなさい。ここに大いなる神呪、ここに大いなる
明呪、ここに無上の呪、ここに並ぶもののない呪があります。一切の苦しみを取
り除くことができます。本当です、嘘ではありません。
それではその般若波羅蜜多への呪〔注:じゅ:のりと〕をお伝えしましょう。今
その呪を唱えます。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー〔注:手放しなさい:手放しなさい:
すべてを手放しなさい〕はらそーぎゃーてーぼーじーそわかー〔注:すべてを手
放して 存在そのものでいなさい〕
■般若波羅蜜多とは
時空を超えた存在そのもの。仏性の本体であり彼岸である。真実の体験であり、
人生の中でただ一つだけ体験しなければならない境地、場所である。般若波羅蜜
多を体験し、自覚し、意識し続けそれを表現するように努力すること。そこに人
生の本懐がある。
般若波羅蜜多はすべての存在の中にあり、もちろんすべての人々の中にある。生
を支えているエネルギーであり、生命の喜びそのものでもある。驚くべきことに
人々はそれが自分自身―自分の本体であることを知らない。
苦集滅道は、迷いの様相であり、迷いから覚める道筋である。けれどもそれは本
体ではない。なぜなら人は、その存在そのものがすでに覚りの中にあるのだか
ら。
般若波羅蜜多に気がつくということは、このことに気がつくということである。
一瞬の隙もなく一ミリの隙間もなく般若波羅蜜多は私を充たし世界を充たし続け
ている。
気を許すと!!! 意識は般若波羅蜜多の中に落ちていく。
深い呼吸とともにしがみついている想念を解き放ち、般若波羅蜜多の中心に落ち
ていこう。
生のなんと栄光に満ちたものであることか!
生命宇宙の真っ只中の光明の世界の中心に私はいる!
お互いのなかの佛を拝み日々暮らすことのできる仏国土とし、
お互いのなかの神性を日々讃仰しあえる世界が訪れんことを!
伴 尚志
後半には、般若波羅蜜多という呪文の解説があります。
この解説もまた、私による独自のものです。
■超訳 讃仰 般若波羅蜜多心経
私が観音菩薩だったころに、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)を深く行(ぎょ
う)じた時、五蘊(ごうん)〔注:色受想行識〕がすべて空であるということを
はっきりと覚ることができ、すべての苦しみや災厄から解き放たれることができ
ました。
舎利子(しゃりし)よ、色(しき)〔注:見ることができるもの〕に空(くう)
でないものはなく、空に色でないものはありません。色はすなわち空であり、空
はすなわち色なのです。受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)もまた同
じことです。
舎利子よ、諸法が空相を呈しているわけですから、生まれることも滅ぶこともそ
もそもなく、垢(けが)れることも浄(きよ)められることもそもそもなく、増
えることも減ることもそもそもありません。ですから空の中に色はそもそもな
く、受想行識もそもそもないのです。眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜっ)心
(しん)意(い)もそもそもなく、色(しき)声(しょう)香(こう)味(み)
触(そく)法(ほう)もそもそもありません。見ることができる世界というもの
もそもそもなく、意識することができる世界というものもそもそもありません。
無明というものもそもそもないのですから、無明がなくなるということもそもそ
もありません。また、老いや死というものもそもそもないのですから、老いや死
がなくなるということもそもそもありません。苦(く)集(しゅう)滅(めつ)
道(どう)〔注:仏教の根本教理を示す語。「苦」は生・老・病・死の苦しみ、
「集」は苦の原因である迷いの心の集積、「滅」は苦集を取り去った悟りの境
地、「道」は悟りの境地に達する修行〕などそもそもないのです。
知ることができるものもそもそもないのですから、得ることができるものもそも
そもありません。ですからこれによって得るところのものというものもそもそも
ないのです。
私である菩提薩埵 (ぼだいさった)〔注:道を求めて修業している自己の本
体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、心にこだわりがなくなります。心
にこだわりがなくなることによって、恐怖がなくなり、一切の混乱した夢想から
遠く離れることができます。ですから、涅槃〔注:死生や善悪の判断を超えたこ
の世界の実相そのもの:相対界ではない絶対界〕を自由に探求することができる
ようになります。
私である過去現在未来の諸仏〔注:時代を超えて変わりなく存在する自分自身の
本体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、あーのくたーらーさんみゃくさ
んぼーだいを得ること〔注:時空を超えた世界ー大いなる生命そのものと一体と
なり、その光を帯びること〕ができます。
ですから般若波羅蜜多をよく知りなさい。ここに大いなる神呪、ここに大いなる
明呪、ここに無上の呪、ここに並ぶもののない呪があります。一切の苦しみを取
り除くことができます。本当です、嘘ではありません。
それではその般若波羅蜜多への呪〔注:じゅ:のりと〕をお伝えしましょう。今
その呪を唱えます。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー〔注:手放しなさい:手放しなさい:
すべてを手放しなさい〕はらそーぎゃーてーぼーじーそわかー〔注:すべてを手
放して 存在そのものでいなさい〕
■般若波羅蜜多とは
時空を超えた存在そのもの。仏性の本体であり彼岸である。真実の体験であり、
人生の中でただ一つだけ体験しなければならない境地、場所である。般若波羅蜜
多を体験し、自覚し、意識し続けそれを表現するように努力すること。そこに人
生の本懐がある。
般若波羅蜜多はすべての存在の中にあり、もちろんすべての人々の中にある。生
を支えているエネルギーであり、生命の喜びそのものでもある。驚くべきことに
人々はそれが自分自身―自分の本体であることを知らない。
苦集滅道は、迷いの様相であり、迷いから覚める道筋である。けれどもそれは本
体ではない。なぜなら人は、その存在そのものがすでに覚りの中にあるのだか
ら。
般若波羅蜜多に気がつくということは、このことに気がつくということである。
一瞬の隙もなく一ミリの隙間もなく般若波羅蜜多は私を充たし世界を充たし続け
ている。
気を許すと!!! 意識は般若波羅蜜多の中に落ちていく。
深い呼吸とともにしがみついている想念を解き放ち、般若波羅蜜多の中心に落ち
ていこう。
生のなんと栄光に満ちたものであることか!
生命宇宙の真っ只中の光明の世界の中心に私はいる!
お互いのなかの佛を拝み日々暮らすことのできる仏国土とし、
お互いのなかの神性を日々讃仰しあえる世界が訪れんことを!
伴 尚志
■古典を読む ― 般若心経を通じて
古典を読むというときには、実践の中で読むという姿勢が必要であって、言葉に
読まれてはいけません。
般若心経も、言葉で書かれているわけですけれども、言葉の解釈という方向で読
み進んでしまうと、どんどんその本意から離れてしまいます。本当にそこで言い
たいことはなんなのかというと、悟りをひらけ、自らの仏性に気づけ、そのため
には我執というゴミは捨てろということなのです。けれども、言葉を解釈してい
ると、「空」なんて分けわかんないし、漢字の羅列だし難しいということになっ
てしまいます。また賢い人であれば、般若心経を読むための辞書を作り上げてし
まうかもしれません。本当の般若心経の読み方、という題名で、一字一字の定義
を行ない、読み方や音韻を正確に定めた上で全体の意味を再構築していくという
ような。そのようにすると、学問的な評価の高い言葉の山を作り上げることもで
きるわけです。そして、そのために生涯をかけてしまう人もいます。
けれども般若心経の言葉を、禅の体験を通じてさらに集約した人もいます。ビー
トルズの言葉にもなった、「BE HERE NOW」「Now&Here」
「今ここ」というものがそれです。
東洋医学の古典も、このあたりの危うさを秘めているわけです。言葉を積み重ね
ても言葉のごみしかでない。体験を通じて言葉を理解する。臨床を通じて古典を
読んでいくということが大切なゆえんです。
伴 尚志
古典を読むというときには、実践の中で読むという姿勢が必要であって、言葉に
読まれてはいけません。
般若心経も、言葉で書かれているわけですけれども、言葉の解釈という方向で読
み進んでしまうと、どんどんその本意から離れてしまいます。本当にそこで言い
たいことはなんなのかというと、悟りをひらけ、自らの仏性に気づけ、そのため
には我執というゴミは捨てろということなのです。けれども、言葉を解釈してい
ると、「空」なんて分けわかんないし、漢字の羅列だし難しいということになっ
てしまいます。また賢い人であれば、般若心経を読むための辞書を作り上げてし
まうかもしれません。本当の般若心経の読み方、という題名で、一字一字の定義
を行ない、読み方や音韻を正確に定めた上で全体の意味を再構築していくという
ような。そのようにすると、学問的な評価の高い言葉の山を作り上げることもで
きるわけです。そして、そのために生涯をかけてしまう人もいます。
けれども般若心経の言葉を、禅の体験を通じてさらに集約した人もいます。ビー
トルズの言葉にもなった、「BE HERE NOW」「Now&Here」
「今ここ」というものがそれです。
東洋医学の古典も、このあたりの危うさを秘めているわけです。言葉を積み重ね
ても言葉のごみしかでない。体験を通じて言葉を理解する。臨床を通じて古典を
読んでいくということが大切なゆえんです。
伴 尚志
■違和感の大切さ
違和感は、自身の常識と他者の常識との間の違いによって起こります。
常識というものはそもそもその人生における自身の姿勢を決定付けているもの。
いわば、ものの見方考え方の基本です。
違和感を持つということは、自分自身の常識に不安を持つということです。ここ
において初めて、自身の概念の殻を打ち破って、他者との出会いが始まるわけで
す。自身の常識を疑うことによってはじめて、新たな世界がその視野に開かれる
こととなるわけです。
教育というのは、他者による洗脳です。これは言葉を換えると、新たな世界観を
提示し修得させるということになります。
現行の教育機関において、その多くが言葉を使って行われているため、教育の基
本として言葉が優位となりがちです。すなわち言葉を多く持っていることが教育
者の能力とされがちなわけです。
けれども臨床家になるための教育は、そういうものでは実はありません。事実を
観、それをどのように表現して他者の発した臨床の言葉とつなげて理解しなおし
ていくのか。このことを通じて、より深い正確な臨床へと自身の行為をつなげて
いこうとする。この過程を修得するということがポイントとなります。
伴 尚志
■言葉の指す向き
言葉、というものは恐ろしいものだと思います。
読む言葉、語る言葉に、指す言葉。
武士道における言葉は発するものの内側に肉薄する言葉でした。
他者に対するものではなく、己に対する諫言。
この同じ言葉が、他者に向けられたとき、それは他者を支配し傷つける刃となり
ます。けれどもそれが己に向けられたとき、己を磨く砥石となります。
この二者の差は歴然としているものです。
道徳を説くものの醜さは、己に向けられるべきこれらの言葉を他者に向けて発し
て、他者を支配しようとするところにあります。
己に向けられたものの美しさは、自身の切磋琢磨の目標としてこれらの言葉を用
いるところにあります。
己に向けた言葉を他者に向けぬようくれぐれも注意していきたいものです。
■己と他者
さてそれでは、己と他者とを区別する行為は道を行ずる者の行為であろうか、と
いう疑問がここに生じます。
道を行ずるということは、自他一体の理の中に自らを投与するということでもあ
ります。そこに、あえて他者を設けて自らと分け、道を説かずにおくという行為
があり得るのでしょうか。
ここに実は、自らの分を定めるという意識が働くこととなります。
教育者として自らを定めるのであれば別ですが、道を行ずる者は先ず第一に己を
極めることが義務となります。そしてこの己を極めるという行為は一生継続する
ものです。その行為の合間に他者を入れる隙などは実はあり得ませんしあっては
ならないことだと私は思います。
ところが、学ぶものには語る義務が生ずる、後進を導く責任が生ずる。そこを道
を行ずるものとしてどのように乗り越えていくかということが、ここで問われて
いることです。
そしてそれは、他者として彼らに道を語るのではなく、自らの内なる者として、
同道の者として、己自身に対すると同じように道を究める努力をともにする。こ
のことを提示する。ということでしか有り得ないと私は考えています。
伴 尚志
言葉、というものは恐ろしいものだと思います。
読む言葉、語る言葉に、指す言葉。
武士道における言葉は発するものの内側に肉薄する言葉でした。
他者に対するものではなく、己に対する諫言。
この同じ言葉が、他者に向けられたとき、それは他者を支配し傷つける刃となり
ます。けれどもそれが己に向けられたとき、己を磨く砥石となります。
この二者の差は歴然としているものです。
道徳を説くものの醜さは、己に向けられるべきこれらの言葉を他者に向けて発し
て、他者を支配しようとするところにあります。
己に向けられたものの美しさは、自身の切磋琢磨の目標としてこれらの言葉を用
いるところにあります。
己に向けた言葉を他者に向けぬようくれぐれも注意していきたいものです。
■己と他者
さてそれでは、己と他者とを区別する行為は道を行ずる者の行為であろうか、と
いう疑問がここに生じます。
道を行ずるということは、自他一体の理の中に自らを投与するということでもあ
ります。そこに、あえて他者を設けて自らと分け、道を説かずにおくという行為
があり得るのでしょうか。
ここに実は、自らの分を定めるという意識が働くこととなります。
教育者として自らを定めるのであれば別ですが、道を行ずる者は先ず第一に己を
極めることが義務となります。そしてこの己を極めるという行為は一生継続する
ものです。その行為の合間に他者を入れる隙などは実はあり得ませんしあっては
ならないことだと私は思います。
ところが、学ぶものには語る義務が生ずる、後進を導く責任が生ずる。そこを道
を行ずるものとしてどのように乗り越えていくかということが、ここで問われて
いることです。
そしてそれは、他者として彼らに道を語るのではなく、自らの内なる者として、
同道の者として、己自身に対すると同じように道を究める努力をともにする。こ
のことを提示する。ということでしか有り得ないと私は考えています。
伴 尚志
■古典を読むということ 弁証論治を作成するということ
一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にしています。けれ
どもその読み方には特徴があります。
以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される以前の身体で
す。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければならないもっとも大切なこと
は、目の前の患者さんの身体をどのように理解するのか、ということです。その
ための道具として、先人が同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとし
て、ひもとき綴ってきた古典を使用するわけです。
そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返るということで
す。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づく陰陽五行論です。気一
元の観点から把握しなおした陰陽と五行という視点を明らかにしない限り、古人
の位置に立ち、古人とともに古典を形作る共同作業を担うことはできません。
ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、「気一元の観点に立った陰陽と五行
の把握方法」について語られています。
何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようとしているの
か、その対象を明らかにする必要があります。ことに「天人相応の関係として捉
えうる人間の範囲」とは何かということを規定しなければ、天人相応の関係を持
つとすることが何を意味しているのかということや、気一元のものとして捉える
ということが何を意味しているのかということを理解することはできません。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、その場の状
態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。そのことを「器の状態」とし
てテキストでは述べています。生きている器の状態の動き方の傾向を把握しよう
とするわけです。その変化の仕方の傾向をどのように把握するのかという一段高
い観点がテキストでは述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大き
さ小ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストではこれを、
人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把握するものは実は、そ
のような傾向を持つ器の「中身」の状態について考えているわけです。
生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を把握しておく
ことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで欠かすことのできないこと
です。この基礎の上に立つことによって初めて弁証論治を考えるという行為が成
立するということを、一元流鍼灸術では明確にしています。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すという行為はこの基礎
の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静的に分析するといった傾向
を持ちます。その中でのバランスの崩れを時間の流れという動きの中から捉えて
いくわけです。
一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に立った弁証論
治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体をいかに理解するのか、理
解したかということを明らかにしているものです。積み重ねられた古典の情報を
用いますけれども、実は今目の前にある患者さんを理解する、理解しようとする
その熱が言葉になっているにすぎないとも言えます。
ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論治も現時点で
できあがった人間観や病理観を固定化し執着するものとしてはいけません。解釈
はいつも仮の姿です。より真実に向けて、より実際の状態に向けて、弁証論治は
深化し発展し続けなければならないものであると覚悟してかかるべきです。
このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供することができる
わけです。
ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれているとして
読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて綴られているにすぎない部
分や、論理的な整合性を求めてまとめられたにすぎない部分や、とりあえず資料
として収録されたにすぎない部分などが見えてきます。
古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈しなおしたり
改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情熱に沿うように読み取って
いきます。読み取る際には私心をなくしてただ読みます。けれども、読み取った
ものに対しては厳しい批判の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくして
ただ読み取り、読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢
は、実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じです。
これはすなわち一元流鍼灸術で古典を読むということなのです。
伴 尚志
一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にしています。けれ
どもその読み方には特徴があります。
以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される以前の身体で
す。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければならないもっとも大切なこと
は、目の前の患者さんの身体をどのように理解するのか、ということです。その
ための道具として、先人が同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとし
て、ひもとき綴ってきた古典を使用するわけです。
そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返るということで
す。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づく陰陽五行論です。気一
元の観点から把握しなおした陰陽と五行という視点を明らかにしない限り、古人
の位置に立ち、古人とともに古典を形作る共同作業を担うことはできません。
ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、「気一元の観点に立った陰陽と五行
の把握方法」について語られています。
何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようとしているの
か、その対象を明らかにする必要があります。ことに「天人相応の関係として捉
えうる人間の範囲」とは何かということを規定しなければ、天人相応の関係を持
つとすることが何を意味しているのかということや、気一元のものとして捉える
ということが何を意味しているのかということを理解することはできません。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、その場の状
態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。そのことを「器の状態」とし
てテキストでは述べています。生きている器の状態の動き方の傾向を把握しよう
とするわけです。その変化の仕方の傾向をどのように把握するのかという一段高
い観点がテキストでは述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大き
さ小ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストではこれを、
人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把握するものは実は、そ
のような傾向を持つ器の「中身」の状態について考えているわけです。
生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を把握しておく
ことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで欠かすことのできないこと
です。この基礎の上に立つことによって初めて弁証論治を考えるという行為が成
立するということを、一元流鍼灸術では明確にしています。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すという行為はこの基礎
の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静的に分析するといった傾向
を持ちます。その中でのバランスの崩れを時間の流れという動きの中から捉えて
いくわけです。
一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に立った弁証論
治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体をいかに理解するのか、理
解したかということを明らかにしているものです。積み重ねられた古典の情報を
用いますけれども、実は今目の前にある患者さんを理解する、理解しようとする
その熱が言葉になっているにすぎないとも言えます。
ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論治も現時点で
できあがった人間観や病理観を固定化し執着するものとしてはいけません。解釈
はいつも仮の姿です。より真実に向けて、より実際の状態に向けて、弁証論治は
深化し発展し続けなければならないものであると覚悟してかかるべきです。
このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供することができる
わけです。
ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれているとして
読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて綴られているにすぎない部
分や、論理的な整合性を求めてまとめられたにすぎない部分や、とりあえず資料
として収録されたにすぎない部分などが見えてきます。
古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈しなおしたり
改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情熱に沿うように読み取って
いきます。読み取る際には私心をなくしてただ読みます。けれども、読み取った
ものに対しては厳しい批判の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくして
ただ読み取り、読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢
は、実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じです。
これはすなわち一元流鍼灸術で古典を読むということなのです。
伴 尚志
■古典を読み身体を読む心
鍼灸医学は、東洋思想に基づいた人間学にしたがって人間を見つめ、それを通じ
て、その生命医学・実証医学としての体系を作り上げてきました。
この基本とは何かというと、観ることです。観て考え、考えてまた観る。事実と
は何かということを観る、とともにその底流に流れる生命原理について思いを尽
す。その無窮の作業の果てに、現在古典として伝えられている『黄帝内経』など
の書物が出来上がっているわけです。
鍼灸師としての我々はそれらの書物を基にしてふたたび無窮の作業の基となって
いる実態、古典を古典としてあらしめたものそのものである、目の前に存在する
人間そのものに向かっていくわけです。そして、どうすればよりよくそれを理解
できるだろうか、どうすればその生命状況をよりよい状態へと持っていくことが
できるだろうかと探求していくわけです。
古典というものは、いわば身体を旅するための地図の役割をしています。時代に
よって地域によって違いはあります。けれどもその時代その地域において、真剣
に人間を見続けたその積み重ねが、現在我々が手にすることのできる資料として
言葉で残されているわけです。これはまさにありがたいことであると思います。
深く重厚な歴史の積み重ねは、東洋医学の独壇場ともいえるでしょう。けれども
その書物の山に埋もれることなくそれを適宜利用していけるような人材を作ると
いうことが、学校教育に求められることです。外野としての私は、その支援の一
つとして、中心概念をここ「一元流鍼灸術の門」に明確にしているわけです。そ
れが気一元として人間を見るということと、その古代哲学における展開方法とし
ての陰陽と五行の把握方法であるわけです。
古典という地図には読み方があります。身体は時代や地域によって異なります。
現代には現代の古典となるべき地図が、実は必要となります。現代の人間観、宇
宙観にしたがいながらも、目の前に存在している人間を観ることを徹底すること
によって、はじめて古典を綴った古人とつながることができます。そして、現代
には現代の古典が再び綴られていくこととなるでしょう。これこそが澤田健先生
の言われた、「死物である書物を、活物とする」技となります。
思えば、古典を読むという際の白紙の心と、身体に向かう際の白紙の心とは同じ
心の状態です。無心に謙虚に、対象をありのままに尊崇する心の姿勢が基本とな
ります。
伴 尚志
■古典を読むということ
古典を読むということは、自分の意見の歴史的な位置づけを得ることができま
す。これによって、自分の意見を学問のレベルに引き上げることができるわけで
す。
今、臨床の場という古典発祥の地に立つことによって、東洋医学の中核である臓
腑経絡学を磨き上げ書き換えていこうとすることが、東洋医学の先人たちへの一
元流鍼灸術による恩返しとなります。
■人間理解への情熱こそが古典の基本
東洋医学には数千年の積み重ねがあると言われています。数千年の積み重ねとい
っても、その間、同じ言葉が繰り返されてきたのであればそれはただ、数千年の
停滞でしかないということが理解されなければなりません。数千年前の思い付き
を現代においても踏襲し続けているとしたらそれは、いかなる宗教いかなる信仰
心でしょうか!そして、いかなる怠慢でしょうか!
とはいえ、東洋医学の基本的な古典はその成立当時にすでに深い臨床の積み重ね
がありました。生命へのどのようなアプローチがどのような生命状態の変化を及
ぼすというだけでなく、それらの変化を系統立てて纏め上げています。そこにあ
る、人間理解への激しい情熱と執拗さとをこそ、我々は学び取らなければなりま
せん!
そして、その同じ執拗な情熱のみが、古典を乗り越えさせ、より効果的な臨床を
築いていく原動力となるでしょう。一元流鍼灸術が目指すものは、古典に埋没す
ることではなく、古典を作り出す能力を獲得することです。言葉にされた古典を
読むことだけでなく、その言葉の先にある生命理解を身につけることです。
伴 尚志
■経穴名に沿って経穴があるのではなく、経穴に名前が付いている件
【体表観察こそが今生きている古典である身体を読み取るための武器である】
学校や素人は、この経穴がこの疾病に効果があるという言葉を信じて勉強を積ん
でいきます。けれども、実際に患者さんにあたると、経穴を見つけることができ
ません。それは経穴名が体表に書いてあるわけではないためです。あたりまえの
ことですが。このあたりのことを乗り越えようとして経穴を探す方法が工夫され
てきました。けれどもそれは体表を機械的に計測して当てはめるもので、経穴そ
のもの(沢田健先生のいわゆる生きて働いている経穴)を見出すための鍛錬では
ありません。そのため中医学などでは体表に触れて経穴を探すこともせず、頭の
中で作られた位置に基づいた場処に処置することとなっています。
会話を成立させるためあるいは情報を残すためにはその場処(体表の一点)を指
し示す名前が付いていなければならず、その名前が同じ場所を指していることを
前提として(特に近代は)経穴学が発展してきました。どの経穴はどのような疾
病に効果があるといういわゆる特効穴治療などもこの過程で研究され、その記録
が積み重ねられてきたものです。
けれどもこのての勉強を積み重ねているうちに忘れてしまうことがあります。そ
れは、体表を観察することによって初めて、経穴の一点を手に入れることができ
るという単純な事実です。「名前がつけられる以前からそこに存在していた経穴
表現を見出すこと」ここに古典を越えて事実そのものに立脚することのできる鍼
灸師の特徴があります。【体表観察こそが今生きている古典である身体を読み取る
ための武器である】ということ、この事実を認識することから一元流の学は始まっ
ています。
■質疑■
> 勉強会の実習で、いつもペンで印をつける経穴(陥凹・ゆるみ・
> 腫れなど)は、「生きて働いている経穴」ということなのでしょ
> うか?
>
> それはテキストにある「反応の出ている経穴」と同じものでしょ
> うか?
そうです。
> また、印をつけられない経穴は何なのでしょう?
微細な反応なので見えにくい経穴です。
> いま私の手元にある『経穴マップ』という本によれば、WHOの
> 国際標準で全身には361穴の経穴があるとのことであります。
> これは経穴の名前が361あるということで、誰でも常に361
> の経穴があるということではないわけでしょうか?
誰でも常に361の経穴があるということではありません。そのよ
うな標準化というのは無意味だということを言っています。
これはいわば、国家における町の数を数えるようなものです。体調
や状況生活習慣によって反応が出ている経穴の数も状況も変化しま
す。生命を取り扱うということはそのようなことです。国家におい
て町は生命の結節点ですが、時代によって地理によって状況によっ
て数も状況も大きく変化します。それと同じことです。
場を、面としてとらえる。その中の焦点を一点に定められる場合そ
れが経穴となり、そのあたりを指し示している経穴名を使用してそ
の位置を指示する。といった感じで経穴の探索を執り行います。
阿是穴は多くの場合経穴の正位置からの変動という発想で把えます。
そしてその変動には意味があるだろうと思います。足裏や手掌など
は古典で指示されている経穴名が少ないので、その位置が分かりや
すいように新しい名前をつけて呼ぶようにしています。
伴 尚志
【体表観察こそが今生きている古典である身体を読み取るための武器である】
学校や素人は、この経穴がこの疾病に効果があるという言葉を信じて勉強を積ん
でいきます。けれども、実際に患者さんにあたると、経穴を見つけることができ
ません。それは経穴名が体表に書いてあるわけではないためです。あたりまえの
ことですが。このあたりのことを乗り越えようとして経穴を探す方法が工夫され
てきました。けれどもそれは体表を機械的に計測して当てはめるもので、経穴そ
のもの(沢田健先生のいわゆる生きて働いている経穴)を見出すための鍛錬では
ありません。そのため中医学などでは体表に触れて経穴を探すこともせず、頭の
中で作られた位置に基づいた場処に処置することとなっています。
会話を成立させるためあるいは情報を残すためにはその場処(体表の一点)を指
し示す名前が付いていなければならず、その名前が同じ場所を指していることを
前提として(特に近代は)経穴学が発展してきました。どの経穴はどのような疾
病に効果があるといういわゆる特効穴治療などもこの過程で研究され、その記録
が積み重ねられてきたものです。
けれどもこのての勉強を積み重ねているうちに忘れてしまうことがあります。そ
れは、体表を観察することによって初めて、経穴の一点を手に入れることができ
るという単純な事実です。「名前がつけられる以前からそこに存在していた経穴
表現を見出すこと」ここに古典を越えて事実そのものに立脚することのできる鍼
灸師の特徴があります。【体表観察こそが今生きている古典である身体を読み取る
ための武器である】ということ、この事実を認識することから一元流の学は始まっ
ています。
■質疑■
> 勉強会の実習で、いつもペンで印をつける経穴(陥凹・ゆるみ・
> 腫れなど)は、「生きて働いている経穴」ということなのでしょ
> うか?
>
> それはテキストにある「反応の出ている経穴」と同じものでしょ
> うか?
そうです。
> また、印をつけられない経穴は何なのでしょう?
微細な反応なので見えにくい経穴です。
> いま私の手元にある『経穴マップ』という本によれば、WHOの
> 国際標準で全身には361穴の経穴があるとのことであります。
> これは経穴の名前が361あるということで、誰でも常に361
> の経穴があるということではないわけでしょうか?
誰でも常に361の経穴があるということではありません。そのよ
うな標準化というのは無意味だということを言っています。
これはいわば、国家における町の数を数えるようなものです。体調
や状況生活習慣によって反応が出ている経穴の数も状況も変化しま
す。生命を取り扱うということはそのようなことです。国家におい
て町は生命の結節点ですが、時代によって地理によって状況によっ
て数も状況も大きく変化します。それと同じことです。
場を、面としてとらえる。その中の焦点を一点に定められる場合そ
れが経穴となり、そのあたりを指し示している経穴名を使用してそ
の位置を指示する。といった感じで経穴の探索を執り行います。
阿是穴は多くの場合経穴の正位置からの変動という発想で把えます。
そしてその変動には意味があるだろうと思います。足裏や手掌など
は古典で指示されている経穴名が少ないので、その位置が分かりや
すいように新しい名前をつけて呼ぶようにしています。
伴 尚志